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植野正治の写真 カメラを向けられて緊張した様子こそ人の自然な姿

2017年3月24日朝8時鳥取空港に着き、鳥取砂丘で時間を過ごした。午後米子に移動して、遠近感がなくなる砂丘や浜辺に人を配した「演出写真*」で、世界的に名が知られている写真家植野正治の写真美術館を訪れた。車で30分弱、鳥取の人たちに敬愛されている大山が、自然が生み出した作品というように美術館のコンコースから真正面に見える。(*動きやしぐさを映画や舞台の俳優のように指示をして、近所の子供たちや知人、家族を撮った。)

植野正治は1913年、鳥取県(現)境港市の履物店の家に生まれた。小学校4年生の時、近所の青年から写真の現像を見せてもらい夢中になった。東京の写真学校に通った後、1932年に履物店の一部を改造して「植田写真場」を開業。1935年結婚。浜辺で、紀枝さんと4人の子供たちと一緒に撮った写真はよく知られている。

1949年写真家土門拳と会うが、このころの土門は「リアリズム写真」を標榜し「絶対非演出の絶対スナップ」を主張し、多くの若い写真家たちに絶大な支持を得ていた。植野正治は1950年代の一時期、演出写真を控えたものの「リアリズム写真は、カメラを意識させないで撮ることが自然と考えているが、カメラを向けられて緊張しない人はいない。だからその緊張した様子こそ人の自然な姿なのだ。」と考え、人物も静物も正面きって撮り続けた。

はじめての演出写真は、1939年に浜辺でとった「少女4態」。リアリズム写真をはじめ写真の様々な潮流にあって、2000年に87歳でなくなるまで、売るためではなく撮りたいモノを自由に撮り、地方であり続け、空白や影の平面感と光の陰影がつくりだす立体感の不思議な冷静さと、素朴で、ユーモアがあり、人間へのあたたかな眼差しは、変わることがなかった。(参考「写真するボク」植野正治写真美術館発行)




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