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裕福へ導くもの:示口

23.01.17 「示口のことば」からタイトルを変更



 女は涙した。

 その日、都内では珍しい量の降雪となった。道行く男女は凄いと、下校中の子供は積もったら休みにならないかとはしゃぐ中、彼女は眼に涙を浮かべていた。
 学習塾に横にある掲示板の前でひっそりと立ち止まり、自身の学力不足を呪っていた。それを見かねて怪異は声をかけた。屋上を翻り、電線に体重がかかってないかの如く僅かな体重移動と見事なと身のこなしで怪異は件の掲示板の上に音もなく、ただ僅かに雪を纏って降り立った。
 「どうしたんだいお嬢さん」
 お嬢さん、と呼ぶ声もお嬢さんといった感じの軽やかでどこか安心する声だったが、女子高生はありえない場所から声がして後ずさった。
 「安心して。たしかに僕は怪異だけど人々の安心と幸福を願う怪異なんだ。まぁ、お話を聴いてあげるだけなんだけどね_?_」
 はぁ、と困惑する女子高生に続けて涙の訳を問う。
 「やはり塾の目の前で泣いていたし、ご両親が厳しいのかな_?_」
 女子高生は、違うという。むしろ塾の日数を増やしたいから部活はほとんど行かないと宣言した彼女を心配するほどだった。
 「なら塾の先生がとーってもきびしいとかー。」
 女子高生は、違うという。劇的にではないが模試の結果は良くなっていると。しっかり指導してくれるよい塾だとおもっている、と言う。
 「そう。じゃぁ」
 わざとのように指を頬にあて悩む仕草をすると、掲示板から降り、女子高生の目の前に向き直ってその怪異は口を開いた。
 「意中の人と同じ所に進学したいけど、届かない。のかな?」
 女子高生はうつむき、そのまま目に蓄えていた涙をポロポロと落とし始めてしまい、怪異は慌てて慰めた。
 「ほらほら、こんな寒い中で泣いちゃだめだよ。余計に悲しくなっちゃう。」
 女子高生のかばんを勝手にあさり、ポケットティッシュを何枚か渡すと怪異はまた話し始めた。
 「だったらこの際、その人に勉強を教わっちゃいなよ。そうすれば一緒にいられるし、もしかしたら塾とは別視点で勉強捗りそうだけどなぁ。」
 先輩の迷惑になっちゃう、要約するとそう身を引こうと必死になる女子高生に、怪異はじゃぁ貴方はいつ幸せになるの_?_と腰に手を当てて少し険しい顔をする。

 いつ、と音にならない声で女子高生は口にした。
 女子高生はすでに泣くのを辞めていた。


 男は重々しく息を吐いた。

 向かいのホームには高齢者向けの旅行チケットの販促ポスター。首都圏から離れた山中にある観光地の紹介。魅惑的な西日本の食材に祭りのポスター。
 最後に旅行らしい事をしたのは遠方に住んでいた家内の親が亡くなり、その葬儀参列の為に一時的に泊まった老舗旅館だったか。親戚が亡くなっているのに旅行気分と言うのもアレだったが、本当にご飯がおいしかった。
 「いきたいな。」
 「素敵じゃない、行ってみたら_?_」
 驚いたが若い女性の声にがっつく様な様を見られるのもしゃくで、男は目を自身のくたびれたシワだらけのスーツの裾向こうにやった。奇妙なことにそこにあったのは人間の脚に猿の足がついている。多分猿だ、ネットでみた知識だが。
 「仕事も家族もいるんだ、簡単じゃないよ。」
 奇妙だったが異常だと騒ぎ立てる気も起きなかった。そもそも時間が足りないプロジェクトをようやく首が回せるように振り直したばかりでヘロヘロだった。結局金は出ていく一方でボーナスなんか出せる余裕はない。本当に今日は、いや昨日は現実感ない仕事だった。
 「そう、貴方はそれで幸せ?」
 何か白いものが動いた。長細くぼつぼつと鱗のような。ぼんやりと、それが何なのか考えていたせいで何を訊かれたか解らなかった。
 「しあわせか。家があって、飯も食えて、子供もいて、仕事があるんだ。コレが幸せじゃなかったら何だよ。」
 あぁ、何だっけ……_?_
 「我慢は身体に良くないよ_?_」
 男はふっと笑った。幸せか。その笑顔に怪異は安心したように笑った。
 「そうだよ、幸せの為に頑張ってるんだから自分の小さな幸せぐらい良いんじゃないかな_?_」
 だよな。男は泣くまいとしている。
 「……行くか」

 怪異は屈託ない笑顔で男を見送った。

 緊急停止ブザーが鳴り響いている。
 車両は駅のホーム途中で止まっている。放送は緊急停止の謝罪と理由を告げる。電車内では何人か転倒したらしく、知らない人同士無事を確認したり、無事な人は状況を把握しようとネットや外を見るために窓際に近づく。怒声を上げる男性。泣き叫ぶ赤子、あやす親。呆然とする運転手と事態を把握した駅員が無線をとばす。
 それが目に入らないかのように、怪異は笑顔で、人混みに溶けて消えた。

 朝。
 狐の怪異、皐月はスマホをスタンドにかけてニュースを見ながらご飯を食べていた。
 米はすごい、腹持ちがよく甘いからしょっぱいまでオカズというものがあうのだ。オカズがご飯に合わせているのかもしれないが、これだけ白い米が食い放題になる時代になるとはなぁ。美味しくなかったな、昔のは普通に。とかみしめていた。
 今日は珍しく朝から舎弟と会う用事があり、ニュースを見ながらご飯を食べるといういつもはやらない事をしていた。

 『女子高生が同じ学校に通っている男子学生に暴行を受けて重症とのことです。調べによりますと、同女子学生は以前から男子学生とトラブルがあったという話が上がっています。』
 『あの子でしょ、うん。中学ん時もね、あん時はさ中学生だっつって(まだ若いので)親同士で話し合って終わりにしたんだって聞いたけどね。』
 『女の子のほうが所謂ストーカー。聞いた限りだとちょっと言い難いけど、もっとね、うん。引っ越すとかしてあげた方が良かったんじゃないかなって。』

 男も大変だな。と皐月は思った。

 ニュースについているコメントを見る。
——裏山
——うーんこの
——はぁ_?_付き合ってやれよカス

 男も大変だな。と、皐月は思いながら天気予報に動画を切り替えた。