見出し画像

摩耶礼賛_2.Nizi Projectを知るまで

 勝村摩耶という存在を語るためにはまず語らないといけないのは、もちろんNizi Project(以降、虹プロ)だ。そこで石川県出身の勝村摩耶という一人の少女がNiziUの白鳥として羽ばたいたからである。

ガールズグループに無関心であった自分

 ただ、虹プロのマヤちゃんを語る前に、自分の話を少ししないといけない。どこにでもいるような普通のOrdinaryな人間で突然に変わることなんてありえない自分をあまり語りたくないが、NiziUを知るきっかけ、NiziUちゃんたちの特別さ、偉大さを語るために必要なプロセスなので、少しだけ我慢してほしい。
 プロローグで言及したように私は韓国人で、韓国の延世大学という大学を卒業している。同大学在学中に偉大なる先輩が一人いた。J.Y.Park(朴軫永、パク・ジニョン)である。4年先輩(ここで私の年がばれた・・・)であったパクさんは、私が1年生のとき、歌手としてデビューしてすぐスターになった。当時自分もファンで今もデビューCDを持っている。

今も持っている J.Y.Parkデビューアルバム

 工学部の自分と理学部のパクさんは隣ではあるが違う建物だったので正直に接点はなかったが、偉大なる先輩として在学中より認識していた。
 当時韓国はK-POPの黎明期で、大学在学中の96年をK-POP第1世代と定義する場合が多い。代表的なガールズグループの第1世代としては、S.E.S、핑클、베이비복스が挙げられる。ただ、私はロックが好きで、全くガールズグループに興味がなかった。次の第2世代の원더걸스,카라,소녀시대.その次の第3世代のTWICE,BLACK PINKなども全く興味なし、たまに気に入った曲を聴くのみで推しという概念は皆無であった。日本のアイドル(モー娘。、AKB48など)も興味なしで、ガールズグループは私のアウトオブ眼中であった。

Nizi ProjectとNiziUとの出会い

 Nizi Projectの放送も当然私の認識外で、NiziUのプレデビュー後のMake you happyの大ヒットの中、曲は聞いても、ありふれた日本のアイドルの一つという認識であった。今考えるとまったくけしからんで愚か者と言わざる得ない。その中、どこでは忘れたが、NiziUをJ.Y.Parkがオーディションを通して選抜して、プロデュースしたとの情報を聞いた。あれ、パク先輩が日本でわざわざオーディションをして日本人のガールズグループを作った?急に興味が沸いた自分はYouTubeの虹プロの動画を見つけて見始めた。

虹プロのタイトル画面
虹プロの構想を語るパクさん

 それがNiziU沼の始まりであった。断言しよう、これまでどのガールズグループにも興味がなかった自分がガールズグループを好きになるのは、後にも先にもNiziUのみだ。だって、今第4世代として活躍するアイドルたちをみても、綺麗でダンス、歌とも輝いているのは間違いないけど、申し訳ないが推したい気持ちにはならない。単にNiziU誕生のオーディションを見たからでもない。モー娘。の後藤真希を生んだASAYANもみたし、これまで他のオーディションも見てきたけど推したい気持ちにはならなかった。
 NiziUちゃんたちが、私にとって特別なのだ。そして、NiziUと私をつないでくれたパク先輩に深くお礼を言いたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?