見出し画像

流行りへの対処と「誰を信じるか」問題

最近新型肝炎が流行っていると聞く。流行りの病とは怖いもので、確かめる間もなく、唐突に行動が求められる。もちろんすごい速さで迫る危険には対応しないと悲劇に至る可能性があるので、とにかくリスクをとった行動が無難になる。だからとりあえずマスクをして手洗いうがいをいつもどおりするしかないですよね、みたいな話を先輩とコンビニに向かいながら今日した。

津波や爆発した原発はすぐ逃げたほうがいいとおもうのはそのリスクの大きさと確実さがわかっているから。しかし急に耳にした病はそのどちらもわからない、ただ嫌な予感がするだけ。地球温暖化みたいに、「このままだとやばいよ」と「みんなやばいと言っているけど実は全然大丈夫」とが同時につきつけられる。そうするとやっぱり恐怖のインパクトは強いもので、だいたいのニュースはその危険性を声高にいうようになる。恐怖の需要はとどまることをしらない。

人並みに今回はちょっと危険なのかなと思いながら危険の程度について考える。大前提僕らはいろんなリスクにさらされながら生きているわけで、それでも外へ出て、行動をとるなどしている。外に出れば車にひかれる可能性、すりにあう可能性、面倒な人間関係に巻き込まれる可能性、腹痛だけどなかなかトイレが見つからない可能性、誰かから風邪をもらう可能性、などなど。全部%の割合は異なるが、そこまで高くはないため、仕方なくそのリスクを引き受けながらも「まあ大丈夫」といいながら外へ出る。だから特有の病で何人がなくなった、というニュースも分母によってはリスクの程度は実は僕らがふだん囲まれているリスクの程度と変わらない、なんてこともあるだろう。

──と、ここまでは思い至るのだけど、結局誰を信じたらいいのか、という話になってしまう。数値が分かって、程度が分かって、それでもわからないこと、判断のつかないことは山ほどある。今のいまから専門家レベルまで知識をあげるわけにもいかないので、結局のところ残された選択肢は「誰かを信じる」となる。だから確認していることといえば情報源くらい。被害のひどい現地にいって間近でみて確認することなんてできないので、信頼できる情報源のマジョリティを信じるが最適解なのかな、などおもうけどどうかしら。僕・私はこうしてる、などがあったらいろいろ聞いてみたいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!いただいたサポートはしいたけ占いの有料noteマガジンの購読費に使わさせていただきます!