長編小説を書けるまでの練習帳15

今日、母方のばーちゃんが死んだ。死因は聞いてない。小学生のときにじいちゃんがなくなったときは悲しくなかった。みんな悲しんでて、俺って冷たい人間なのかなって思った記憶がある。

去年の暮れ、ばーちゃんと5年ぶりくらいに会った。そんときは、こんなに小さかったっけ?っていう印象だった。体の大きさというよりエネルギーみたいなものがもうないんだと思った。

ばーちゃんが「あたしと遊んでも楽しくないだろうから、他であそんでこい」と言ったけど、自分はずっと横にいた。お互いにこれで会うのが最後なのは感じてたと思う。少なくとも僕はそう思ってた。

なかなか地元に帰らない僕が、そもそも去年の暮れに帰ったのは、祖母が旅費を出すから会いたいと言ったから。そして帰って、会ったら「どなたですか?」って言われた。ばーちゃんが呼んだんだろって思ったけど、ちゃんと名乗った。

ばーちゃん、最後は苦しかったのかなとか考えてみたけど、意味ないなと思った。最初に心に浮かんだのは、ごめんなさいだった。もっとやれることあったよなって。でもそれも意味ないなと思った。

人って死ぬんだと当たり前のことを思い出させてくれたばーちゃん。よく家に遊びに行くと、僕が小さい頃に、飛行機の中でうろうろして大変だったとか、家の障子を全部破いたとか同じこと言われた。そんなばーちゃんが、よそであそんでこいと寂しい顔をして気を使ってくれた。

もうばーちゃんとは会えないけど、ばーちゃんが少しでも楽になれるように線香あげてこようと思う。糖尿病だったけど、甘いものが好きだったばーちゃんにカロリーオフのイチゴミルクキャンディを買っていこうと思う。

心ここにあらずで、小説みたいなかたちで書いた。小説を書いてなかったらこの記事を書くこともなかったと思う。また小説を書こうと思う。