中村正人

アーティストの眼

中村正人 明るい絶望 ソウル―東京 1989-1994/アーツ千代田3331/2015年11月23日まで

何気なく見過ごしてしまいそうになるソウルと東京の風景たち。この700点近い写真につけられたメッセージは、写真の説明ではなく、シャッターを押す瞬間に横切った中村の世界観である。写真と同格の重みで作品として一体化し、中村正人の眼を強く感じる展覧会となっている。ソウルの町で朝出会った石膏像たちの陰干しから、ミケランジェロの形態感がアジアの美術の基礎になっていることに違和感を持ち、むき出しのパック状態で積み重ねた生卵に感じた「ソウルの街の寛容性」が創造性を刺激し、「真心の価値」と題した落書きから、一瞬の自己の開放、生々しさ、切なさを、自らに定着させ、「なんでもありで、いかなる時でも臨機応変に対応できる」ソウルの町を切り取っていく。

一方この時期の日本は、バブル経済が崩壊した直後。一辺倒の価値観で進んできた人の心にも、空間的にも、隙間ができ始めた丁度そのときだ。ソウルから帰ってきた中村たちは、窮屈な空間を解放し、臨機応変な空間に変えていこうと試みる。アーティスト掃除隊をつくり、街を掃除するふり(清掃整理促進運動)をして、ゲリラ的に解放区をつくっていく(大阪ミキサー計画の)様子が、写真に定着されている。1993年「ザ・ギンブラート」プロジェクトのシリーズも、なんでもありの臨機応変を、東京に求めているように見える。小沢剛の作品「なすび画廊」は、「なすびを入れておくだけのただの(牛乳)箱だった。その後、村上隆が、個展をするという展開になり世界最小の「なすび画廊」が生まれた。」とある。国立近代美術館に展示された「なすび画廊」がいかにも窮屈な感じがしたのも腑に落ちた。

これら一連のプロジェクトが、中村が、いま神田エリアを中心として進めているアートイヴェント「トランスアーツトーキョー2015(TAT)」につながっているのは、間違いないだろう。この明るい絶望と題した展覧会は、TATの開催時期(10月9日から11月3日まで)に合わせているし、千代田区に大手デベロッパーと比較されながら運営と経営を任され、TATのプロジェクト化とともに東東京のアート拠点をめざしてディレクターを務めるアーツ千代田3331で開催している。中村の「次を見据えて、ここで人生を俯瞰したい」という、山登りの中腹で一望するような想いが、20年の時間の重みとともに伝わってくる。

そして今、仲間たちは?

紅一点の西原は、アメリカで臨床心理士になり(危うい?精神のアーティストにも必要とされているらしい)、小沢剛は「なすび画廊」でアーティストとして注目され、村上隆は映画監督もやり、そして中村正人はプロデューサーになった。

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