心根と生きる
また週末が来た。
休日を迎えたら、ホッとする。
でも、不安にもなる。
一人の時間が多く、自分で考えて過ごさなければならないからだ。
「好きなように過ごせるなんて最高じゃないか。」と言う人が大半だろう。
僕もその考えに賛成なのだが、年々週末を迎えることが不安になってきている。
何をしよう。何をしたら満たされるだろう。
そんなことを考えては、行動に移すことができず、何の成果も感じられない週末を過ごし、虚無感に包まれることも少なくはない。
「最近どう?」
幸せなことに、そんな文面で友達から声を掛けてもらえることがある。
「特になにもないよね~。」なんて、つまらない返しに対して相手も共感する。
周りが30~40代となると、みんな落ち着きという衣を纏って、変化のない日々を物静かに過ごしているようだ。
金曜日の夜の気分は、たいてい低い。
仕事の疲れと、週末の一人の時間が迫っているからだ。
そんなことを友達にボヤくと、「会いに行こうか」なんて言ってくれる。
すごく嬉しい声掛けに「ありがとう。でも今は難しい。」と返す。
追って、「会いたいけど、会うことが不安なんだよね。」と吐露する。
これが僕の心根だ。
心根とは、その名の通り心の根っこの部分を示すのだが、僕の心根は「不安」「恐怖」でできているのではないかと思う。
「失礼なことをしたらどうしよう。」「失敗したらどうしよう。」「この低いテンションで嫌われたらどうしよう。」そんな感情が常に頭にこべりついているから、仕事も休日も、人付き合いには気を抜けない。
「人間関係なんて気遣いが当たり前だろ!」と思われるかもしれないが、僕の場合、相手を立てる上での気遣いというより、自分を自尊感情を守るための気遣いなのかもしれない。
こんな感じの悩みをカウンセラーに相談しても、友達に相談しても、「意外と相手はそこまで思っていない。」という認知の改善を提案されるのが大半である。
精神疾患の治療では、薬の服薬の他に認知行動療法なんてものがある。
簡単に言えば、見方を変えるとスッキリするよってのを提案し、実践していくこと。
僕もここ数年、心の不調が出るようになってから、認知を変えることでたくさん救われたところがある。そして、自分を取り戻せた部分もある。
ただ、心根の部分はきっと変わらないのではないかなと思っている。
思い返せば、子どもの頃から周りの様子をうかがっては、「よい子」であることに力を注いでいた。
通知表の親のコメント欄には「人に迷惑をかけないように」といつも書かれていて、そのことを真っ直ぐ受け止め実践してきた。
そんな積み重ねからか、仕事ではたくさんの業務を任されるし、趣味の音楽ではパートリーダーやソロをたくさん任された。
いっっっっっつもうまくできるか「不安」なんだけどね!
きっと任されれば任されるだけ、必要としてくれている安心感を得ながら、同時にそれ以上の必要以上の不安を抱え込んでいるのだと思う。
失敗してもいいのだけれども。嫌われてもいいのだけれども。
疲れるなぁ。人生。
心根と生きる
それは、変えることのできない少々厄介なものを、上手に手なずけながら生きていく決意なのでした。
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