宇宙人だと思い込みながら生きる

自分を宇宙人だと思いながら生きるのもいいだろう。「フツー」というのがわからないのならそのほうが気が楽になる。



元々人間は全員宇宙人のようなものだ。得体の知れないという点では同義ではないだろうか。



確かに学校では人間のあり方について学ぶことはできるだが大人になれば人間とはなんなのかよくわからなくなることがある。そこで宇宙人という単語を用いることで自我を保つことはできるのではないかと考えた。



宇宙人でなくとも人間はウルトラマンに出てくる怪獣のようなものでもある。見渡せばどこかでマウントや罵り合いの光景が浮かぶではないか。本来無意味なことにエネルギーを使っているのだ。

 

生きるということの本質はぼくもよくわかっていないことがあるが、ひとまず食う寝るこれができれば上出来であることは確かだ。実はもう人間はなにもしなくてもいいんじゃないかなと思うことがある。



だけど人間ってなにかやらないと別の意味で死んでしまう。なにかやるにしても同じことをずっと続けられないし同じ場所にずっといることもできない。そういう感性があるので宇宙人ということにする。



多数の人間であると思われる方がいう「フツーできるよね」ということがマジでできないという宇宙人だ。小説にあるようなことが現実にある。現実にあることが小説になることもある。



ひとまず集団で生きなければいけないとか思わなくていい。不自然なことは合わなくて当然である。だが個になったとしてもそこに自由というものはない。どう生きようが自由というものはないが適性に合った生き方をするしかないね。

ステージは川だ。自分に合った川選びをしていく。そこは当然ながら冷たい。冷たいんだけど流れていく先がわからないから人生はおもしろいよねってそんな感じ。




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