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読んだ本:『フィルターバブル』/イーライ・パリサー

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概要

かつてインターネットが出てきた頃には、「これが普及すれば、市民同士がつながり自由に情報を交換できる。これによって民主化が加速する」と思われていた。

しかし現在のインターネットでは、カスタマイズされた「自分にとって都合の良い世界」が目の前に広がっていて、「自分にとって都合の良い情報」を発信している人とだけつながっている。これでは客観的な視野は得られない。

>他人の視点から物事を見られなければ民主主義は成立しないというのに、我々は泡(バブル)に囲まれ、自分の周囲しか見えなくなりつつある。事実が共有されなければ民主主義は成立しないというのに、異なる平行世界が一人ひとりに提示されるようになりつつある。(P.18)

著者はこの問題を「フィルターバブル」と名付け、どういう問題があるのか、なぜこういう問題が起きたのか、どうすれば解消されるのかについて綴っている。

フィルターバブルとは何か

この本の中で著者が言及しているのは主にFacebookとGoogleだ。FacebookもGoogleも、ユーザが何をクリックし、どのサイトや記事を読んだのかに応じてユーザの好みをプロファイリングし、次に出てくる記事をコントロールしている。その結果自分の好みの情報が届きやすく、自分が好まない情報は届きにくくなる。これを著者は「フィルター」と呼んでいる。また、このフィルターによってその外側が見えなくなっているという構造を「フィルターバブル」と呼んでいる。

フィルターバブルは何が問題なのか

まず、上の引用部分の「他人の視点から物事を見られなければ民主主義は成立しない」について、蛇足だとは思うが念のために簡単に補足しておく。

日本ではあまり理解されていないが、「民主主義」と「多数決」は異なる。ざっくり言うと、「私にとって都合が良いもの」を選択して一番多いものが選ばれるのが「多数決」、「みんなにとってどうなるのが都合が良い、と自分が思うのか」を選択して一番多いものが選ばれるのが「民主主義」だ。民主主義を行うには「他の人がどういう社会を望んでいるのか」「それは何故なのか」をお互いに理解する必要がある。しかしフィルターバブルはそれを阻害するので民主主義を阻害しているのではないか?というのが著者の問題提起だ。

フィルターバブルはなぜ起きたのか

フィルターバブルが起きた理由は言うまでもなくGoogleやFacebookのような巨大なサービスが、検索結果を自動的にカスタマイズする仕組みを提供していることにあるが、著者は副作用のあるこういった仕組みが安易に作られてしまったのには、ハッカー(エンジニア)の社会に対するリテラシーの低さに原因がある、と指摘する。

>公の場でなにかをするのであれば、公の場とはどういうものなのかを知っておく必要がある。この国はなぜ今のようになったのか。技術と国民の関係は歴史的にどう推移してきたのか。どのような政治的議論が行われてきたのか。しかしハッカーと言われる人たちはこのようなことをほとんど知らない。(デビッド・ガランターの発言の引用部分、P.235)
>エンジニアというのは、だいたいいつも、自分たちの仕事が倫理的、政治的な意味合いを持つと認めたがらない。自分たちが興味を持っているのは効率やデザイン、クールなものの作成で、どろどろとしたイデオロギー的な争いやわけのわからない価値に興味はないと考えている(P.240)

これらの指摘は、「エンジニア」や「ハッカー」と大きな主語を使っているためその界隈からは反発もあるかもしれないが、エンジニアである僕の視点から言ってもざっくり当たっていると思うし耳が痛い部分でもある。これについては謙虚に受けて止めておくべきだろう。

ところで、仮に筆者が言うように「社会に対するリテラシーが低い」としても、それでなぜフィルタリングする方向に進むのか?という疑問も沸くかもしれない。これについてはこの本の中でそのものズバリは書かれてないが、僕の言葉で説明するならば、以下のようなことだ。

一般に、インターネット上に何らかのサービスを作ってアップデートを続けていくと、「よりたくさんの人が」「より頻繁に」「好意的に」利用してくれるように最適化されていく。その方が利用者が増え、広告を見る人が増え、課金が増え、その結果利益が増えるからだ。その最適化にとって重要なのは情報のマッチングであり、障害となるのは情報ミスマッチだ。そうすると、必然的にユーザーが求めている情報だけを届ける方が、サービスにとって都合が良くなる。

実際にその最適化を実行したからこそそのサービスは流行り、流行っているからこそ公共性を持つ。公共性を持つものがフィルターを持っているからこそフィルターバブルになる、という悪循環の構造になっているのだ。

どうすれば解決できるのか

著者は以下のように説く。

>善きにつけ悪しきにつけ、プログラマーやエンジニアは、社会の未来を形づくる大きな力を持つ地位にある。この力は、貧困や教育、疫病など、現代社会が直面する大きな問題の解決に使うこともできる。(中略)市民が十分な情報を持って活発に活動できるようにすること、自分たちの生活だけではなく、コミュニティや社会をもうまく動かせるようなツールを人々の手に渡すことは、エンジニアリング的な観点からもとても重要で魅力的な課題だと思う。(P.255)
>我々の行動を映すのではなく、我々が知らないことを教えてくれるメディアを構築することは、まだ、可能だ。自分の興味を自賛する無限ループに我々をとらわれてしまわないシステム、自分の専門でない領域を調べられないようにしてしまわないシステムを構築することは、まだ、可能だ。(P.298)

つまり、これから作られるシステムやサービスを「フィルターバブルの罠にはまらないように」「民主主義を推し進めるように」設計し実装することは、「エンジニアがそれを望むのであれば」、可能である。ということだ。これらはエンジニアに向けた啓蒙として心に留めておきたい。

また、これ以外にも、「個人にできること」「企業にできること」「政府と市民にできること」という節が用意されているが、ここでは説明を省く。というより、結論を知りたければ、この本を読んで置くべきだろう。

まとめ

「現代のインターネットでは自分に都合の良い情報だけが届く仕組みが実装されている。これは社会にとっては副作用が大きい。この問題についてエンジニアは改善に取り組むべきだし、個々人や企業、政府も対策を講じるべきである。」

なお、この本で言及されているのは主に「システムのプロファイリングによる自動的な情報の選別」による弊害の話だが、これ以外にも「フォロー/ブロックなどの手動選別によって自分の好みの情報だけが集まる」場合についても結果的には同じ弊害にたどり着く。これについてもフィルターバブルの一種だと考えることもできるが、もう一つのキーワード「エコーチェンバー」という現象として取り上げらることも多い。フィルターバブルとエコーチェンバーはお互いに関係している概念なので、ここで一応言及しておいた。

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