考えるについて考える

「考える」というが「考える」とは具体的にどういうことなのか。いくつかの定義が考えられるが、ひとつは「問いを持つ」ことだろう。

たとえば「バズる記事を書きたいなあ」という願望がある。これはただの願望で、その次に「じゃあ、どうしたら記事はバズるんだろう」という問いが生まれ、問いにたいして様々な仮説を立てることになる。タイトルを工夫してみたらどうだろう、内容をこうしてみるのがいいんじゃないか、こうやって宣伝するのがよいんじゃないか──などなど。

問いを立てるとさらなる問いがうまれる。たとえばタイトルを工夫してみたらどうだろうというがどんなタイトルがバズるタイトルなんだろう? どうしたらバズるタイトルを導き出せるんだろう? バズるタイトルをつけた時、失われるものと得られるものはなんだろう? つまり考えるとは問いをたてそれに対して仮説を立てることだといえる。なんで突然そんなことを書き始めたのかと言えば、つまり日常にいろいろな疑問を立てて問いを放つと「たくさん考える人」になるのだろうか、とつい考え始めたのである。

僕はけっこう日常的にいろんな疑問を持つ方で、たとえばなんで夏は暑いんだろう、夏が暑い理由はわかるけれど(周期的に太陽に近づいている)、太陽に近づいているのが暑い理由だとして、雲が出た時に元凶たる太陽は隠れているのだから、雲が出ているのに気温が冬みたいにならないのはなぜなのだろう。湿度が高い地域と湿度が低い地域があるのはなぜなんだろう──みたいに、歩いている時、風呂に入っている時たくさん疑問を持つ。

こうやって疑問を持つことについて書いている間にも次々といろんな疑問が湧いてくる。たとえばこういうふうにいろいろ疑問を持つのは自分だけなのだろうか。みなどれぐらいの頻度で疑問を持っているのだろうか。疑問を持つ傾向や疑問の立て方に個性は出るのだろうか。自分は全人類を並べた時どれぐらい疑問を持つ方なのだろうか。50%より上なのか下なのか。仮にそれを調べるとしてどうやって調べることができるんだろうか。

こうした問いに対して、調べればわかることもあれば調べてもわからないことも多い。僕は基本的に本は発売してから3ヶ月以内の新刊を中心に読んでいるが、こうやって問いが浮かんでは消えていくので、本を読んでわかりそうなものはできるかぎり読んで調べることにしている。

たとえばさっき例に出した疑問の一つ「湿度が高い地域と湿度が低い地域があるのはなぜなんだろう。なぜ日本だと夏の湿度は高くて冬は乾燥しているのか」は下記の本を読んでわかった。

だからなんだという話は特にないのだけど、日常的に疑問を持ってそれを解消していくのはクエストを解消していくみたいで個人的には楽しい行為だ。少し前にファインマンさんについての記事を寄稿したけれど、ファインマンさんは事前に様々なパズルや数学的な問題を興味関心を持って問いていたから、それを披露することで「天才」と呼ばれるようになったと語っている。

ほとんどの人はファインマンではないわけだが、凡人であっても「事前に考えたり、調べたり」はできるわけで、日常的に疑問を持つことは凡人が生きる道といえるかもしれない。

しかも、こうやって調べて疑問を解決していくと、人と話している時に披露する機会もあったりして、会話が(僕だけかも知れないが)おもしろくなる。

また、こうして日常的に疑問を持ってもかなりの疑問は調べたり本を読んだりしても解決しない(誰も知らないか、知っている人がいてもそれを本や論文に書いてない)。しかし、疑問を抱えていることで、いつかそれに関するテーマの本が出た時に、「あ、これは前から疑問に思っていたことを解消してくれる本かもしれない!」とすぐに飛びつくことができる。

興味・関心は、本能的な部分から生まれるものもあるだろうが、能動的な問いから生まれる部分も大きいのではないだろうか。なぜ興味・関心の話に突然接続したのかと言えば、人間の興味関心はどこから生まれるのか。興味・関心を能動的に発生させることはできるのか。興味・関心を育てることはできるのか。興味・関心を廃棄したほうがいいケースはどういう時か──などという疑問をすでに僕が持っていて、解決しなかったからずっと抱えているからだ。すべての疑問はこうやって繋がっていくのである。

「湿度が高い地域と湿度が低い地域があるのはなぜなんだろう。夏の湿度は高くて冬は乾燥しているのか」はまた別途時間がとれるときがあったら書いてみるか(もうすぐ出かけるのでこの記事は終わり)

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