本の話①


どちらかといえば、本が好きなほうの人間です。


たくさんの積読本の山に囲まれながら、それでも普通のひとよりは本を読む生活を送っています。市場で流通しているうちに確保しておかないと買えなくなってしまうことが多い翻訳作品の沼に興味本位で半身浴をしていると、どうしても読む速度より買う速度のほうが速くなってしまいます。

振り返ってみると、昨年は小説だけで六十冊ほど読んでいました。
公募賞に送る原稿を完成させる目処が立たず、まったく本を読めなかった月もあったはずなのに、我ながら驚きました。では、この一年でどれほど積読本の数が減ったのかというと、昨年の段階では八十冊ほどだったものが、いまは九十冊をゆうに超えていました。おかしな話です。


いま、ちらと辺りを見回してみても、机の上にはやっぱり本があります。これだけ本があるんです。せっかくなら、好きな本の話をしましょう。
〈※著者の表記は全て敬称略です。あらかじめご了承ください。〉




〝本にまつわる小説〟で真っ先に思い浮かべるのは、もちろん、米澤穂信『本と鍵の季節』でしょう。

偏愛している作家のひとりとして、どの作品をあげるのがいちばん適当か、あらためて考えてみたんですが、「どの作品も面白いんだし、何を選んでも大丈夫か」という結論に落ち着きました。

《日常の謎》の名手による、本と鍵にまつわる連作短編ミステリ。
図書委員である堀川次郎と松倉詩門のふたりが、日常に潜んでいる「本」と「鍵」に関係する謎を解き明かしていくこの短編集は、一編ごとの質の高さが大きな魅力なんですが、登場人物によるユーモアのある掛け合いも好きなポイントです。そして、連作として全てのお話を読み終えたあとの、ほろ苦い読後感。これがまた格別なんですね。青春とミステリの相性の良さを肌で体感できる作品でしょう。

昨年、満を辞して続編の『栞と嘘の季節』が刊行されました。こちらは、図書室に返却された本に挟まっていた栞を巡る長編ミステリになっています。ふたつ合わせて、お薦めしたいです。


「鍵」といえば、青崎有吾『11文字の檻』も魅力的な短編集でした。

平成のエラリー・クイーンによって描かれた、本格ミステリ、SF、二次創作、百合ロードノベルなど、ジャンルを越境した作品たちを一冊に凝縮した短編集。

表題作にあたる『11文字の檻』がとりわけ異色で、更生施設に囚われた主人公たちが〝政府に恒久的な利益をもたらす11文字のパズワード(鍵)を当て、施設からの脱出を試みる〟という、設定からして突飛すぎるお話です。
これを、読者の想像の二手三手、先を行くような理詰めで解き明かしながら、しっかりエンタメ作品として仕上げてしまう。その手腕が美しいんです。あとがきで映画『プラットフォーム』を題材に挙げていて、どこか納得しました。

それ以外にも、実際に起こった事件を題材に描かれた『加速していく』、百合というジャンルへのアクロバットなアプローチが見どころの『恋澤姉妹』など、必見短編が目白押し。これが文庫オリジナルで刊行されるなんて、東京創元社は素晴らしく太っ腹です。


平成のエラリー・クイーンについて触れたことだし、ここは本家クイーンの作品にも触れておきましょう。

「エラリー・クイーンの著作で好きなものをひとつ挙げれば、その人のミステリに対する趣味嗜好が分かる」とはよく耳にしますが、実際、名作揃いの作品群からどれかひとつを選ぶのは、かなり難しいです。それでもあえてチョイスするなら、国名シリーズ三作目『オランダ靴の謎』でしょうか。

二転、三転する話が好まれる界隈で、これほどストレートにミステリの面白さを表した小説はないと思います。

クイーンはこの作品以降、捜査を撹乱させる「偽の手がかり」に固執することになるんですが、個人的には『オランダ靴』までの塩梅がいちばん読みやすく、かつ犯人特定までの論理の組み立て方が美しかったように感じました。見出しのためにピックアップしましたが、本当は二作目『フランス白粉の謎』と合わせて、同率一位ということにしています。

早川文庫から刊行されているライツヴィルシリーズのほうもおすすめで、翻訳物に慣れがない人は『災厄の町』から入るのを推奨します。
東創の中村翻訳と早川の越前翻訳。どちらも読みやすいですが、後者のほうが市場では入手しやすいので。



越前翻訳といえば、昨年刊行されたシヴォーン・ダウド『ロンドン・アイの謎』が記憶に新しいです。

タイトルどおり、ロンドンに実在する「ロンドン・アイ」というカプセル観覧車を舞台にした密室ミステリ。児童向け作品と侮るなかれ。これが清々しいほどに丁寧なミステリ小説であり、少年の成長小説としても完成されています。

〝密室状態の観覧車のカプセルから、少年はどうやって消えたのか?〟

探偵役は十二歳の〝ふつうとは違う〟少年、テッド。彼は姉のカットと共に捜査を進めていくなかで、この謎に対して有力と思える九つの推論を組み立てます。これがとてもドキドキするんです。

ミステリの醍醐味は幾つもありますが、推理パートをそのひとつに挙げたとき、首を傾げる人はいないでしょう。あらかじめ提示されていた手がかりが、ふとしたきっかけで物語の構造を浮き彫りにする。とっつきやすい読み口も含めて、たくさんの心躍るポイントに溢れた愛のある一冊です。


読者に愛される探偵が好きです。
そういう意味では、泡坂妻夫『亜愛一郎の狼狽』に出てくる探偵・亜愛一郎ああいいちろうは、間違いなくその筆頭に当たるでしょう。

スタイルや顔が良いのに、運動神経が最悪でグズでドジ。でも、彼の語る推理は一級品。『狼狽』『転倒』『逃走』の全三冊からなるシリーズものの短編集で、いつ探偵が登場するか分からないのも面白さのひとつです。個人的な好みで言うと二作目の『亜愛一郎の転倒』がいちばん好きでした。

著者が奇術に精通していることもあり、物語全体の構成や視線の誘導という部分にかなり趣向が凝らしてあります。というか、泡坂作品には全てにおいてその傾向があります。「読者を驚かせてやろう」という遊び心が効いているんですよね。大好きです。

同作者の『奇術探偵・曽我佳城全集』は「これまで読んできた小説のなかで好きな作品を三つ挙げなさい」と言われたとき、必ず挙げる作品のうちのひとつです。残りふたつは、機会があればいずれ紹介したいですね。


本から本へと渡り歩くうちに、ずいぶん遠いところまでやってきました。
泡坂妻夫先生に影響を受けて米澤穂信先生が育ったことを考えると、好きな本にまつわるこの話で、壮大な先祖返りを経験した気もします。




読書遍歴は目に見えない長い川だ、と思うことがあります。

川を見つけた地点から、上流に向かって歩みを進めていくと、自分では想像もしていなかったような意外なところへ連れて行ってもらえる。むかし、北村薫先生がどこかのエッセイでお話ししていた気もしますが、「あそこの通りとこの細道って繋がってたんだ!」という些細な発見が、堪らなく楽しいんです。良い作品に出会えたという経験が、人生を豊かにしてくれる。

そんな出会いを求めて、たぶん、本を積んでいます。


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