見出し画像

霊柩車の助手席に座った話

北国で暮らす義父が亡くなった。
義母も既に他界。喪主は夫だ。コロナ禍に東京から来る夫婦ふたりに現地のひとたちはなるべく近づきたくない。こちらもそれは配慮してほとんど私たち2人と葬儀社の担当さんと和尚さんの4人きりで葬儀は執り行われた。

火葬場に向かうのに、義父の遺影を抱えて霊柩車の助手席に座っていたのは私だった。私が車の免許を持っていなくて、私たち夫婦には霊柩車から降りたあと帰りの足が必要で、霊柩車の後ろについて夫がレンタカーを運転していくと夫自身が決めた。
霊柩車の助手席で、これから父の遺体を焼かれるという家族にひとりで運転をさせてしまったその状況がその時の私には義父の死よりも大きくのしかかって泣いた。道中運転手とはひとことも話をしなかった。ただサイドミラーにちいさく映る、後ろについて走るレンタカーと夫のことだけ見つめていた。車に乗り込む前、霊柩車に乗せられる義父を見届けて堪えきれなくなる夫にポケットティッシュを渡すことしかできなかった。

誰も怪我をさせたくなくて免許をとりたくなかった。免許をとることで誰かを傷つける結果を回避したかった。運転中に眠くならない自身も何も見逃さない自身も持てなかったからだ。でもそれでこんな風に後悔する日が来るとは思いもよらなかった。

ぜったいに忘れちゃいけない出来事だったから書いておく。

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?