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猟記(三)

今日も今日とて猟。
猟と言っても獲物をみているわけでも捉えているわけでもないので、あんまり書くことがないよねーと思いきや、歩いているとどんどん書きたいことが湧いてくる。今日の狩猟とは全く関係のないことなのだけど。いつもはそういうことって脇に追いやって別のことを書こうと努力するのだけど、今日は素直にそのことを吐き出してみようかなと。

やっぱり何度猟に行こうと「なんでこんなことをしてるんだ自分は?」と、いつも考えてしまう。なんで?というのはなんで動物を殺すために山に入っているんだろう、という問い。動物からしたらたまったものではない。赤い服を着た人間がぎらりと光る怪しい筒を持って下から登ってくる。そして見つかったと思ったら、ドンッと大きな音がする。その音を聴くのが先か、それとも死ぬのが先か、それはわからないけれど、訳もわからないうちに死んでいる。ほんとうに何でこんなことをしているのか分からなくなる。これはいいことなのか、悪いことなのか。

動物を殺したその上に僕たちの生活が成り立っていることは、大人であれば、いや、物心のついた子どもでも知っている事実だ。その当たり前の事実を実際に体験するために僕は山に入っている。僕が動物を殺して、そしてその肉をいただくことで、その当たり前の事実を身体で実感したい。しなければならないとさえ思っている。でもほんとうにそんなことをしないといけないのかな、ともずっと思っていて。自分のその個人的な感情のために殺される動物。それってなんかあまりにも自己中心的すぎないか?人類全体で見れば、動物に対してものすごく酷いことをしている割合が高いのに、さらに僕は酷いほうに加担するのか?うーん、そういうつもりではないのだけど・・・。

動物がかわいそうという意見も、そして僕たちは動物を殺したその上に生きているという意見、どちらもわかるし、この問題に正解はない。そしてこの問題に対してどういう態度をとるのかについても、おそらく正解はない。静観が正しいのか、あるいは屠畜場に行って屠畜を体験するのが正しいのか、僕のように狩猟をするのが正しいのか、どれも正解のようで正解でない。でも、今のところ僕は狩猟をすることを選択している。僕にとってのこの問いに対する態度は、「狩猟」というだけで、自分を全肯定する(これが正しい答えだとする)気なんてまったくない。今も迷いの途中にあるし、今後もずっと迷い続けると思う。
ただ、遊びでやってるわけではないことだけは伝わったらいいなと思っている。怖い怖いと普段noteに書いているけれど、その気持ちもありながらも、ずっと本気で獲るぞと思っているし、もちろん動物側だって、絶対に逃げてやると思っているはず。そういう本気のぶつかり合いの末に起きた結果に、何か本質的なことがあるのではないか、と勝手に、本当に勝手に思っている。迷ってはいるもののまだ当分は狩猟を続けたいと思っています。これから自分はどう思うのか、どうしたいのか、書き続けることで見えてくるものに期待しています。

今日の猟の様子

スタート
藪だらけの道。ここを通るのが嫌だったのルートを変更して谷に降りた。
谷は石があったり、地面がドロドロで歩きにくかったけど、藪漕ぎするよりマシだった。
谷で撮った景色。
落ちていた山葡萄。完熟でめちゃくちゃおいしかった。
いい木。
頂上の台地のようなところ。地図をみてここに動物いそうだなあとか思ったけど気配なし。
帰りも別の谷経由で帰った。手ぶらで帰るのは嫌だったので、アケビの蔓を回収。ものすごくいい蔓がたくさん手に入ってホクホクで帰宅した。

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