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#75 百人一首に見る”幸せ”と一方の”つらさ”

忘れじの 行く末(ゆくすゑ)までは 難(かた)ければ
   今日(けふ)を限りの 命ともがな

         儀同三司母(54番) 『新古今集』恋・1149


昔から百人一首が好きで、折にふれて思い出す歌も多い。百人一首にはまったのは中学生のときだ。学校で百人一首大会というものがあり、それに向けて覚えていく中で夢中になっていったという記憶がある。


最近思い出すのは、上記の歌だ。意味としては、

「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い将来まで変わらない
 というのは難しいでしょう。だから、その言葉を聞いた今日を限
 りに命が尽きてしまえばいいのに。

という意味になる。


この歌には幸せであるということのつらさや悲哀みたいなものがつまっている。昔、僕も「なんだか今日は、ずいぶんと幸せだなあ」と思いながら、その幸せは翌日にはなんとも思えないものになってしまうことや(実際そうだった)、それを失っていくある種の”悲しさ”みたいなものをおぼえて、「いやあ、これはこれで、つらいものだなあ」と思ったものである。

このように両極端な思いを抱えるということは、案外多いのかもしれない。「今の幸せ」「こんなことは続くわけではない」「いつかは記憶もおおかたはなくなってしまう」ーーそんな儚さは、幸せとつらさを同時に携えたものだ。

最近は刹那的なできごとばかりだ。だからそんな風に54番の歌を思い出してしまうのだろう。せめて幸せなことはできる限り続けばと、祈るように、願いながら。

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