【与太話】『ゲーム』への個人的見解

※本内容は私個人の知見に基づくものであり、「内容の正確性」は担保できません。
なので、誤解や錯誤による話になるかもしれませんのでご了承ください。

1:『ゲーム』という単語のイメージ

一般的に『ゲーム』と聞いて思い浮かべる像は?
おそらく『ニンテンドーSwitch』『プレステ』に代表されるテレビゲームか
近年だとスマホゲーム、
SteamなどのPCゲームも入るだろう。
要は『コンピューターゲーム』だ。

『ゲーム』はそれ以前にもあった。

例えば『D&D』に代表される
複数人で卓を囲み冒険をするゲームを
本来『RPG』と呼んだのだが、
『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』シリーズが
『RPG』と銘打たれ
世間がそれらのことを『RPG』と認知してしまった。
それらとの差別化のためにわざわざ
『テーブルトークRPG(TRPG)』
と名称変更された…という話を見たことがある。

ファミコン世代以降にとって
『ゲーム』≒コンピューターゲーム
ではあるものの
ある程度の割合に認知されてる
別スタイルのゲームがある。
『マジック・ザ・ギャザリング』『遊戯王』『ポケカ』などの
『トレーディングカードゲーム』である。

しかしそれでも
 単に『ゲーム』と言われたときに
『トレーディングカードゲーム』が先に思い浮かぶことはまずないだろう。

2:『ゲーム』とは何か?

1で述べた通り、現在の『ゲーム』の一般的なイメージはコンピューターゲームだが

本来の『ゲーム』とは何か?

わかりやすいところで
野球やサッカーも
試合を『ゲーム』と呼ぶ。
つまり

  • ルールに則り

  • 相手がいて

  • 勝敗が決する遊戯や競技

これすなわち『ゲーム』である
将棋も囲碁も
ポーカーもブラックジャックも
じゃんけんさえも
全て『ゲーム』なのだ

3:『コンピューターゲーム』の功罪

『コンピューターゲーム』は
素晴らしいものだ

  • 公平である

  • 複雑な確率演算を使える

  • 秘匿情報を扱いやすい

  • 疲れ知らず

  • 文句や愚痴を言わない

  • 対人戦である必要がない

この『相手の人間を必要としない』はかなり大きい
人間の相手を見つけるのはなかなか大変だからだ
これがコンピューターゲーム以前より何倍も
『ゲーム』が世界中の娯楽に成長した理由だろう。

同時に『相手の人間がいない』ということは
どんなに悪態をついても文句が返ってくることはないのだ。
そのあたりからモラルハザードが来てしまった側面はあるかもしれない。

4:『パズル』と『ゲーム』1

『パズルゲーム』というジャンルがあるけども
その中にも大まかに2種類あると思う

A,ギミックが固定され、解法がほぼ1つ

B,ランダム要素があり解法は不定

Aは詰将棋とかジグソーパズルなど、
近年だとスマホの『ピン抜きゲー』なんかがそう

Bは『テトリス』から続く『落ちものパズルゲー』など

だが、実は
『スーパーマリオ』などのアクションゲームや
弾幕よけのシューティングゲーム
それに『音ゲー』など
多くはAに属する。
なぜなら
『ギミックが固定されており』
『クリアの最適解が存在する』
からである

近年『RTA』が度々話題になるが
バグ技利用も含め『最適解』を見つけるところにカタルシスがある。

ここで質問
『1つの最適解を探し当てること』は【ゲーム】か否か?

私の考えでは
【否。正確にいうならそれはゲームではなく、パズルだ】
である。

ちなみに
最初に『ゲーム』の一般的イメージの話をしたけども
それを否定したいのではなくて
ここ以降、私がいう『ゲーム』とは
パズルではない『狭義のゲーム』とご理解いただきたい。

5:『パズル』と『ゲーム』2

そう考えるのは何故か?
スポーツで考えてみよう

AチームとBチームの対戦において
絶対にAチームが勝利する
『最適解』が存在する

…としたらそれは『試合』になるのか?と
いつでも通用する最適解が存在したらスポーツ競技は成立しない。
『ゲームにならない』から。

実際には
実力差はあるとしても
『選手や会場内のコンディション』
『天候』などにより
『絶対勝利の最適解』は存在しない。

だけども
『コンピューターゲーム』は
容易に同じ条件を再現する
それがプレイヤーに対する『公平』だからである
だから『最適解』も存在する

私の考えでは、ソレは
『パズル』であって『ゲーム』ではない

つまり前項の例をひくと

A,ギミックが固定され、解法がほぼ1つ→パズル

B,ランダム要素があり解法は不定
→狭義のゲーム

ということである。
だけどもけっして
『狭義のゲームは良くて、パズルは劣る』
と言いたいわけではない
パズルを解く楽しみも大きいものがある!

しかし
『パズルとゲームを一緒くたにする弊害があるのでは?』
というのが私の所感である。

6:『パズルとゲーム一緒くた』の弊害

a,相手を見なくなる

『パズル』を解く感覚で
『最適解』を探す行為は楽しい
楽しいけどもコンピューターゲームでいうなら、
バグ技を探し利用するのが目的と化したら?
CPU相手ならともかく
対人戦でそういう振る舞いをするのは相手を正しく見ていない。
サッカーでいえば、ファウルをいかに誤魔化して試合を有利に運ぶか?と考えるのと似ている。

極端にいえば
コンピューターゲームにおいての
『チーター』の考えに近い。
それはプログラムへの挑戦であり
さらにいえばゲーム制作者への挑戦である。

それら『ルールメイカー、ジャッジ』に戦いを挑むことを
私は『ゲーム』と呼びたくない

余談になるが、いわゆる
『デスゲーム』系
物語としては面白いが
『狭義のゲーム』には当たらず
デスゲーム主催者に挑戦する
『パズル』と見ていいだろう

b,マンチキン化

aとあまり変わらないかもしれない。
よく
『ガチ勢』VS『カジュアル勢』
といった話題が盛り上がるけども
ガチ勢のなかには
単に『勝ち馬に乗りたい』というだけでなく
『システムに勝った証明としての勝利』を求めている人もいるのでは?
それも『パズルを解く感覚』からくるのではないか?と思う。

もちろんガチ勢すべてがマンチキンだ、などと暴言を吐く気はないし
マンチキン傾向人物をどうこうしろ!ともいえない。
そういう人は一定割合居るものとして考えておくしかないと思う。

c,ゲーム制作者の勘違い?

私はゲーム制作者ではないし
そのような界隈の人達と交流する機会もなかった。
しかし、コンピューターゲームを通して
『伝わってくるもの』は確実にあると思う。

なかには
『この制作者チームは【狭義のゲーム】をしたことがあるのだろうか?』と
感じさせられたゲームもあった

簡単にいうと私は
『プレイヤーを楽しませる箱庭を整備するのがゲーム制作者』
だと思うのだが
勘違いしているゲーム制作者は
『オレタチの作ったスゲーものをみせてやるよ!オレタチにチャレンジしてこい!』
という感じ。
結局『過酷な課題をトップダウンで与える役』と勘違いしている。
先程も言ったように、
そういう『課題を解くジャンル』はあるし
それらは元から『パズル寄り』なので問題ない。

そうでないジャンルで過剰なトップダウンをやるから問題なのだ。
たとえばRPGとか。

マジック・ザ・ギャザリングの首席デザイナー
Mark Rosewater氏は
過去のマジックセット制作についての反省コラムを定期的に書いている
例えば

どれも有意義だと思うが
特に「ゴチ!」システムへの反省が興味深い

『ゴチ!』とは
カードの効果であり
なにか「単語」(例:ドロー)を指定し
その「単語」を発したプレイヤーに『ゴチ!』と宣言することで
何らかの効果が得られるシステム

テストプレイではとても楽しく
最高のシステムだと彼らは感じていたが
それは『相互理解済』の罠だった
「これ面白いだろ?!」とリリースしたら
基本的に勝ちたいユーザーたちは、楽しむどころか
会話すら拒否せざるを得なくなった…というものだ

これは「やらかし」だが、
大事なのは
「リサーチ&反省&次回に活かす」
ことなのである
その点だけみてもMark Rosewater氏は優れたゲーム制作者なのだ

果たして、多くのゲーム制作者たちは
売上げや表面上のアンケートだけでコレを為せているのだろうか?


7:与太話ゆえに…

特に『こうあるべき』などオチをつけるつもりはない。

あくまでも
自分個人の話だと前もってお断りしておくけども

自分は『ゲーム』をやる上で
『特定のコミュニティ』に加入せねばならない場合が苦手である。

私は『人間関係力学』に敏感なので
マンチキン傾向メンバーがいる場合は言うまでもないが
友好的グループであったとしても
『勝ち負けはゲーム後、水に流す』のはなかなか難しいのだ
プレイ中イライラされてしまうともうやめたくなる
(私自身、その傾向がある)
なので、半固定メンバーになりがちなコミュニティ加入前提には心理的障壁が高い。
一期一会の大会スタイルの方が性に合ってる気はする。





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