小山田徹、沈黙の時間の共有から生まれる

2014年10月11日

港千尋さんは、アートは共感の力であり、人と人の間、人間と世界の間の関係をつくりだすための特別な力である。そして「根なし草」である一方「モノと情報の境がなくなるほどの超結びつき社会」の中でアートは関係性をつくりだす、と語った。この日のゲスト小山田徹さんは、港さんのこの言葉に呼応するように、関係性を連鎖させていく場つくりについて語った。

「焚き火にはすべてがあり優るものがない。」それまで饒舌だった小山田が焚き火については言葉を惜しんだ。私は焚き火が固有にもつ「沈黙の時間の共有」について考えた。ある人とコミュニケーションする場合、お互いの頭の中の思考のスピードや領域がずれている分、チグハグになることがある。焚き火は、かき回したり木を足したりして会話する。そして沈黙の時間を共有することで、次第にお互いの身体に流れるペースが合ってくる。生きている時間をお互いに合わせていくことで、名前がわからなくても深くお互いに語れるようになる。沈黙の時間の共有はコミュニケーションの中核をなす。

もう一つ、小山田の話で強くひきつけられたのは……継続する責任を求められるプロジェクトは自分の中で義務化しやすい。やりたいときに始めて、いやになったらやめられるプロジェクトがあってもいいのではないか、との問いである。彼自身は、モチベーションに忠実に従いながら、スピード感をもって状況の変化に対応し関係性をつくりだす。「業界内で通じるのは当たり前。隣に出かけていって有効に通用したスキルが本物といえる。」という言葉に生き方が凝縮されている。

1980年代終わりごろからの話である。演劇集団dumb typeを率いていたとき仲間がエイズになった。エイズに立ち向かおうとしたが、自分たちだけでは前に進めなかった。Art-Scapeという共有空間をつくったが先鋭化し、敷居が高くなったので、ホームパーティの延長のようなWeekend Café(2週間に一度、オールナイトで営業)をつくった。だれもがマスターになり、もてなす側になって「自分の店」になった。歴史的建造物指定され使えなくなるころには200~300人の利用者がいた。ここの暖炉が焚き火のヒントになった。

もっと開かれたコミュニティカフェをつくりたいと思った。1年かけてみなで集めた300万円をもとに自分たちで改装しバザールカフェをつくった。そこでID10という施工集団を生み出し、様々な店づくりに挑戦した。このスキルは、阪神淡路大震災、東日本大震災でも屋台プロジェクトとして活きた。屋台は発展して小屋プロジェクトになる。開かれた地域との結節点として使ってくれる小屋を作り続けている。京都市立芸術大でも小山田の学生がゼミ小屋をつくる。自分たちが能動的な労働で獲得した空間は強い共有空間となる。そしてゼミ小屋に焚き火が立つ。小山田は「業界内で通じるのは当たり前。隣に出かけていって有効に通用したスキルが本物といえる。」といって隣の領域に関係性を拡げるスキルを学生たちに伝授する。

自らが実践しているマルチハビテット/ゲストルームは、関係性のデザインとしてわかりやすい。自宅は最小にし、客間を友人たちとシェアする。複雑で面倒くさいが、よき関係が友だちの友だちの・・というようにどんどん増えていく。複雑な関係性の中でこそ自己実現(自我実現ではなく)できる。関係性を拡げていくのは、個人のレベルでもやっていける、と締めくくった。

無視はそこにいたとしてもなかったことになってしまう。愛によって関係性、共有空間が成立する、と小山田が説く。マザーテレサがいう「愛するの反対は、かえりみられないことです。」を想起させた。

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