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栗本慎一郎とは何か?

日本の現代思想が殆ど詐欺だよとバラした東洋の思想家に栗本慎一郎がいる。


 パンツを履いたサルで一斉を風靡した彼も殆ど歴史に残らず政治に勝てず風化している。


 しかし、彼をもう一度考えることが最新のアクチュアリである。


 まず彼はポモは嘘だよ、柄谷行人は論壇政治にハマっているメンヘラだよと看破。


 ようするに、権力による支配は至るところにあり、それはジャーゴンの洋服によって起きている。


 加速主義も殆ど嘘。


 ただ補足だが、70年代のバタイユという露悪主義のロッカー的な雰囲気からポモを読み替えしているのが、加速主義だ。


 もっとも、その加速主義に対抗するような反体制というロッカーも論壇政治にすぎないと栗本慎一郎は当時の論壇状況から断罪する。


 よって、加速主義も外山恒一も空である。


 東京大学すらも権威批評の権威で権威に敗北する系にハマっていた(©成田悠輔)。


 現代でこの栗本慎一郎的なダーディ的な発言をしている論客に成田悠輔がいる。


 彼は22世紀の民主主義、選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになるで無意識データ民主主義を提唱。


 もっとも栗本慎一郎も成田悠輔も落合陽一も外山恒一もビジネスにすぎない。


 この中で最も権威主義的で露悪的に自分の加害さを吐露する繊細さを持ち合わせているのは、栗本慎一郎と成田悠輔である。


 もっともその栗本慎一郎も成田悠輔も病気から脱げ出せない限界があり、オモシロ主義に走っている。


 だとするならば、本は破れ!と徹底的に再現まで冷やかしたほうがいい。


 加速主義は死んだ思想だし、外山恒一はメタバース、安楽シ施設のように外山恒一を囲みながら、バー自体は最新のキャッシュレスや若者たちが集まるスーパー銭湯や逆転オセロニアに近いメタバース感がある(批判ではなく、外山恒一本人が無意識に落合陽一的な世界観に利用されてしまっている)。


 歴史修正主義であり、この系から抜け出すには、本を破るように横へ横へ走り切る他はない(個性経済学)。


 あるいは、YouTuberのなりかたのようにYouTuberになり、来世!加速主義をREALでやるような評価経済社会にサバイヴする他はない。


 もっとも圧倒的な正解は個性経済学という共産主義的に評価経済を読み替えた本は破れ!で描いた世界観だ。


 もっとも、それ自体も外山恒一と同じビジネスや経済原理の系から完全に脱していない限界はあろう。


 

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