見出し画像

不良牧師

 
 
まだ、熱い鼓動を、温かな余韻を、体の芯に感じている。

9月27日、名古屋レジェンドホール。
「不良牧師」として知られるアーサー・ホーランドさんの誕生日イベントで
ご本人と対談させていただいた。
 
キリストのことを「魂のロッカー」と呼び、
自らも全身にタトゥを入れ、ハーレーを乗り回す。
およそ一般的な牧師のイメージからはかけ離れている。
 
重さ40キロにもなる十字架を担いで
日本を縦断したり、アメリカを横断したりしてきたが、
今度はエルサレムから日本までを歩くという。
発想力、行動力、そしてもちろん体力も、
常人の域を遥かに超えた御仁である。
 
 
 
イベント開始早々、ステージに呼ばれる。
 
宗教家と猟師が、
スツールに座って向かい合う。
 
 


 
以前、主催者から提示された対談のタイトルは
「命を与える者と奪う者」
だった。
 
確かに僕は、野生動物の命を奪う。
そしてアーサーさんは、
自殺を思いとどまらせたり、
暴力団員を更生させて布教活動に従事させるなど、
あらゆる命を生かし、輝かせてきた。
 
どのような対談になるのか
不安がなかった訳ではないが、
アーサーさんの豪放磊落なお人柄と、
少年のような笑顔に惹かれるものがあり、
対談のオファーを受けさせていただいた。
 
まるっきりの初対面ながら
アーサーさんは長年の友を迎えるように
僕を歓迎して下さった。
 
 
 
自分がどのように狩猟をしているのか。
動物の命を奪う時、何を感じているのか。
彼らの肉を食べる時、どんな決意をしているのか。
 
話は弾み、15分の予定だった対談は、
あっという間に30分近くとなっていた。
 
僕の師匠がカナダ先住民だと聞いたアーサーさんは、
大好きだというネイティブ・アメリカンの祈りの言葉を
披露して下さった。
牧師であるにもかかわらず、
聖書以外の言葉を披露してもいいのだろうか、
という門外漢の勝手な心配をよそに、
淀むことなく流れ出る言葉は、
まるでアーサーさん自身の祈りのようでもあり、
心地良い音楽のようでもあり、
僕はとても感動してしまった。
 
 
 
対談は、バースデーイベントの最初に行われ、
その後も色々な人の挨拶や祝辞などが続き、
メインイベントは、アーサーさんによる説教だ。
 
万雷の拍手に迎えられて壇上に上がった不良牧師が
生き生きと語り始める。
 
「死に支度 いたせいたせと 桜かな」
小林一茶
 
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと又かくのごとし」
鴨長明
 
引用される言葉は対談の時と同様、
全くキリスト教に囚われていない。
 
中でも特に印象的だったのが、
古代インドに伝わる理想的な生き方とされる
「四住期」(しじゅうき)の教えだ。
 
人生を四つの段階に分け、
25歳までを「学生期」、50歳までを「家住期」、
75歳までを「林住期」、それ以降を「遊行期」とする。
 
折しも50代に入って長年勤めた会社を辞め、
都会から森の中に移り住んだ僕にとって、
この「林住期」という言葉は心に響いた。
自分の選択は間違っていなかった、と思うことができ、
大いなるものに導かれ、祝福していただいていると感じた。
 
 
 
二次会でのご挨拶も、アーサー節が炸裂していた。
僕が聖書に明るくないことも一因だろうが、
その発言は、なぜかキリスト教徒ではない人たちの言葉と
頭の中でリンクしていった。
 
「俺は宗教家っぽい宗教家にはなりたくない」
心の底に信仰を持っていれば、形式に捉われる必要はない、
ということだろうか。
確かにアーサーさんはどの教会にも属していない。
 
ダライ・ラマは、
「愛や慈悲や寛容は人間性の一部であり、
宗教は後からついてくるもの。
信仰がなくても幸福な人生を送ることはできるが
思いやりや献身の気持ちがなければ
幸福になることも成功することもできない」
と説いていた。
 
 
 
「現代社会は、宗教以上に宗教的だ。
社会教・日和見派、社会教・常識派、
誰も彼もがそんな宗派に属している」
というアーサーさんの言葉にも膝を打った。
 
サピエンス全史の中で
ユヴァル・ノア・ハラリは、
「もし宗教が、
超人間的な秩序の新法に基づく
人間の規範や価値観の体系であるとすれば、
ソヴィエト連邦の共産主義は、
イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった」
と書いている。
 
 
 
真理を追求しようとする人達は、
登る山は違えど、
高みから見える景色は同じなのかもしれない。
そんなことを思いながら、北海道に戻った。
 
 
 
今宵、中秋の名月は燦然と輝き、
山の稜線を蒼く浮かび上がらせる。
この神性にこうべを垂れる心に、
キリスト教徒も仏教徒も変わりはないだろう。
 
鹿たちはどんな気持ちでこの月を見ているのだろう。
そんなことをぼんやり考えていると、
雌鹿を呼ぶ雄鹿の鳴き声が
遠くから聞こえてきた。
 
僕がまた、独りで山を歩く、
あの季節が巡ってきたのだ。
 
 
 
追記
今回のイベントの主催者であり、
対談を企画して下さった田中克成さんには
深く感謝しております。
「自分をよろこばせる習慣」という
ベストセラーの著者である田中さんは、
拙著の出版時に
プロとして的確なアドバイスを下さった恩人です。
今回も、アーサーさんをはじめ
たくさんの素敵な方々とのご縁を繋いで下さりました。
この場を借りて、深く御礼申し上げます。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?