強い言葉をそう簡単に使ってはならない

「あまり強い言葉を遣うなよ…弱く見えるぞ」とは当然ながらBLEACHの名言だ。バトル中の文脈だがそれ以外のシーンでも応用がきく言葉である。たとえば、書評でもそうだ。書評、レビューする人間というものはあの手この手で作品を褒めたりけなしたりする。その時基本的に文章で「読み始めたらページをめくる手がとまらず1000ページ一気に読み切ってしまった!」のようにいかにおもしろいのかを表現するわけだが、「単語」レベルでの格、強弱もある。たとえば最上級、最強格でいえば「傑作」だろう。

ちょうど昨日使ってしまったが、傑作というのは強い言葉だ。しかし、だからこそ書評を日常的に書く人間としてはそう簡単に使いたくない。

あれもこれも傑作だ傑作だといっていたら、僕の文章を読む人は「こいつの傑作は傑作じゃねーや」と思うにちがいない。だから、そう何度も傑作傑作とは言いたくないのである。ただ、書評を依頼してくる人・書評をWeb媒体などの記事に載せたい人は、強い言葉があると喜ぶので好きにタイトルを決めさせると安易に「傑作」などの強い言葉を入れたがる傾向がある。そのたびに「いや、傑作じゃないのでやめてください」と断ることになる。

抜かなければ抜かないほど、傑作という単語はその人が使った時強く機能する。だが、抜かなすぎてももったいない。10年僕が「傑作」を縛っても、誰も僕が「傑作」を封じていることに気がつきすらしないだろう。

どれぐらいの頻度がいいんだろうか? 最適解はわからないが、僕の場合「傑作」を使うのは年に多くて六回ぐらいではなかろうか。少なければ二回かもしれない。たとえば2024年の現時点で「傑作」はフィクションに対しては『一億年のテレスコープ』にしか使っていない。ノンフィクションは『哺乳類の興隆史──恐竜の陰を出て、新たな覇者になるまで』で使っている。だからだいたい年2〜6の間に収まるんじゃないかな。まあ、「強い言葉を使うなよ」は、いろんな文脈で言えることだよな、と思う話であった。

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