学生指揮より① 「『ニュルンベルクのマイスタージンガー』より第一幕への前奏曲」に寄せて
こんにちは。最近、壁の落書きを見つけるとバンクシーなのではないかと思っている指揮者です。そういえば、法隆寺の天井裏には当時の大工が書いた落書きがあるみたいですね。1000年も前なのに、落書きがあるだけで当時の情景が身近に感じられるのは不思議ですよね。ちょっとした遊び心が、生きていた証として残り続けているのは素敵です。
ところで、皆さんはワーグナーをご存知ですか。名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。ワーグナーは1853年にドイツのライプツィヒで生まれた作曲家です。「タンホイザー」や「ローエングリン」など数々の有名オペラを作曲し、「楽劇王」と呼ばれました。
そう、この100周年記念演奏会のOPを飾る「ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」の作曲者です。今回は、ワーグナーとこの曲についてお話ししたいと思います。
ワーグナーの音楽
ワーグナーの音楽の特徴といえばその壮大さです。この「マイスタージンガー前奏曲」もその例に漏れず、壮大で厳かな雰囲気を漂わせています。私は、音楽は建築に似ていると思っています。楽譜という設計図をもとに、各楽器が音を組み合わせて曲という建物を造る。この比喩を頭に置いてこの曲を聴いてみると、「マイスタージンガー前奏曲」はギリシャの神殿のような荘厳さを持ちながら、バチカンの大聖堂のような緻密さも持ち合わせているように感じます。なぜ荘厳なのに緻密なのでしょうか。その理由は、この曲には一度にたくさんのメロディーが流れているからです。少し込み入った説明になりますが、これほど多くの動きが楽器間を目まぐるしく移り変わるスコアはクラッシックでなかなか見ません。つまり、壮大な音楽の枠組みの中に様々な楽器の動きが精密に組み合わさっているからこそ、荘厳さと緻密さが両立しているのです。
このような曲は演奏者視点からみると、一つの動きに対して担当が減るので一人一人の責任が重大になります。また指揮者視点からみると、壮大で緻密な音楽というのは音楽が持つエネルギーがとても大きいので、全体を正確にまとめ、ダイナミックに動かしていくのが難しくなります。9月に練習を始めてからの3か月間はこの2つの視点の難しさとの闘いでした。
責任重大な演奏者
練習の最初の頃は、個々人がしっかりと音を奏でて全体として大きなまとまりにしていくのが大変な課題でした。秋山先生がおっしゃっていた、「ドイツの音」による重々しく響きのある音楽を作るのには特別な難しさがありました。ですが、合奏だけでなく個人やパートで練習したり、トレーナーの先生に直接教わったりと様々な練習をしてきたことで、以前よりもずっとドイツ的(?)になれたと思っています。本番はロシアやイタリアの音楽とはまた違った響きにもご注目下さい。
巨大な音楽を指揮する
先ほども紹介した通り、この曲はとても壮大かつ密度の高い音楽です。私は練習で指揮する際にとても苦戦しました。音楽が持つ大きなエネルギーに飲み込まれ、何も操作できなくなってしまうのです。これを克服するために、曲を細かく分析したり振り方を変えてみたり、練習を通して様々なアプローチを試しました。そんな中訪れた10月末、初めて秋山先生をお招きした練習で私は衝撃を受けました。秋山先生は決して大げさではない指揮ながら、この巨大な音楽と堂々と対峙していたのです。エネルギーのぶつかり合いが、音楽の生命力を一層増大させていました。これが世界の巨匠かと大きな感銘を受けた瞬間でした。本番は音楽の巨大さ、そして世界のマエストロによって何倍にも引き出されたエネルギーを感じて頂きたいです。
音の落書き
音楽は建築に似ているなんてお話をしました。だとしたら、演奏者は大工といったところでしょうか。じゃあ、私たちも落書きを残せるでしょうか。できます。「こう演奏したい」という私たちのこだわりが個性となり、「マイスタージンガー前奏曲」という建物に刻まれることでしょう。それだけではありません。当日いらっしゃった皆様との空気感、ホールの空間そのものが音楽に痕跡を残すでしょう。それは私たちが3か月間歩んできた証であり、皆様と演奏会で共に過ごした証です。音の落書きは1000年後も、今日このときを鮮やかに映し出してくれるに違いありません。
皆様のご来場をお待ちしております。
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