長編小説を書けるまでの練習帳18

死を看取る。

一泊二日のバタバタした帰省でしたが、祖母の通夜と葬式に参加することができた。死を目の当たりにするとあらゆる覚悟が揺らいでしまう。

というか、今まで誤魔化し切れていた真実を直視しなければならなくなる。人はどれだけ有名になろうが、栄光を掴もうが、お金持ちになろうが、全員死ぬ。

今、80歳の老人と0歳の赤子がいたとして、赤子が先に亡くなることも当然可能性はある。

悩んだり、落ち込んだり、迷ってる暇は正直ない。刻一刻と状況は変わる。周りの環境かもしれないし、自分自身が病に伏せる可能性も、事故を起こす可能性もある。普段、生きてるというのは、色々なことが重なって実現されているのであって、それが一つ崩れただけで、大きく変化することもある。

自分も2年前にバイク事故を起こして、乗用車と正面衝突した。めちゃくちゃスローモーションになって、横転するまでの一秒にも満たない時間で、子供の頃からの色んなことを思い出した。いわゆる走馬灯ってやつだと思う。ああ、親にお別れ言えなかったなとか、友達にあれ伝えてなかったなとか、めちゃくちゃ他人事のように冷静で、半分くらいしか傾いてなくて、えらく長い時間だなと思った。

幸いにもバイクは大破したけど、自分はかすり傷くらいで、歩いて家に帰った。普通なら間違いなく死んでたよと医者から言われた。

もちろんその日、死ぬつもりは全くなかったし、熱はあって運転するのが少しふらついてやばいなーという感覚でしかなかった。それくらい突然くる。

もちろん今、書いている小説は完結させるつもり。これは変わらない。ただもっと考えないと後悔では済まない事態になるなと思ってる。明日には半分くらいに薄れてると思う。それくらい人は忘れる生き物で、反省しない生き物。

ただ、やっぱり聞いたことあると、実際に見たとか体験したとかの差は大きいなと思った。電話で亡くなったと聞いたときと、色々、というか全部捉え方が違ってた。

明日からと言っていたら、永久に変われないので、今できることをやっていこうと思う。

ちょっと堅苦しい話になってしまったけど、noteの皆さんなら伝わるだろうと思って書かせていただきました。