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SNSで多用しがちな「〇〇すぎる…!!」と「いとおかし」のもどかしさは一緒だって話

「言葉の限界が思考の限界である」という格言は、自分にとって大事な格言の一つ。昔から自分のおもっていることや伝えたいことがなかなか言葉にすると伝わらないもどかしさを抱えながら生きているような気がする。今でも仕事でもプライベートでも「ああ、意図していることとは違うことが伝わってしまっている」と焦ることは多い。


だから「言葉の限界が思考の限界である」という格言は、自分への戒めでもある。ほうっておけば「うまくくみとってくれればいいのに」「もう言葉にすることは面倒くさいや」などの考えが頭をもたげることは、往々にしてある。それでも、生まれ持って言葉を通じてほとんどの事象をとらえているからには、その言葉の限界を広げていくところに、思考の可能性を広げていくことを期待したいな、なんて話をそういえば昔noteにも書いていた。


で、本題はこっち。

上記のツイートは8割方冗談みたいなところはあるけれど、2割くらいは本当。TwitterやInstagramもビジュアルが多くはなっているけれど、「言葉」を通じたコミュニケーションが依然としてメインだろう。Twitter、Instagramに限った話ではなくて、ふだんから使っているLINEとかメッセンジャーとかも、言葉を補うようにスタンプとかビジュアルを使っている(たまに発生するスタンプだけで意図が伝わっているやりとりがすごい好きだったりもする)。

別に「めちゃくちゃ」とか「〇〇すぎる…!!」って表現って安易だよね、言葉の限界せばめているよね、とかいう話ではないのでご安心を。だって、「本当に最高」なものは「本当に最高」だし、この「めちゃくちゃ」感は「めちゃくちゃ」なくしてはきっと伝わらないから。

本当に伝わってほしいのは、言葉の奥行きなんです。「言葉を伝えたい」、なんて思ったことはない。この見えている景色やイメージを少しでも共有できれば、とおもうだけです。「いとおかし」の濃度が全部同じではないように。

「いとおかし」(=現代でいう「めちゃくちゃおもしろい」とかなんとか)っていうしかないもどかしさは、今も昔も変わらないんじゃないかな。俳句とか和歌とか、1ツイートの文字数以下に、あれだけの情報密度をつめこんでコミュニケーションをとっていたのは、なかなかにすごいことだなあと。


このもどかしさは、なんでしょうね。この間友人が付き合っている彼女とのやりとりについて、「LINEでやりとりをすればするほどどんどん関係性が悪くなっていってしまうときがあるのはなんでだろう」と話していて、僕も「そうだなあ」とおもいました。そもそも言葉で伝えられる情報量ってそれほど多くない中で、コミュニケーションをとる難しさはあるよなと。あと別の友人が「彼女との別れ際に起こりがちな長文での思いをつづったメッセージなんなん?」って怒っていて、これには笑いました。短い言葉ではなかなか伝わらないからといって、長い言葉が伝わるわけではなかったりするから難しいものです。


ちょっと話はそれてしまいましたが、大前提として責任をもって、正しく的確に言葉を伝えることで、イメージの共有をはかることが重要なのは忘れちゃいけないなとあらためておもいます(ほんとにできないこと多いからこれは切実な問題だ…)。あとは、そこになんだかよくわからないような「奥行き」を乗せていけたらいいよね。



追記)

「本当にすごい!」ってきてうれしい気持ちになった

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