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「何者にもなれなかった大人」を耳が痛く感じる大人に読んでほしい

最近「何者にもなれなかった大人が」から始まる批判的な意見を耳にする事が多い気がします。私はそんな言葉をなんとなく耳が痛く感じていました。よく考えると「何者」かがよく分かっていない事に気づく訳です。ここでは、私が私にとっての「何者」かが何かを考えたら気持ちが楽になった話です。あなたの「何者」を探すヒントになれば幸いです。

「何者」は肩書きではない

「何者かになる」とはどういう事かを考えた時まず初めに思いついたのが、ごく少数しかなれない職業、例えば総理大臣や宇宙飛行士とかを思い浮かべましたが、全く納得感がないわけです。ごく少数でも複数人いる時点でなんか「何者」感が無くなってしまう気がするわけです。もちろん、総理大臣や宇宙飛行士こそ子どもの頃の「何者かになる」の答えだと感じる人はいるのだと思います。ただ、私は違う。

「何者」はNo. 1でもオンリーワンでもない

次に思いついたのは世界一や唯一の存在、具体的にはオリンピックのキンメダリストや親ですが、まぁある種の「何者」かではあると感じるものの子どもの頃ぼんやり思い浮かべていたものとは違う訳です。何かの大会とかで世界一を取るという事は本当に凄い事と素直に感じる一方で、「私はあなたの唯一の親です」と言われるのと同じく「だから何?」と感じるわけです。

「何者」とは憧れの人である

じゃアイドルとか?と自問自答するとアイドルになりたいわけではないけどアイドルはその「何者」かに近いと感じるわけです。次の瞬間気づきました。憧れこそが「何者」かの正体だと。私にとっては、多くの人に憧れられるような存在こそが「何者」だったと確信しました。もっと具体的に言うと自分のファンを持つ事です。それと同時に子どもの頃から憧れの人が一人もいなかったからこそ「憧れられる」事がどういう事か分からず「何者」かになるという曖昧なイメージになったのだとも思いました。それが分かってから「何者にもなれない」大人ではなく、自分にとっての「何者」を目指し成長を続けている大人であると思えるようになり、もやもやが消えました。

あなたにとっての「何者」もきっとある

これまでの話は私の自問自答でしたが、他の人にとっての「何者」もきっとあると思います。「何者にもなれなかった」と聞くともやもやする人は、まず自分にとっての「何者」を見つけ出し、自分が納得する進むべき道を見つけられると気持ちが楽になるかもしれません。

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