楽しむアーティストたち

2015年5月10日

東京都現代美術館に所蔵されるアーティストたち。彼らのモチベーションの在り所を、常設展の短いアーティストトークの映像から拾ってみた。

こんなことしたらオモシロイ、からスタートして、熱気のこもった制作過程そのものを楽しむアーティストたち。だから目の前にある作品は、言わば熱気の残りの半分。

川俣正。カナダトロントの古い石造建築に挟まれたコロニアル・タヴァーン公園に、かつてここに建っていた木造建築の廃材を使って1989年に制作した高さ20m、幅40〜50mの木組みインスタレーションの解説。「つくりたいところにいって、仲間を集めてつくる。設計図はあるが、みんなでつくると、日々かわってくる。昼飯を一緒に食べるのが大切。そこでアイディアが生まれる。つくっている最中に、何やっているんだろう?、と思って寄ってきた人たちの色んな反応に出会うのも楽しい。」川俣にとっては、「つくる」から、「こわす」まで、すべてが作品だ。だから出来上がったものは、全体の半分。かかわった人たちの記憶の中に灯されたアートポイントが、もう半分。

森村泰昌。「美術作品になったらどんな気持ちになるんだろう。その絵の主人公になって、空想の物語を描く。どう楽しんだか?、という結果が作品。」

大竹伸朗。「映画で新聞紙が身体にまきついて消える外人の忍者をみたとき、ゴミ男、というフレイズが浮かんだ。アトリエには拾ってきたものがたくさんある。15年前に拾ったカドが欠けた定規。新品とちがって世界にたった一つのものたちから、この作品ができている。拾ったテープにオモシロイ音が録音されていたので、それを流している。」制作の素材として、何年も前に拾った、世界にただ一つのものが使われる。大竹の作品の、個性が強いものたちが大合唱しているような印象は、ここからくるのか、と思った。

観るものに、生きるというテーマを深いところでストレートに感じてほしい。

宮島達男。暗闇の中でたくさんの赤い数字が、異なるスピーで1、2、3、・・・・・、9、闇、1・・・と点滅し続ける作品。「早くできる人、ゆっくりやりたい人がいて、死と再生があって、世の中全体でうまくバランスがとれている。それを表現したい。」

あい・おう。オレンジ色のグラデーションの人たちが何列も手をつないでラインダンスをしているような作品「田園」(1956年)。「この作品の前で踊ってくれたらうれしい。」

白髪一雄。床のキャンバスに絵の具を盛り上げ、紐につかまって足をすべらせて描く。「生きる力、生命力を感じ取って、元気になってもらえたら」

現代美術は、制作過程で、アーティスト、かかわった人たちの中に生まれたもの、観るものの中に生まれるものを引っくるめて一つの作品になる。その全体を掴めたら、と思う。

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