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猟道整備、熊を獲る準備。

マタギの人々が近くにいる生活をし始めて3年目。「猟道整備」に行ってきた。

猟道って当たり前のように書いたのだけど、茶道みたいな精神的な「道」ではなくもっと具体的な「道」、猟に使う道のこと。マタギが熊を獲る場所は、山の中でもさらに深い奥の山。何年かに一度、生えまくった草やら低木を刈り取らないと猟場まで歩くのに難儀したり、せっかく熊がいたとしても草が邪魔で逃してしまうこともある。なので、毎年一回、草が生えまくった猟場をみんなでせっせと草刈りしています。自分がこの草刈りに参加するのは2回目。マタギの猟場はいつも入っている山よりも一層深くて濃いところにあるので、とてもとてもたのしくて興奮する。

見えない道を歩く。
マタギが歩いてきた道。
吊り橋。

マタギのみなさんは何度もその猟場に通っているので、もちろんその猟場への道を熟知しているのだけれど、はじめて行く僕からすると「えっ、そこから入るの!?」「ここにこんな道があるの!?」「吊り橋!?」!?!?!の連続でとてもとてもとても興奮する。

獣道ならぬマタギ道のある杉林をぞろぞろと歩き、吊り橋のある川を渡ると「オオブカ」と言われる猟場のふもとに到着する。猟場の名前はその付近の沢の名前であることが多い。今回の猟場もその例に漏れず「大深沢」という沢の周りを取り囲んでいた。林道の脇に車を停め、そのふもとに到着するまで30分ほどの道のりだった。

みんなでぞろぞろ杉林を歩いている途中、向かいの山から爆竹の音が聞こえた。「きのこ採りだな」と口を揃えてみんなが言っている。マタギ道と書いたことを訂正する。ここらへんに住む人や、秋田県の人はマタギじゃなくともこんな深い山に来る。山菜採りやらきのこ採りってすごい文化だなあと改めて思う。

猟場のふもと。
一服。
木。きのこ採りが目印をつけたのだと思う。
一見藪だらけのよう見えるが・・・
藪の下には道があるので案外歩きやすい。

猟場のふもとで少し休む。みんな座った途端いろんな話をしはじめる。
熊を2頭その猟場で逃した、あの木で舞茸採れた、あの木から出そうだな、ヤマ(僕のこと)見てこーい、昔は草刈機じゃなくて鎌持って草刈ってたんだよ、このキノコ食える?(僕)、食えね(勝手に捨てられた)、などなど。最初に僕はこの地域に来て3年目だと書いたけれど、この人たちは30年や40年、ヘタをすると50年くらいこの地域のこの山に入り続けている。人生だ。

尾根沿いにぐんぐん山を登っていく。何年も草を刈っていないので草は生え散らかしている。そんな道にもやっぱり道が残っていることにまた驚かされる。マタギの人や地元の人たちがこの山のこの場所を何度も何度も歩くので草が生えないのだろう。草刈機を担いで、藪漕ぎをするとなると時間がいくらあっても足りないけれど、この道のおかげで特に苦労することなく草刈りポイントまでたどり着くことができた。

さて、ここから先はとくに書くこともない。ただただ必死に草刈りだ。みんなが一生懸命草刈りをしている様子を写真に撮ったのでもしよければご覧になってください。標高700メートルくらいのところで、汗水流しながら草刈りをしてきた様子。

草刈り1。
草刈り2。
休憩。山で寝るのっていいです。
草刈り3。
崖みたいなところもある。3箇所くらい。
けっこう高いところまできた。
鎌で刈る79歳。
山頂付近の向かいの山。
草刈り終わり。おつかれさまでしたの様子。
帰ります。

いいカメラを手に入れたので調子に乗っていっぱいあげてしまった。

朝7時に集合して、草刈りが終わったのは14時。そこから降りて車に戻ったのが16時だった。降りるのにも2時間ほどかかる大変な草刈りだった。めちゃくちゃ疲れたけど、ほんとうにたのしかったし、こういうことは丁寧にというか、ありのままに伝えたいと思ってnoteに書かせていただいた。

・・・

マタギってなんなんだろう?とか、動物を殺して自分達が生きることってなんなんだろう?って考えることがある。思うのは自分はものすごく不平等な世界に生きているのだなということ。自分が当たり前のように肉を食っていることや、肉を食っていることに疑問を感じたりすること、それそのものが他の動物とは全くフェアではない、ひとつ上のところから世界を眺めているからこそ出てくる疑問なのだ。

「8人くらいで、標高700メートルくらいのところまで、草刈機を持って草を刈る」くらいのことをしないと、熊は獲れない。ほんとうは肉を獲るのは難しい。めちゃくちゃ当たり前なのだけど、1日かけてこういうことをすると、身に沁みてくる。同時に、マタギってなんなのかとか、動物を殺してうんぬん、なんてこともちょっとどうでもよくなってくる。自分の身体を使って肉を獲るための準備をするからこそ、一瞬かもしれないけれど動物と同じ場所に降りることができるからだと思う。このことが何の役に立つのか、どんなふうに社会に貢献できるのか、まったくわからないのだけれど、僕はそういう具体的な感覚を得ていくことが必要だと思っているし、必要な人は僕のほかにもたくさんいると思っている。

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