無理ゲーの無理の中身

世の中の人達が無理ゲーをやっている。
もっと割に合っていて無理じゃない
ゲームをやればいいのにと思う。

世の中の偉い人達が
無理ゲーをやらせている。
でも結果が出ていない。
無理ゲーをやらせていても
結果が出なかったら意味がない。

例えばタイヤがあって
外径が大きくて扁平率が低くて
幅が細いタイヤがある。
「環境に配慮するため」とは言うけど、

それは自転車の話であって実際逆だと思う。

自転車であってもそんなタイヤだったら
漕ぎ出しが重いし、
たくさん回さないといけないし、
第一軽いから耐荷重が低くなる。
筆者が子供だった頃は
スリップ事故が多かったから
外径が小さくて扁平率は高くて幅が太かった。
ブレーキが小さくなるけど
外径が小さかったから
ブレーキの伝わる距離が短かったんで
そんなにブレーキも減る度合いが
大きくなかった。

外径が大きくて扁平率が低くて
幅が細いタイヤなら
“分岐点” も高くなるだろうに、と思う。

「もっと簡単なゲームを」と言ったって
「「簡単にクリアできる」と言って
クリアできなかった時に
恥をかかせたくない」と
言うのだろう。でもそれなら
「簡単という難しさを表す言葉の中身」を
考えないといけないと思う。

例えば海老を食べる時に
殻をむかないといけないのと
あらかじめ殻がむかれた上に
尻尾も抜かれていて
そのまま口の前に移動するだけでは
簡単であることの意味が違う。

世の中には口の前に移動すること
さえも簡単でなく対応した
「コントローラ」が身体に
フィットしない人達も多い。
外国人に日本の箸が人気だけど、
指が太い国の人間には
評判が良くないこともある。

「簡単です」と言ったって
「特定の手順をこなさなければいけない」
としていたり、
「特定の手順が省略されている」
わけじゃないから意味によっては
簡単にはならない。

音楽の演奏だってそうだろう。
「スリーコードの簡単な曲です」
と言われても運指が集まっていなかったり、
BPMが速かったりテンポが速かったり、
時間が2~3分より長かったり、
休憩時間が無かったり、

運指のラインがあって
ギター全体で6つ弦があって
1つの弦にコードが三つ集まっているか、
1つの弦から上と下で一つずつ
広がっているだけで
外に動かなくていいとか、
抑える場所が多いコードが入っていたり、

ボーカルなら声域が高いところに
集まっているとか
声域がボーカルの地声から
一つずつしか離れていないとか、

歌詞が英語でリエゾンがきついとか、
ドイツ語みたいに音節が
はっきり分かれているとか、
ラテン語由来の言語みたいに
流れるように歌わないといけないとか、
そうしたら難しさの意味が揺らぐ。

シューティングゲームなら
いわゆる「わからん殺し」を無くすために、
「前に出すぎた」とか
「周りを見ていなかった」とか
サッカーで言うオフサイド状態に
なっていたとか、
「足元に注意が行っていなかった」とか
「隠れる場所に隠れなかった」とか
原因が死ぬ前にわかるようにする
工夫をしているのに。

「環境に配慮しよう」
「気を配ろう」「気を遣おう」
というのは立派だと思う。
だけどそれは裏を返せば
ゲーム理論で言う
「非対称情報ゲーム」になる時もある。

人間界で
「においで判断しろ」と言ったって、
自然界ではにおいを擬態する
生命体も存在するのに。

「徴兵制」でも「志願制」でもなく
「自発的徴兵制」だからだ。
自発的徴兵制でも徴兵制と
名前がついているのだから
「徴兵忌避」をしたら
どんな社会的ペナルティが
予想できるということもあるのだろう。

ただ注文に応えてさえくれればいい?
注文はできても時間がかかったら
クレーム、盛りつけが好みじゃなかったら
クレーム、調理から提供の間隔が
長かったらクレーム、
味の濃さが好みじゃなかったらクレーム、
ソースがはねたらクレーム、
香りが好みじゃなかったらクレーム、
金額が好みじゃなかったらクレーム、
順番が先じゃなかったらクレーム、

クレーム、クレーム、クレーム、
クレーム・・・。

それでどうにもならなくて
「新しいゲーム」を買うとしても、
要件が揃っていても
ナショナルブランドでなければ
いけなかったり、
インポートブランドだったら
NGだったり、

データ引継で議論になるし、
だけどデータ引継できたら
新規客に不利不公平な印象を
与えるようになるし、
ファイル管理で容量の制限が
厳しいならより大きいハードディスクか、
クラウドで管理して
それを容易にするために
接続が難しくないスマートフォンの
方がいいし、

一見客やリピータ客に関しては
始めるのもやめるのも容易、
定着を深すぎないようにするために
回転を短くして回転を早くして
高回転にした方が気が重くないし、

顧客の単元の人数を
少なくした方が顧客に負担を
感じさせる度合いが小さくなるし、

景気、為替、天気といった
外部要因がかかるウェイトが
軽い方がいいし、

“天気” が常に自分達に有利に
働くとは限らないし、
むしろ毎日ゴルフしたいなら
屋外より屋内のゴルフ場が良い。

そうしたら
「学校で行事があるから
天気を晴れにしろ」とか言われそうだし、
必ず行事ができるようになるけど。

多分「伝統的な国家の原風景」に
こだわりがあるのかもしれない。

1990年代からの「失われた30年」という
「デフレ」を思い出したくないんだろうけど、
どうも「失われた30年というデフレ」
から知見を得られないように思える。
もう高度経済成長期でも
いざなぎ景気でも神武景気でもなく、

成長としての「変数の増加」が
見込めなくなっていたのに。

見込めなくなっていたからこそ、
「変数の増加だけで
評価されないビジネスモデル」
が評価されていたのに。

1995年の兵庫県南部地震から
2011年の東北太平洋沖地震からも
「予防」や「予測」の「予」の部分に
投資してみたり、
2019年からのコロナ禍で
人数制限がしかれたということで
「少ない人数」や
「単元としての人数が
少なくても成り立つ」ビジネスモデルが
評価されていたというのに。

コロナ禍あたりから牛丼チェーン店の
特定のメニューの名前で
垢抜けていない人達をそしる言葉が
インターネット上で流行したのも
牛丼チェーン店が客の単元人数が
少なくても成り立つという
ビジネスモデルに対する反感も
あったのかもしれない。

それが使用できなくなったら、
中間色としての黄色やグレーを
認識できずに「赤と青」とか「白と黒」
という階調のはっきり決まった色を
含んだ言葉をそしることに使ってみたり
している。

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