日記 2019年05月02日

親戚一家が実家にやってくる。夜は揃って中華へ。昼はサラダ。

読んだ本

森博嗣の『ナ・バ・テア』の英訳版である『None But Air』を読む。英訳で読み直すのが目的というか、巻末に森氏へのインタビューが英語で載っているのでそれ目当て。当時デザインが上がってきた時に帯を外すことはできないかと打診したこと、それを達成するのがなかなか難しかったこと。

英訳版というか英語圏の人に読んでもらうことは第一作の時から望んでいたこと。ミステリィ作家だと思われていたところにnot mysteryな作品を出したことが逆風になっていたこと。特にラスト部分の森氏の返答がなあ……いいんだよなあ……。読み応えのあるインタビューだ。

僕はたしか普通に『すべてはFになる』から森博嗣を読み始めたが、最初に凄まじい衝撃を受けたのは間違いなくスカイ・クロラシリーズだった。鮮烈なハードカバーの表紙デザインはそれだけで特別で、中の文章の簡潔さ、美しさ、切れ味の鋭さそれまでに読んだきたあらゆる作品を超えていた。とっくに好きになっていた森博嗣という作家が群を抜いて特別になったのがその瞬間のことだった。小説にはこんなこともできるんだ、という可能性の枠を開いてくれた作品でもある。その後同じように小説の枠を広げてくれた、と思えた『赤目姫の潮解』で文庫解説を書けたのは嬉しいことだった。もうそれ以上に嬉しいことは、書き物系では存在しないかもしれないな。

途中までKindle読み上げで聞いていたパスカル・コサール『これからの微生物学――マイクロバイオータからCRISPRへ』を最後まで聞く。いろんな最新の事例から基本的な知識が積み上げられて楽しかったけれどもちょっと紹介しづらいので記事ではスルーかな。あとこの手の化学系の専門用語が乱立する本は致命的に読み上げでは理解しづらいことがわかった。

古川安『科学の社会史 ──ルネサンスから20世紀まで』もKindle読み上げで最後まで。今でこそ自明のものだが昔はそうではなく、その確立に至る過程には多くの人も死んだし妨害もあった。今はどちらかといえば「科学」という概念に対する信頼性が高すぎると思うので、そうした観点からも科学の自明性を問い直すおもしろさがある。

レティシア・コロンバニ『三つ編み』は普通に紙で読む。異なる大陸、異なる環境、異なる年代の三人の女性の物語が、「髪の毛」を通して交錯することになる。女性が遭遇する苦痛──「みんなそうなのだから」「伝統が」「かくあるべし」という規範にNOを突きつけるのはいつだってキツイものがあるが、本作は三者三様のやり方でその行動を描いている。

宮内悠介『偶然の聖地』を80%ほどまで読む。めちゃくちゃなことが起こり続けるだけでも楽しいのにだんだんそのめちゃくちゃなことが整然と整理され、理屈が通り始める──というかんじでめちゃくちゃおもしろい。これは記事を書くのは確定だが、『三つ編み』はどうしようかな。

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