24.9.17
ラストマイル見てから聞きたかったけど
待ちきれなくてがらくた聴いた。
だれかを好きになったりなられたりするとき、
嫌いなところを見つけたり
嫌われたりするのが怖いと思ってたけど、
私が好きになった人をつくった一部なら、嫌いな部分も愛せるだろうと思った。
嫌われる勇気がないっていうのは、嫌いになる勇気がないってことかもしれない。
私は私の好きなところも嫌いなところも、こんな人になってしまった過去も、受け入れてるつもりだったけど、
私は私のことを好きでいなきゃ生きていられなくて、好きでいたい私の中に嫌いな部分があることをまだ受け入れてなかったのかも。
私が愛している私には
素敵な部分も隠したい暗い部分もあって、
暗い部分のおかげで素敵な部分があって、
素敵な部分を守るために暗い部分が生まれた。
だからどんなに隠したい部分も私が好きな私を形作っている愛すべき一部。
本当にこう思えていたら、
好きな人のことを好きでいるのが怖くなったりしなかったはずなのに。
嫌いでもいいし、怖くてもいいし、
好きなものを好きでいたいって思ってもいいけど、
きっと嫌いの中に、
そこにあってもいい嫌いがあって、
その子がいるからこそ、あの子を好きになれるってところがあって、
嫌いなもの全て無くてもいいなんて考えるのもうやめようと思った。
嫌いだから無くなちゃえなんて、自分のことだとしてもあまりに悲しいと思った。
そんな悲しいこと自分にしてたんだって思って悲しくなった。
この前描いた油絵で、途中で画面真ん中に描いた人が無い方がいい気がして、最後の最後に消したのを思い出した。
私にはその人を消す考えしかなくて、
その人のどこを消す、どこを残すっていうのは言われるまで全く考えなかった。
要らないから消す。
どこが要らないのか、なぜ要らないのか考えもせずに。
同じことしてるなと思った。
誰かのことも自分のことも否定したくないとか思っときながら、いつも気付いたら否定してる。
変わりたいと思ってもなかなか変われないのは、
変わるために何かを捨てる事ばかり考えてたからで、
本当にすべきだったのは、捨てるものの中から捨てちゃいけないものは何か何処にあるのか、見つけ出すことだった。
その時、必要だったからそこに描いたのに、
全部消す必要なんてあるわけなかった。
怖いと恐れてしまうことが本当に1番怖いな
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