ここ一週間ぐらいで読んだ本の一部

最近読んだ本について書く。

僕の最近のテーマに「友人」と「孤独」がある。自分自身が油断すると孤独な中年男性になりかねないという危機感からでもあるのだけど、別軸としては現代という社会は自己実現、社会で成功、自分の価値を社会や世間に示す、みたいなことの価値──かつては重視されていた──のが終わりはじめているんじゃないかなと思うんだよね。安価な娯楽が溢れて暇を潰したいだけなら今よりもいい時代はかつてなく、SNSで見栄をはろうにもひどい煽りあいや広告にまみれた世界で見栄やフォロワー数を競ってもなんだかなあだ

仕事もだんだんAIに置き換えられていって、誰もが仕事ができる時代も終わりかけ、自己実現や労働の価値・意味が変容しつつある中、次はやはり小規模コミュニティ、友人同士の心地よい関係を維持し、発展させていくのが結局は一番の幸せじゃん、っていう方向に回帰していく可能性があるなと思っている。こんなに楽しい娯楽で溢れているんだから、あくせく働かなくたって楽しいし、一緒に娯楽で楽しめる仲間がいればさらにいいじゃん、みたいに。Discordなどの小規模コミュニティの盛り上がりも今は増しているしね。

で、そういう観点からあらためて友人の作り方やその意味、発展のさせ方などについて興味を持っていて、この本もそういう文脈で興味深く読んだ。

『魂に秩序を』は『ラヴクラフト・カントリー』などで知られるマット・ラフの2003年頃の長編。新潮文庫で最も分厚いらしく1000pを楽に超える。で、SFっぽかったので読んでみたのだけれどもこれがたいへんおもしろい。多重人格者の物語なのだけれども、この多重人格者の表現がおもしろい。

主人公の多重人格者は最初はバラバラの人格だったのが「頭の中に架空の世界」──大きな家、湖、観覧台などが存在する、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』みたいな感じ──を作り上げ、そこで多重人格者が基本的には平和裏に暮らしている状況が描かれていく。で、主人公は安定しているのだけれど、主人公の前にかつての自分のような、不安定な多重人格者が現れ──と、多重人格者meets多重人格者みたいな、登場人物二人でも登場人物実は10人以上みたいな、混沌とした状況へと推移していく。無数のジャンルが混交しているといえばそれだけだが、感想すらも簡単には要約出来ない作品で、とにかくおもしろい

『台湾文学コレクション1 近未来短篇集』は台湾作家の近未来SFを集めた短篇集。台湾文学とついているけれど難しいことはなくて、本格的なSF短篇が揃っている。バーチャルシティを舞台にした性風俗の話もあれば電脳化が進む未来で電脳化を拒む人間の話もあり、バーチャルアイドルの話も──。しかし突然台湾文学コレクションがはじまって驚いたけど助成金が出てる企画なのね(国立台湾文学館の「台湾文学進日本」翻訳出版計画の助成金)。

正直宇宙138億年の歴史を語る本は多すぎて食傷気味なのだけど本作の切り口は「宇宙をシミュレーションするにはどうしたら・何をしたらいいのか」という観点で宇宙シミュレーションについて語っていて、たしかにこれは「あたらしい宇宙138億年の歴史」だなと。シミュレーションで宇宙の形成過程をいろいろこねくりまわすことに意味があるのか? という問への回答も語られていて、あまりそんな問題について考えたことなかったな。

読んでいて宇宙の歴史は本当に美しいなと思った。一般的に量子力学的な視点と一般相対論的な視点の世界は分離されている。1週間後雨になるか晴れるかをシミュレーションしたい時に原子の量子的な振る舞いまでもをシミュレートする必要はない。近似値がとれればいいのである。しかしより正確に、より巨視的に事象をシミュレーションしようとした時、量子的なふるまいを無視するわけにはいかなくなる。われわれは宇宙の初期条件を探して、若い宇宙の姿を正確に特定することができればそこからシミュレーションは次に起こることが予測できる、したいと思うが、実際には難しい。

 なぜ、銀河の種類が現在のような組み合わせになったのか?
 何がその銀河の特徴を決めたのか?
 天の川銀河がどのようにして現在の位置に存在するようになったのか?
 ようするに、宇宙の文脈の中で、私たち自身を位置づけるために、単一の明確な歴史が欲しかったのだ。その代わりに得られたのは、要約されたパワースペクトルによって記述される、ランダムな量子の泡だった。

p265

宇宙は偶然によるランダムパターンに従って変化を繰り返し、そのサイコロの目を正確に知る方法が(少なくとも今は)ない。だから、様々なシミュレーションを走らせてよりありえそうな仮定を導き出す必要がある。これは版元献本いただいております。

『デシベル・ジョーンズの銀河オペラ』は幻想小説などを得意とするキャサリン M ヴァレンテのスペースオペラ長篇。わりと入り組んだ文章を書くタイプの作家がこんなポップなノリっぽい作品を書いたらどうなっちゃうんだろうと思ったらやっぱり文章──というか文体は独特で、人は選びそうな感じ。ただ物語はストレートに胸をうつし、文章の一部はもはや物語を楽しむというよりはリズムを楽しむものと思ったほうが読み込みやすいだろう。

物語はほぼドラゴンボール超の宇宙サバイバルの歌編みたいな感じ。歌と舞台演出を文章で演出するのにけっこう苦労してそうだな、と思ったけど全体的にはチャレンジングでおもしろかった。(版元献本御礼)

『この世からすべての「ムダ」が消えたなら:資源・食品・お金・時間まで浪費される世界を読み解く』これもけっこうおもしろい(版元献本御礼)。プラスチック紙袋や水など、世の中の「ムダ」を一個一個検証していく。

本当にムダなのか? 仮にムダになっているとしたら、なぜムダになっているのか? その解決方法はあるのか──? と。たとえば当たり前だが水が豊富な地域では水はムダにされがちである。では、どうすれば水のムダは解消できるのか?(この答えは大したものではないけれど。

ムダの解消が難しいケースもあれば解決できそうなケースもあって、なかなか視点がおもしろい一冊だ。たとえば食品が豊かな国では廃棄食品がめちゃくちゃ出るが、いずれフード3Dプリンタ(食事を3Dプリンタで自宅で整形する)が実用化されて普及したら、フード3Dプリンタ用の固形のブロックだけがそのへんのイオンやコンビニで売られるようになれば、衛生的な問題のかなりの部分が解決するから廃棄も少なくなる。

『メトーデ 健康監視国家』はドイツの作家による医療ディストピア社会を描いた長篇。健康が義務付けられ、毎日の体の数値の報告を怠ると警告が与えられる。当然カフェインやアルコールもご法度だ。そんな社会に反抗する人々もいて──と、『ハーモニー』的な世界が描き出されていく。奇遇といえば奇遇で、本邦では先日出たばかりだがどうも2009年刊行らしい。

そこまで物語的なおもしろさがある本ではないけれど、ここで描かれているようなヴィジョンは日々現実に近づいていると感じる。

ゼンレスゾーンゼロ

7月だったかにリリースしたゼンレスゾーンゼロを相変わらずプレイしている。あんまりmiHoYoゲームを触ってなくてさすがに何かやりたいなと思って勉強もかねてやっているがまーおもしろい、というかリッチだ。比較的穏当な天井が実現していてわりと目当てのキャラも手に入れやすい。シナリオが終わるとあんまり周回要素もなくて一日何回もやらなくていいのもいいけど、逆に飽きる要因でもあるので難しい。最近はプレイヤーレベルみたいなのが40代後半と上がりづらくなってかなり放置気味である。

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