レポート
《6月13日 懇親会の帰り、忘れ物を取りに部室に寄ったら、電気の点いていない部室で誰かの首筋に顔を埋めている堂浦センパイを見てしまった。相手は後ろ姿でわからない。おれはセンパイと目が合って、気まずくて逃げ出してしまった。暗闇にいる彼はまるで絵画のようだった。純血のヴァンパイアがいるとしたら、きっとあんなふうに吸血するんだろう。》
もしも、彼がおれの憧れの、純血のヴァンパイアだったのなら。
その日から、おれは堂浦センパイを観察することにした。
大学に入学してすぐ、おれはオカルト研究部に入った。
メンバーは新入生のおれと、別学部の平川、3年生の堂浦センパイの実質三人。春に呼び込みをかけていた他の先輩たちはみんな4年生で、おれたちの入部が決まってすぐ、就職活動を理由に引退してしまった。
「この森君の、“ヴァンパイアが生活しやすい街の比較調査”、なかなか面白そうではないか?大学祭のテーマはこれがいいと思うのだが。」
蒸し暑い梅雨の晴れ間。古い冷房がカタカタ鳴っている部室で、紙パックのジュースを片手に三人分の研究計画書を読み込んでいた堂浦センパイが顔を上げた。
オカルト研究部の主な年間行事は11月にある大学祭の展示だ。
それ以外は月に1回。毎月13日に大学構内の外れにある部室棟で、お互いの趣味活動の進捗を報告する、という名目でとりあえず集まる。部活動というより、マイナー趣味の友だちを見つけるオフ会に近い。
4月は入部届の受付、5月は歓迎会、6月は懇親会と4年生の送別会。夏休み期間は、大学祭の準備のために、部員が協力し合って調べものをすることになっている。
7月の今日はそのテーマを決める日だ。
おれの提案した研究テーマは『ヴァンパイア』。
おれは、小さい頃から心を惹きつけてやまないこの存在のことを、日々考えずにはいられなかった。
定番の吸血スポットである『繁華街の裏道』のように、人気のない場所や時間に若者が出歩いていると狙われやすいという通説を踏まえると、静けさを好む彼らは下宿生が多い田舎の大学近辺にも潜んでいるのではないか、という仮説をもとにフィールドワークを行う企画だ。
「ありがとうございます。この暑い中出歩くことになっちゃうんですけど、センパイ、大丈夫っすか?」
透き通るような白い肌に、艶のある髪、切れ長の目。気高き純血のヴァンパイア。
黒い装束を身に纏い、深い森で孤独な生活を送る美しくもミステリアスな彼らは、時代とともに世間に順応し、最近では、街で人間に紛れて生活しているという。
蒸した部屋で、その特徴を見事になぞらえた男と目が合う。
「ああ、構わない。俺も興味がある。」
堅苦しく冷静な喋り方とは反対に、大きな瞳は光りだしそうな迫力がある。
「平川はどう?」
センパイの興味はどういう意味ですか?と、言いたいのを堪え、平川にも話を振る。
「僕も賛成。大学祭がハロウィンの週だから、ついでにお菓子も配ったら楽しそう。森の仮説が正しかったら、僕たちにも身近で夢がある話だなあ。蚊には食われやすいタイプなんだけど、大丈夫だと思う?にんにく持ってく?」
にんにく、十字架、虫除けスプレー、お菓子……とメモを取る平川のペンケースについた熊よけの大きな鈴が、カランと鳴った。
平川もかなり乗り気みたいだ。
おれたちの大学は、オフィス街で働くサラリーマンのベッドタウンにはやや遠く、中心地から電車で約2時間半の、山に囲まれた自然豊かな場所にある。
駅前にはコンビニエンスストア、スーパーマーケット、チェーンの飲食店が立ち並ぶものの、店員は近隣に下宿している学生アルバイターで賄われ、客の殆どが大学関係者という、アットホームな、悪く言えば閉鎖的な、自給自足生活を送っていた。
まさに、調査対象として挙げた『下宿生が多い田舎の大学』だ。
「都市部は飲食店ですぐに涼めるとして、この辺は、日陰が少ないから山に入るまでに溶けてしまいそうだな。」
(日光で溶ける、ね……)
つい怪しい言い回しを拾ってしまう。そういう性なのだ。
「日中と夕方と夜、山に入るのにどれがいいか、おれも迷いました。」
「夕方か〜。逢魔が時は、やっぱりオカ研的にはあまり良くないですよね。蚊も増えるし……」
「そうだな、早朝にしよう。」
一度も蚊に刺されたことのなさそうな陶器のような頬が柔らかく動いた。
「ところで森君、もし道中、本物に出会ってしまったらどうするつもりだ。」
ズロロロ……とストローを一気に吸ったセンパイは、呑気に口の端に残ったトマトの真っ赤な果汁をぺろりと舐め、どこか楽しそうだ。
そんなことは100%に限りなく近く、無い話なのだが、もしもの話はオカルト好きの血が騒ぐのだろう。
でもおれは、あの日から、センパイがヴァンパイアだったらということばかりを想像してしまうのだ。
もしも探っていることを勘付かれたら、口封じに、おれの首筋にもこの男の口元が近づくのだろうか。
(誘導尋問を受けている気分だ……まさか、おれが疑っていることはバレていないだろうな……)
「ええと、最近ではヴァンパイア同士でもお互いにわからないくらい人間に擬態する能力が高く進化してて、もし見つけられたらすごいことなんで……詳しい話が聞きたいっすけど、おれはたぶん口封じに殺されちゃうと思うので、抵抗される前に捕縛して、何かで釣るか脅すかして……」
おそるおそる正直に答えたら、部室の空気は真っ二つに割れてしまった。
「んふ、あはは、物騒だな!君は本当にヴァンパイア馬鹿だ!」
「森、怖いよ!先輩!僕、ヴァンパイアより森の方が怖いです!」
「もしもの話だよ、もしもの!」
センパイの笑い声と平川の叫び声が、蝉の声とおれの疑念をかき消すように響いていた。
《7月13日 夏休みの活動予定を立てた。彼は自分が疑われていることに勘付いているのかいないのか。今回ばかりはおれの思い違いで、センパイがヴァンパイアではないことを願いたい。》
8月。真夏のフィールドワークは思いの外スムーズに終えることができた。三人で早朝から候補地を数か所回り、中心地で食事をとり、夕方には帰路についた。
実家から通っている平川は途中で電車を降りて、下宿先の駅まで一時間近くセンパイと二人。ふたりっきりになるのは初めてだ。
(何を話したらいいんだ……)
おれは隣に座る男にヴァンパイアの疑いをかけている。
あの6月の夜に会いさえしなければ、疑いもしなかったであろう。疑わしい言動はあるにせよ、普段の彼はただの美しい青年だ。やはり、あの日のことを無難に聞いてみるしかないだろう。
「あの、おれ、6月の送別会の後、センパイに会いましたよね。」
「ああ、あれか。」
やはり彼だった。そこは間違いないみたいだ。
「あの時は、君を驚かせて済まなかったと思っている。」
斜め下からつぶやくような声が聞こえて首だけで振り返ると、俯いていた彼もこちらを向いて座り直した。
「口にするのは恥ずかしいのだが、あの日は先輩方の引退が心細くて、親しい先輩の胸を借りて弱音を聞いてもらっていたのだ。俺は人付き合いが上手くなくて、君たちとうまくやっていけるか自信がなかった。しかし君たちは本当に良い後輩で、春からずっと、俺は助けられている。」
センパイは静かに喋り切ると、ふっと背筋を伸ばして晴れ晴れとした笑顔になった。
「はは、やっと言えた。俺からではうまく切り出せなかった。君のおかげだ。ありがとう。これからもよろしく頼む。」
それでは、センパイは誰かから吸血させてもらっていたのではなくて……なんて聞き返せるわけもなかった。
なにより、その曇りのない真っ直ぐな表情を見た瞬間、胸を掻き毟られるような気持ちに襲われ、おれは何も言えなくなってしまった。
《8月13日 今日はフィールドワークだった。センパイは日光に当たっても平気そうだった。帰りに6月の夜の話を聞いた。彼が嘘をついているようには思えなかった。》
6月の話の真相を本人の口から聞いた今、彼は限りなく潔白だった。
おれは、センパイがヴァンパイアだと決めつけて、それを裏付ける情報を集めようとしてしまったのだろうと反省した。彼の人間離れした美しさや挙動に多少の疑問は残るが、距離が近くなった今、それもじきに解決するだろう。
あとはおれの問題だ。
センパイがヴァンパイアである理由を探しながらも、そうではない条件を見つけた時にほっとした。それから電車で笑顔を見た時に感じた衝動。
この気持ちは一体何なのか。それも、よく考えなければならない。
9月。先輩と二人で間がもたないだろ?と平川にハロウィンコーナーで買ったヴァンパイアの衣装を持たされて、おれはセンパイの家に来た。冷房の壊れた部室の代わりに、彼は自分のアパートを開放してくれたのだ。平川は家の用事で部活を欠席するらしい。
「お邪魔します。」
「どうぞ。」
おれは、自分の気持ちの正体がまだ見えないままだった。
でも、今日は彼の暮らしぶりが見える場所に来た。せめて僅かに残る疑念は晴らして帰りたい。
「何か飲むか?といってもうちにはミネラルウォーターか、コーヒーか、トマトジュースか、赤ワインくらい……あ、森君はまだ未成年か?」
(出た。この人、行動がいちいち紛らわしいんだよ。)
提示されたどことなく疑わしいチョイスにも、最近ではもう驚かなくなってきた。おれはセンパイから乱発される、見せかけのそれらしさに惑わされている場合ではないのだ。
「おれお酒は飲める歳ですよ。あとあの、これ、平川からっす。」
センパイは、どれどれと紙袋の中を覗いて、固まってしまった。
「これは、一着しかないが、誰が……」
「センパイじゃないっすか、平川が持たせるくらいだから。絶対似合いますよ。」
「そ、そうか?気持ちはありがたいが俺は、こういうのを着ると、その、自分で言うのもなんだが、異様に似合いすぎてしまって……」
センパイはお湯を沸かしながらガチャガチャとマグカップを出し、ワインを注ぎ始めた。
(動揺してるな。こういう俗っぽいの苦手だったか。それとも……)
万が一、すべてが演技だったのなら、手は打ってある。
ここなら何をしても、誰にも見られることはない。
おれは紙袋の底の麻縄が見えないように衣装を取り出して、背後から真っ黒なマントをセンパイの肩にかけた。
「もしかしてセンパイって、なんかどっかの血が混ざってるんですか?」
マントを被せられたまま、センパイの動きが止まった。
おれは構わずに続ける。今日は彼に対する疑いをはっきりさせなくてはいけない。
「コスプレ程度の話でそんなにガチガチに緊張されると、もしかして本物の血を引いているのかなって疑っちゃいますよ。」
目の前の背中が、ピクリと動いた。
「まさか、森君、俺がヴァンパイアだって疑っているのか……?」
「……はい、そうっす。」
意を決して、返答を待つ。
さっきから、肩に手をかけたまま彼の横顔を覗き込むおれの視界に、チラチラとノイズのような影が映っている。目の神経が軽く締め付けられるような違和感もある。
俯くセンパイ。しかし、ゆっくり振り返ったその背中が大きく震えるやいなや、彼は激しく吹き出した。
「っぷ、あははは、違う違う!俺は確かに混血だが、クオーターなんだ!それで高校の時にこういう衣装を着せられては散々な目に遭って、それを思い出してしまっただけで、あははは!」
笑っている。今までに見たことのないくらい。おれは胸をなでおろした。なんだ、やっぱりセンパイは、おれが探していたヴァンパイアじゃあなかった。勘違いだった恥ずかしさよりも安堵の方が強い。おれも笑った。
いつの間にか、視界を邪魔していたノイズも消えていた。
「研究熱心にもほどがある!もしかして、縄も持ってきているのか?勘違いで縛り上げられたら困るぞ!あははは!」
笑いが止まらないセンパイにこちらもつられ、笑って、笑って、喉が渇いて、その後は夜が来るまで冗談を言いながら、しこたま酒を飲ませ合った。
《9月13日 今日はセンパイの家にあげてもらった。彼が欧州のクオーターであることがわかった。ヴァンパイアは人間に出自や居住地を明かさない。本人からもはっきりと違うと笑われた。おれの仮説は否定された。》
センパイは憧れの純血のヴァンパイアではない。
人間である彼の言動を逐一追い、反応してしまうおれの執着は、多分別のところにある。
10月。後期授業が始まり、オカルト研究部は大学祭に向けての準備が着々と進んでいた。
部員が多かった時期は、焼き鳥を焼いたり、飲み物を売ったりしていたそうだが、今年は人数が少ないので、平川の提案で来場者に駄菓子を配るだけになった。
そして例の衣装は、おれが代わりに着ることにした。
身近に存在しているかもしれないと思われた憧れはあっさりと可能性を失ってしまったが、おれは日々、センパイから目が離せなかった。
撫でつけた前髪に、白いシャツ、細身で長めの丈の黒ジャケット。
眺めていると、目の奥がじわりと温まった。
センパイを凝視して手が止まっているおれの隣で、展示用のパネルを取り付けていた平川が一つ咳払いをした。
「ねえ、森。このレポートの吸血対象って、一般的には若い処女とか言われてるけどさ、ヴァンパイアってその条件なら誰の血でもいいのかな?」
「どういうこと?」
「森はさ、自分がヴァンパイアだったらどうやって餌にありつくか、考えたことある?」
理解のしにくい存在を、自分に置き換えて考える。真面目な平川らしい話だ。
「あるけど、その辺にいる人間の捕まえ方の話ばかりで、相手の条件については深く考えたことなかったな。平川は?」
平川の話は興味深かった。自分の思いもよらない観点が、己を省みる材料になる。
「僕なら知らない人を捕まえるより、好きな人に土下座して頼み込むよ。一般的には処女の血を狙うとか言われてるけど、結局、好きな人のが一番美味しそうじゃない?人間でも好きな匂いの人は遺伝子的な相性がいいとかいわれるし、あながち間違ってないんじゃないかな。」
話を聞きながら、離れたところで作業をしている彼を見やった。また、眼球の裏側が熱くなる。
おれはこの話で、ようやく自分の本当のところが、一本の線で繋がった気がした。
大学祭当日は目まぐるしく過ぎていった。
付き合いで他の出店に顔を出したり、遊びに来たOBの相手をしながら小さな子どもに駄菓子をたかられたりしていたら数日間はあっという間で、どっと疲れたおれたちは、打ち上げを後日にして早々と解散した。
その夜、おれはセンパイが帰宅しているであろうアパートのインターホンを押した。
「言い忘れたことがあって来ちゃいました。」
「そうか。あがるといい。」
あれから何度か家に立ち寄ったこともあり、彼は笑顔で出迎えてくれた。ドアを開けておれを見上げたセンパイが、満月の明るさに目を細めた。
「お邪魔します。」
「ふふ、その衣装、着たままじゃないか。昼間もとても似合っていたが、月の逆光で迫力が増して見えるな。」
ワンルームの薄暗い廊下でマント姿のまま現れたおれを面白がるセンパイに、おれは返事をしなかった。
代わりに両の手を掬って、強く握った。
「大事な話なんで、このまま聞いてください。」
「あ、ああ。」
センパイの指先が緊張している。でも彼は、この手のことに抵抗できない。以前この部屋で彼の肩にマントを掛けた時、わかったことだ。
息がかかるほどの距離で、おれは本題に入った。おれの手も震えている。話し終えるまで、見つめていられないかもしれない。
「実はおれもセンパイのように混血なんです。だから純血のヴァンパイアに憧れて研究を始めたんです。」
唐突な告白に、彼は目を丸くした。
それを見て確信を深める。ああ、やっぱり彼はヴァンパイアなんかじゃない。ただの人間だ。
おれと違って。
「おれは血が薄い分、鼻も効かなくて、」
「鼻が効く?待ってくれ、何の話だ……?」
「純血から受け継いだ部分が未熟なんです。こんなに人間に執着したことないからどうしてセンパイに惹かれたのかもわかってなくて、しばらく同族だと勘違いしてて、恥ずかしかったっす。」
「同族……森君、この話、もしかして君は……」
徐々に眼の奥の方が熱くなり、心臓の拍動に合わせてガンガンとした痛みが後頭部に響き始めた。
「でもこの前、平川に言われたことがあって、」
___好きな人のが一番美味しそうじゃない?
「この憧れには、いろんな欲が隠れていることを知ったんです。それで、ようやくわかりました。おれは、センパイのことを……」
プチッと音がして、自分の眼が、生まれて初めて赤く染まっていくのを感じる。
この瞳が純血種のような美しい深紅に染まっているのならば鏡で見てみたかったと、制御のきかなくなってゆく頭の片隅で思った。
「森君、どうか落ち着いて……」
たじろぐ彼の声も、やがて聴きとれなくなってしまった。真っ赤な視界の中で、彼がパクパクと口を動かして何かを語りかけてくる。何が言いたいかはわからなかったので、手を強く握り直した。
「センパイ……堂浦センパイ、おれ……」
喋りながら、どんどん脳みそがぼんやりしてきた。
おれはきちんと伝えられているだろうか。
(ごめんね、センパイ。)
おれは目の前の体を引き寄せると、背後から抱き竦め、羽織っていたマントで口を覆った。
「んんう!んん!む……」
口を塞がれたセンパイが苦しそうに顎を上げる。
でも、自分の本能には抗えない。
後戻りはできない。
おれは、
ずっと、
センパイのことを、
「ずっと、美味しそうだなって思ってたんです。」
おれは呻き震えるほの白いうなじに、ゆっくりと、鋭く伸びた歯を突き立てた。
【オカルト研究部レポートまとめ
ヴァンパイアの好む視点で様々な街の若年人口比や人通り、犯罪件数などと照らし合わせ点数化した『ヴァンパイアが生活しやすい街の比較調査』の結果、ヴァンパイアは繁華街と同程度に田舎の大学周辺にも潜んでいる可能性が高いと考えられる。
尚、このレポートは、純血のヴァンパイアについての資料を元に作成したものである。
人間とヴァンパイアとの混血種については、吸血欲求の自覚がなく、人としてのアイデンティティを模索しながら人間社会の中で生活する者も多く存在するといわれている。
しかし、混血種にヴァンパイアの特性が現れた場合には、純血種のような生活様式に切り替える必要があり、混血種の中にはそれを見越して、今回のレポート結果のような場所を予め生活の場に選択している者も少なからずいるかもしれない。
文責:森】
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