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【雑記】「働きたい」という気持ちを勤労権と就労請求権で考える

<哺乳類や鳥類の多くは、労せずに食餌を得るよりも、何らかの対価を払って得ることを好む傾向があるが、ネコは例外だった......>
猫には「コントラフリーローディング(逆たかり行動)」がみられず、タスクをこなすと得られる餌とトレーから自由に食べられる餌なら後者を選ぶという研究結果が発表されました。


米カリフォルニア大学の研究チームが猫は労せず餌を得ることを好むという研究結果を発表しました。

猫には狩猟本能はあっても楽して餌が手に入るならそれに越したことはないようです。


うーんわかる…と言いたいところですが、猫と人間は異なります。


私は休むことが大好きな人間ですが、それでも一方的に食事を提供されることを想像しても違和感があります。
食事付きのホテルにお金を払って泊まった…など対価を払っているならまだしも、何も労せず食事を提供されても何か自分に返せるものがないか気にするかと思います。

端的に言って居心地が悪いです。



例えば人によっては労働の充実感があればあるほど食事がおいしいと感じる方も多いのではないでしょうか。

労働の対価として賃金を得、得た賃金の対価として食事を得るということです。(労働の対価が食事の場合もありますが。)


労働は日本人の義務ですが、その反面権利でもあります。

では、「働きたい」という気持ちはどこまで法的に保障されているのでしょうか。

憲法27条「勤労権」は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する


憲法により日本国民は勤労権を有し、また勤労の義務を負うことが規定されています。

日本国憲法第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。


私的自治の原則のもと契約の内容は当事者の自由に委ねられていますが、使用者と労働者という圧倒的な立場の差のもと不平等な労働契約が結ばれることが歴史上多くありました。

国民の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するために、労働条件の一部に国が関与することを定めたのが憲法27条の「勤労権」となります。


日本国憲法第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


つまり「勤労の権利」は国は労働市場の整備を行い、労働の意思と能力を有しながら労働できない一定の者に相当の金銭給付を行うという労働政策の義務を国が負っているという意味であり、「勤労の義務」は反対に労働の意思を持たないものに国は政策を講じないという意味となります。

国に対して「働きたいが就職口がないから紹介して欲しい」でしたり「就職口が見つかるまでの生活保障として金銭が欲しい」という気持ちは憲法により保護されます。



一方、労働者が使用者に対して「自分には働く権利があるから雇って欲しい」という気持ちを保護するよう直接義務付けることまではできないようです。


この点細かい解釈は色々分かれるようですが、確かに企業に希望者の採用を義務付けることは現実的ではないですし、国に労働施策を課すに留まる意味と考えるのが自然のように思います。


使用者が濫用した「解雇権」は無効となる


使用者の採用の自由がどこまで保障されるかについても一考の余地がありますが、今回は労働者の「働きたい」という気持ちについて考えるということで、解雇について確認をしていきたいと思います。


解雇は諭旨解雇のように労働者の意思が含まれる場合もありますが、使用者の一方的な意思により労働者との雇用契約を解除するという状況が多々あります。

使用者に対して解雇そのものができないように法律の規定はなっておりませんが、労働者の「働きたい」という意思は法律で解雇の条件を規定することで保護されます。

正当性のない解雇は不当解雇として無効となり、会社に地位保全を求めることや本来就労していたら得られたはずの賃金を請求することができます。


労働契約法第16条 解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。


では、就労そのものを権利として主張することはできるのでしょうか。

つまり、使用者側の「解雇権」の濫用の有無を争うのではなく労働者側の「就労請求権」の主張ができるかどうかです。

判例はこの「就労請求権」について「原則否定例外肯定」という立場をとっています。


労働契約において「就労請求権」は原則否定される


就労請求権のリーディングケースとして読売新聞社事件(東京高裁昭和33年8月2日決定)があります。

解雇された労働者が解雇無効と賃金請求、加えて就労の妨害禁止までを求めた事件となります。

就労の妨害禁止とは即ち、解雇により自らの就労が妨害されたとして以後妨害を禁じるよう裁判所に求めたということです。

東京高裁は解雇の意思表示の効力の停止と賃金支払は認めつつ、労働者としての全面的な地位の保全として就労の妨害禁止は認める必要はないという決定をしました。

「労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令に従つて一定の労務を提供する義務を負担し、使用者はこれに対して一定の賃金を支払う義務を負担するのが、その最も基本的な法律関係であるから、労働者の就労請求権について労働契約等に特別の定めがある場合又は業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合を除いて、一般的には労働者は就労請求権を有するものでないと解するのを相当とする。」

読売新聞社事件 判決理由


判決によると、労働契約とは労働者に労務提供の義務を課し使用者に賃金を支払う義務を課すものであり、労働者に就労の権利を認めるものではないということです。

一方、個別具体的に「労働契約等に特別の定めがある場合」又は「業務の性質上労働者が労務の提供について特別の合理的な利益を有する場合」は認められるということで、就労請求権は原則否定例外肯定という判決内容となっています。


「働きたい」という気持ちは今後どこまで保護されるのか



「働きたい」という気持ちは国の労働施策により保護されますが、使用者に対して労働者の就労の権利を認めさせるためには個別具体的な取り決めが必要という結論になりました。


今回調べたきっかけは、昨年から働きたくても働けない人が増えたというネットニュースで見た「就労請求権」という言葉、休業を要請された時に休業手当ではなく就業を請求できるのかという些細な疑問からでした。

蓋を開けてみればなかなかに奥深く、我ながら情報収集が足りないと感じているのでまた追って調べていきたいと思います。


また、原則否定例外肯定の就労請求権も、憲法27条の「勤労権」を理由に就労請求権を肯定する見解、自己実現としての就労請求権を肯定する見解など原則肯定の立場もあるようで、今後潮流が変わるのか気にしていきたいところです。

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