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humはhumility。謙虚でありたいと思い、hummingハミングするような気持ち…

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humはhumility。謙虚でありたいと思い、hummingハミングするような気持ちでいたい、との思いから。アートプロジェクトの参加者、運営者の実感がこもった声を集約し、魅力的なコミュニティ、メディアとして発信することを目標に、noteにページをいただきました。

マガジン

  • 存在のあり方を提示する

  • 一音目が否定されずに受け取られる空間で、自らを取り戻す

  • 人と土地の記憶の中に、アートポイントを灯す

  • 自らのレイヤーに孔を穿つ

  • 共通の物語を重ねることで、コミュニティを拡げる

最近の記事

手放すことで自由になる方法

吐く息はゆっくりとなる 吸って、静まる 吐いて、安らぐ 吸って微笑み 吐いて、手放す あるのは今だけ すばらしいこの瞬間(とき) このフレーズは「今このとき、すばらしいこのときー毎日が輝くマインドフルネスのことば(ティク・ナット・ハン著 出版社:サンガ)」からの引用です。この本では「どんな人にも痛みや苦しみがあります。しかし、私たちは、その痛みを手放し、苦しみに微笑むこともできます。それには今この瞬間こそが生きられる唯一のときであると知ること、それ以外にはありません。」とし

    • 墓場までもっていける幸せの4つの因子

      普通であれば、幸せの因子の中に「自己実現」などが入ってくるが、前野隆司さん(幸福学研究所)は違う。彼が見つけた幸せの4因子は—「ありがとう」「ありのままで」「なんとかなる」「やってみよう」(日経新聞2022年4月14日夕刊)―。今の自分、将来(認知症や障害者になったとき)の自分、他者の幸福度を量ろうとする時など、ぴったりな指標だと感じた。(なぜこの4つなのか、という問いは横に置き、)幸せの4つの因子で量ると、幸せが見えてくる!以下掘り下げてみたい。 「ありがとう」は、自分

      • 「走るという行為」を「生きる意味につなげると「ビジネス」になる

        日経新聞(2022.1.28夕刊)に掲載されたプロトレイルランナー鏑木毅さんの記事「走るビジネス広がり無限」。そこから読み取れるのは、〔走るというシンプルな行為〕×〔生きる意味をつくる〕=〔ビジネス〕になる!という図式だ。個人の生きる意味を喪失しかねない時代にあって、生きる意味と結びつけるビジネスが、今求められている。示唆に富んでいて他に応用できそうなので、メモしてみた。 ■「走るという行為」×【生きる意味をつくる!】 ① 「己の価値観を追求する生き方」含めて応援したい ②

        • 『SDGsな意識』とは何か

          「SDGsな意識」とは・・・・「私は、自然の一部であって、目の前の樹木や雑草と私は平等でフェアな存在である。そこに立ってみると、私は世界の大きなグラデーションの中にいて、人種の違いや、言葉の違い、LGBTなどは、顔が違う程度でしかない」という意識だ。 SDGsは「誰も取り残さない」と説明されるが、社会的な弱者は他者であり、主語である「私」は救済する側にいるので、個が確立して他者と明確な区別がある西洋社会の意識だ。私たち日本人は、他者との関係性の中で個をポジショニングしている

        手放すことで自由になる方法

        マガジン

        • 一音目が否定されずに受け取られる空間で、自らを取り戻す
          24本
        • 存在のあり方を提示する
          40本
        • 自らのレイヤーに孔を穿つ
          27本
        • 人と土地の記憶の中に、アートポイントを灯す
          14本
        • 共通の物語を重ねることで、コミュニティを拡げる
          18本
        • TURN
          19本

        記事

          心地よさ”ウェルビーイング”の言語化は「人間らしさとは何か?」への回答

          「わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために」(ビー・エヌ・エヌ新社)は、心地のよさを徹底的に言語化しようとしている意欲的な本である。分類と補足の中で見えてきたのは「人間らしさとは何か?」への回答だった。 ◆自律性/自由/満ち足りた心身/心身が病気ではない/情緒的安定/心身の潜在能力の発揮/有能感/ポジティブ感情/喜び/愉快/快楽/鼓舞/畏敬/感謝/安らぎ/興味/希望/誇り/愛/何かに没頭・フロー/達成感/マインドフルネス/ ◆自分が大切にされていると感じる環境・自律

          心地よさ”ウェルビーイング”の言語化は「人間らしさとは何か?」への回答

          生きているとは、流れていること

          体の中を流れる音がきこえますか?ー生きているとは、流れていること。流れているから生きていられる。淀んで堆積しないように、うまく流れるように、心の中も、体の中も、ツルツルに磨いておく。 息が絶えた人はとても静かだ。その人は、自宅で倒れて亡くなり、約3か月たって見つけられた。まるで森の中で苔むし、朽ちていく倒木のように、清々しく土に少しづつかえっていた。「ご遺体」というより、生きていた時間と全く切り離され、何もかも停止している空間の中に横たわっていた。つけっぱなしのテレビに映し

          生きているとは、流れていること

          イノベーションの本質は、問題解決ではなく、生きる意味をつくること

          「イノベーションの本質は、問題解決ではなく、生きる意味をつくること」という言葉(*)に出会った。 私たちが何かを変えようとする時、仕事する時、何か行動しようとする時、問題解決ではなく、本質は「生きる意味をつくる」ためなのではないか。「イノベーション」のかわりに「仕事」、「介護」、「AI」、「技術」、「宗教」、「アート」など様々な言葉をいれてみても色褪せない。 「まちづくり」という言葉を入れてみる。・・「まちづくり」の本質は、問題解決ではなく、生きる意味をつくること・・まちをき

          イノベーションの本質は、問題解決ではなく、生きる意味をつくること

          自覚なき差別の心を超えるために/宮城顗

          自分の力を強大にして、幸せをつかもうとする人の心には、見下し(人の段階づけ)、排他、差別が生まれる。そして差別された者や、役に立たないと切り捨てられた者の痛みは自分事にはならず、「ざわめき」に埋没する。ざわめきの中で差別は拡大される。 自らの力をたのみにする人は「私のいのちは私のものだ」という。しかし「いのち」は、人類社会から「いただいたもの」だと気づき、いただいた自らの「いのち」が尊いものと知り、私自身の頭を本当にさげるとき、人の「いのち」を尊ぶ心が開かれてくる。いただい

          自覚なき差別の心を超えるために/宮城顗

          コロナ時代の哲学

           「コロナ時代」に何が起こっているのか、どこに可能性を見出すか。大澤真幸が國分功一郎をゲストに招いて哲学者として討論した「コロナ時代の哲学」(左右社)。今の世の中の潮流にコロナが加わることで、加速する危険性と可能性を深堀している。 ◆「コロナの時代」何が起こっているのか 三つのレベルで思考している。一つは「身体の非接触」の非人間性、二つめは緊急事態宣言が監視社会を加速する危険性、三つめは「移動の自由」と「死者の権利」の喪失(哲学者アガンベンの発言から)である。 【「身体の

          コロナ時代の哲学

          世界を受信するメディアとしての身体

           「オンラインで画面越しだと、こちらの身体感覚が相手に伝わりにくい」と勝手に考えていませんか?  振付家・ダンサー砂連尾 理(ジャレオ オサム)さんのワークショップで、画面越しなのに、相手の身体感覚が、私の身体感覚と共鳴し合う不思議な体験をし、私は考えを変えた。砂連尾さんの言葉「世界を受信するメディアとしての身体」の通り、確かに私の身体が「受信するメディア」になったのを感じたのだ。  ワークショップで画面向こうの女性は赤い折り畳み傘、私は黄色い鉛筆削り器を用意してスタート

          世界を受信するメディアとしての身体

          「12人の怒れる男」で追体験ー「違和感」が起動させる偏見や差別を超える世界観

           わたしたちの「今」の2つの状況-偏見と差別、コロナ禍ーを映し出す演劇をみた。陪審員としての実体験をもとに、レジナルド・ローズ(脚本家)が1954年にテレビドラマ化し、後に舞台化された「12人の怒れる男」である(シアターコクーン/2020年10月4日まで)。  アメリカのスラム街で起こった殺人。偏見と差別、それにもとづく取り調べ。状況証拠、証人の証言、国選弁護人の弁護、何もかも「少年が父親を殺した」というストーリーで裁判が進む。劇は個室に12人の陪審員が入るところから。判決

          「12人の怒れる男」で追体験ー「違和感」が起動させる偏見や差別を超える世界観

          すばらしさ発見ノート

           すばらしさ発見ノートは、相手のすばらしさを見ようとするノート。仏教修行者から『相手のすばらしいところをみようとする心こそ「仏性」である。自らの「仏性」が輝けば、他者の「仏性」も連鎖して輝く。人の心は根っこでつながっているので、地球の裏側にいる人にも通じる。』といって小さくて何の変哲もない白地のノートをいただいた。そして『それと同様に、偽りの我(偽我)では相手の偽我と連鎖してしまう。この経験はよくあるでしょう。』ともいわれた。  12年前、中小企業主で、かつ地元の開発事業

          すばらしさ発見ノート

          窓を開ける

          stay home は植物のよう ここで太陽を浴び、風を感じ、夕暮れを楽しみ、星空を仰ぐ 私たちはここで花を咲かせ、虫や鳥たちを待つ 窓を開ける その時、世界中の人が窓を開けていることを想像する 朝を部屋に招くため、植物に水をやるため、子供たちに声をかけるため 窓から見える、世界中の日常 観光地ではない、あなたの風景 私の風景と重ねていく おーい 心の中で呼びかけてみる 地球の向こうにむかって おーい あなたの今日を教えてください 私の今日とつながりませんか 私の日常を

          窓を開ける

          『アートとは、違う感性、多様な感性のプラットフォームである』

           オラファー・エリアソンのアートの定義が好きだ―『アートとは、違う感性、多様な感性のプラットフォームである。アートそのものには力がないが、プラットフォームでの「自分の声が尊重されている」という身体的な実感が「私の行動には意味がある」という思いにつながっていく。社会的なつながりが力となる。(NHK日曜美術館2020.8.16/ときに川は橋となる・東京都現代美術館~2020.9.27)』・・・そこから導き出されるアーティストの定義は、知覚が研ぎ澄まされるプラットフォームをつくる人

          『アートとは、違う感性、多様な感性のプラットフォームである』

          自閉症の人はなぜ電車が好きなのか(奥平俊六さんの著書より)

           奥平俊六さんは、自閉症児の託児に数多く携わり、これまでに学童期までの自閉症児をのべ1000人以上みてきた日本絵画史の専門家である。そして二男をレイルマン・ダダとよび「電車好きの明るい自閉症児」と紹介している。奥平さんは、「自閉症の人は電車をみる前から、電車が好きなのである」という。それはなぜか。自閉症の特性と合わせて以下のように論じている。(「自閉症の人はなぜ電車が好きなのか」は、「芸術と福祉―アーティストとしての人間」/藤田治彦編/大阪大学出版会/2009年発刊に所蔵)

          自閉症の人はなぜ電車が好きなのか(奥平俊六さんの著書より)

          コロナ禍で、ひきこもりの専門医斎藤環が探る「多様な感受性、認容性に配慮した繊細さ」

           精神科医斎藤環が、ひきこもりの専門家ならではの視点で、コロナ禍で生まれた「オンライン」という距離、暴走する正義などを社会が新たに体験している今こそ「個人がもつ感受性、認容性は多様であり、それを・・・もっと繊細な配慮ができる社会に向けて回復していく手順」を探るチャンスだ、として以下のように述べている。(2020年8月1日毎日新聞) 【視点1 対面に潜む暴力。許容度には差がある】  オンラインでのやりとりが増えたコロナ禍で改めて見えてきたのは、人と人が直接会うこと自体に潜む暴

          コロナ禍で、ひきこもりの専門医斎藤環が探る「多様な感受性、認容性に配慮した繊細さ」