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糸を紡いできた。

うまく書こうとすると書き始められない。勢い、衝動、えいやで書く。

糸を紡ぐ会、というワークショップに参加してきた。
糸を紡ぐ。具体的にどういう行為なんだろうか。この「紡ぐ」ということばに対して少し違和感を持っていた。「紡ぐ」という行為が生活のなかでなさすぎて、なにをしてどうなったら「紡ぐ」になるのか今のいままで知らなかったのだ。
みんなことばを紡いだり、じかんを紡いだりしているけれど、紡ぐっていったいなんなんだろう?ずっとずっと疑問に思っていた。

「ミヤマイラクサ」という植物がいる。山菜を採る人たちからは「アイコ」と呼ばれて親しまれている春の山菜。茎にトゲがあるので若いうちにプチっプチっともぎりとられては、皮を剥いで生姜醤油につけて食べたり、お味噌汁に入れて食べられたりする。そんなアイコちゃんには山菜としての顔の他に、「繊維を使って糸が紡がれてきた」というもう一つの顔がある。なにかの本でその知識を得ていた僕は、「アイコで糸を作れるんだ。昔の人ってすごいなあ。」と思うだけで、もうすでに失われた技術だろうから、自分がそれをやれる日が来るなんて夢にも思わず、ただただ諦めていた。

そんなこんなでアイコのことなんて忘れて山での生活をしているなか、Facebookで「アイコで糸を紡ぐ会」というワークショップが開かれているという情報が入ってくる。アイコで糸を紡いでいる人がこの世のにいるのか!という衝撃とさらにはそのやり方を教えてくれる!と。僕が今回行ったのは第3回目の開催だったのだけれど、第1回目の開催のときから行ってみたい!と強く思っていて(予定が会わず断念)、今回やっとのことで参加することができた。めちゃくちゃたのしみだった。

場所は青森県の三戸郡五戸町にある「サブロク家」というところ。そこではこのワークショップの他にも染めものや味噌づくりなどのワークショップをやったりだとか、えんがわマーケットというイベントをやったりだとか、昔ながらの知恵をみんなで共有できる素敵な試みをたくさんされているらしい。その「サブロク家」さんというところで、糸を紡ぐ講師をしてくれたのが「工房天羽(あまのは)」の成田夫妻。工房天羽という名前をどこかで見たことがある、と思っていたのだけれど新婚旅行の時に行った、秋田県鹿角市にある「道の駅おおゆ」という場所で彼らの作品を購入していた。

一般的に道の駅で販売されているような蔓細工品とは違って、蔓の個性をそのまま活かした籠に衝撃を受けて、自分もこういうものを作りたいし、目指したいと思って買ったのだった。改めて撮ったのだけどすごくいい。

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阿仁から2時間と40分ほどかけて青森県に。いよいよはじまる。ここからは自分の復習も兼ねて写真を使いながらアイコから糸を紡ぐワークショップの全貌を書いてゆきます。夏から今の時期にかけて大きく育ったアイコが対象になる。若いアイコだと繊維が十分にないらしい。事前に成田さんたちが採ってきてくれたアイコを使ってワークショップが始まった。

まずアイコの葉っぱを取り除く。茎がチクチクするので厚手のゴム手袋を使ってぶちっぶちっと取り除く。そして茎を折って皮を剥ぐ。この皮に繊維が含まれているので、皮を剥ぐ時に「繊維もしっかりとるぞ〜」と思いながら少し力をこめて剥がないといけない。

葉っぱをもいで、皮を剥いでいる様子。

剥いだ皮は繊維が含まれているので少し硬い。ホームセンターで販売されている「皮はぎ」ヘラを使って剥いだ皮を半分に折る。「パキッ」と音がしたらそのままなめらかに繊維を剥ぎ取っていく。ここらへんは説明が難しい。わけがわからないかもしれないけれど、皮の中に含まれている繊維だけをどうにかして取っていく作業だと認識していただければと思う。ちょっとコツがいるけれど、やってみるとそこまで難しい作業でもなかった。

「パキッ」と音がする。
アイコの繊維をはじめてとった。

採った繊維は丸めたりせず、線状のままおいておく。これを永遠に繰り返す。一つのアイコから取り出せる繊維の数は超微量。昔の人の根気強さには本当に恐れ入る。これで服を作るって、どれだけの量のアイコとどれだけの量の繊維が必要なんだ・・・。ワークショップに参加した人々で午前中ずっと繊維を採った。これだけのアイコからこれだけの繊維が採れる。この繊維を使って糸を紡ぐ。

みんなでとったアイコの繊維。最後に均等にして持ち帰った。
ちょっと伝わりづらいけど、こんなにたくさんのアイコからとれる繊維は少しだけ。

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繊維は風通しのよい場所で乾燥させておけば割と早い段階で使えるようになる。今回は事前に用意された乾燥アイコの繊維を使って糸を紡ぐ体験をさせてもらった。
左にひねって右に回す。左にひねって右に回す。左にひねって・・・これをまたずっと繰り返すとさっきまでか細くて弱かった繊維が、2本縒りの糸になる。
「これが紡ぐ・・・!」。
紡ぐという動詞に密かに感動しながらずっとひたすら同じ作業を繰り返す。繊維を強くねじりすぎると、繊維が切れてしまったり、出来上がった糸が真っ直ぐにならずにウネウネと個性を持ってしまう(自分の糸はそうなってしまった)。逆に弱すぎても強度のない糸になってしまう。いい塩梅を見つけるにはもう少し経験が必要そうだ。僕は次の工程にも進んでみたかったので大体のところで糸紡ぎを終えたのだけれど、ワークショップの終わりまでずっと糸を紡いでいた人もいた。みんなそれぞれに個性のある糸が出来上がっていて、すごく最高だった。

乾燥したアイコの繊維。めちゃくちゃ美しい。
糸を紡ぐ。左にねじって、右に回す。
自分も紡いだ。
糸を紡ぐ。
繊維が糸になる。

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紡いだ糸で次は「織り」をする。自分で紡いだ糸を使って何かを作る。なんかやばいことをやっている気分だ。今回は成田さんたちが用意してくれた織り工作セットを使ってアイコ糸のコースターを作ることに。自分で作った糸には少しほつれがあったり、太い部分や細い部分があったりで編み込むのにちょっと苦労した。時間内に終わることができなかったので、家に持ち帰ることに。家で続きをやって、これ以上編み込めないところまできたのだけれど、ここからどうすればいいんだろう?わかんないのでまた聞こう。

自分の作品。もうこれ以上糸が入らなくなってしまった。
みんなの作品。かわいい。
みんなの作品。おしゃれ。

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なんにせよ「糸を紡ぐ」という作業はたのしかった。同じ作業を繰り返しているとだんだんと何も考えずただ手だけが動く。その状態がすごく心地いい。途方もない量の糸を昔の人たちは紡いでいたのだなあ。雪をかくくらいしかやることのない冬の間、暖炉で温まりながら糸を紡いでいる昔の人たちを想像した。途方もない量の繊維を前にしてどんな感情だったんだろうか。

最後の感想会で講師の成田さんがこんなことを言っていた。
「『紡ぐ』という行為が猿を人間にした」
「紡ぐ」という行為に人間らしさが含まれているという成田さんのことばは、「採る」という行為に人間らしさを見出している自分にとっては軽い衝撃だった。でも実際に糸を紡ぐ体験をしたからこそ、成田さんのことばはすっと理解できたし、本当にそうかもしれないなと素直に思えた。「糸を紡ぐというのは本能をくすぐる作業」ともおっしゃっていたな。まさにその通りのように思う。

心と身体を使って「糸を紡ぐ」体験ができたことにとてもとても満足しながらワークショップは終わった。ほんとうに行ってよかったなあと思いながら阿仁に帰った。

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最後に、こんな素晴らしいワークショップを開いてくれたサブロク家の麻央さんにほんとに感謝したいです。お料理もめちゃくちゃおいしかったです。雑穀料理というジャンル(があるのかわからないけれど)を自分も学びたいと思いました。滋味深い味が身体に染み渡りました。ありがとうございました。
一緒にこのワークショップに参加したみなさんともお友達になれたのでよかったです。岩手や青森の手仕事大好きな人たちと繋がれるのってちょっとこれまでなかったのでほんと嬉しいです。これからもよろしくお願いします。
そして成田さんご夫婦、惜しげもなくこんなすごいスキルを教えてくださって、ありがとうございました。秋田でも少しずつ糸を紡いでいけたらなと思ってます。「アカソ」のワークショップも時間が合えば参加したいと思います。ありがとうございました。

長くなってしまった。ここまで読んでくれた奇跡みたいな人たち、ほんとありがとうございます。阿仁で糸を紡ぎましょうね。

お昼ごはんごちそうさまでした!

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