本の雑誌目黒考二・北上次郎・藤代三郎追悼号を読む

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本の雑誌北上次郎追悼号が出ていたので届いてすぐ読んだ。

北上次郎とは本の雑誌の創刊者の一人であり書評家として有名な人物で、僕のような書評(らしきもの)を書いている人間からすればまあ意識してしまう存在である。とはいえ僕は一度も会ったこともなければ仕事を一緒にしたこともなく(本の雑誌に連載を持っていた時期もあるが、北上氏と何かやりとりをするわけではない)なんの関係もない人間である。

いろいろな思い出話、追悼文がのっていておもしろかった。数々の思い出話から浮かび上がってくるイメージに一切ブレがないのが凄い。それだけ常にブレない人物であったのだろうし、ブレないで生きられるように「環境」を整えてきた人なのだろう、という気がする。それは新保博久さんの「インフラとコンテンツ」の文章で書かれているが。一般的な書評家ではありえない書き方や暴露などを平然と行っていたという話も対談などで触れられているが、それが許されているのもそれが許される環境(自分が創刊した本の雑誌なら究極的には何を書いてもいいわけだし)を作ってこれたからだ。

こうして北上次郎追悼号を読むと「自由な人」というイメージが湧いてくるが、別にただ自由でいれたわけではなく、自由でいるために全力を尽くしてきた人ともいえるのだろう。環境つくりの意味でもそうだし、「自分の素直な気持ちをそのまま出す」文章もそうだ。北上書評の凄さのひとつは自分の感情をストレートに出すその文章だが、自分の感情をストレートに出すのにもまた技術が必要なのである。普通、そうかんたんに文章に落とし込めるものでもないが、平然とそれをやっているようにみえるのである。

良い文章がいっぱい載っているが、僕が個人的にぐっときたのは杉江松恋氏による「北上次郎に学べ」の中の下記の一節だったので引用して締めよう。北上氏の文章を引用しながらその凄さを解説している文章で、ここだけ読んでも意図が全部とれるわけではないが、それはよんでもらうということで。

「よし、ここからだ」でぐっと心を掴む。この呼吸なのである。北上書評の魅力は無闇に力こぶを作って見せることではない。北上は本を読んでいるときの心をそのままさらけ出し、そこに読者の賛同が得られるか否かで勝負をする書評家だった。

67p

ほんとにそうなんだよなあ。

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