ダイバーシティのもっと先へ

ダイバーシティ。言葉にすると「多様性のある社会」。もっと腑に落としたいと思っていた時、熊谷晋一郎先生の文章「障害のある子どもたちのこと』(日本財団DIVERSITY IN THE ARTS PAPER4)に出会った。原文を読んでいただきたいが、自らの問題意識に引き寄せてまとめてみたい。(熊谷先生プロフィール:東京大学先端科学技術センター准教授、小児科医。新生児仮死の後遺症で脳性マヒに。以後車いす生活に。生きづらさを抱える当事者たちがその原因を探求する「当事者研究」に携わる研究者)

『社会は、身体の特徴あるいは経験において平均的なマジョリティの体質の人向けにできているので、いろんなサポートが得られますが、マイノリティ体質の人は建物や道具のデザイン、価値観、社会規範という社会を構成するあらゆる側面が自分とそぐわない傾向がある。・・・・障害のある人は、ノーマルとされているマジョリティへと訓練して自分を近づけなくてはいけない。変わるべきはマイノリティだと捉えているのが医学モデルの考え方です。そうではなく、社会の側が、社会を構成するあらゆるデザインをマイノリティにも有効なものに変えることが必要なんじゃないかと。』

熊谷先生は、このような社会基盤をつくるために◆当事者が社会にむかって「自分の身に起きたことを正直に語る自伝的な物語(ナラティブ)を言語化し発信することが必要、とする。◆しかし、当事者の不安は表現し難く、残念ながら自分の中からだけでは生まれない◆先達から縦軸の系譜で受け継がれてきた『自分の物語をこんなふうに語り直していいのか』という足元を照らす希望としてのナラティブ資源と、生々しい苦しい今を生きる当事者たちの横軸のナラティブの共同性の中からしか出てこない、と説く。そして周囲ができることとして、切実に求められている「ナラティブを生み出すための縦軸と横軸をつないでおく場所」をつくるサポートを挙げる。

一方で、(統計データによると)当事者のナラティブをずっと聞いている近親者、支援者は、利害関係が生じて憎しみや恨みを持ったりするので、ネガティブなレッテルを貼る差別意識(スティグマ)の発生源にもなっているそうだ。

スティグマに汚染されない「当事者が正直に語る自伝的なナラティブ」を聞く場所、生み出す場所はあるのか?

― 東京都の文化プログラム「TURN」をご紹介したい。「TURN」は東京都が2015年度から始めた2020東京オリンピック・パラリンピックの公式文化プログラムである。アーティストと福祉施設が交流し、当事者、スティグマの発生源として先生が挙げた当事者の支援者(職員)や親、さらには一般参加者が一緒に混ざれる、介護する側される側という関係性や今までのヒエラルキーが消滅する別次元の空間をアーティストがつくり出す。一般参加者は、その別次元の空間で、ほとんど動かない重度の人、いわば地球で一番遠かった人と何かを共有し、何かを感じ合う体験をすることで、また日常的にほとんど接触することがなかった統合失調症の人と心通わせることで、洗い流されたような、とてもスッキリとした気持ちになり、意識を変え、生活を変えていく。

そこから「福祉施設が地域の文化施設になる」という言葉も生まれた。

しかし、そのような空間は職員の協力がなくてはつくれない。職員は綿密に決められた一日のプログラムの他に、新しい利用者(当事者)が来れば、その人の居場所づくりをし、さらにアーティストとの「TURN」交流プログラムに取り組む。3年かかったけど、「TURN」に時間と場所をつくることは、職員にとって「わからないけどやってみる」プログラムになりつつある。そして福祉施設が「迷惑施設」ではなく、「一般の人の経験値を上げる施設である」「生活を変える施設となりうる」という認識も職員の中に芽生えつつある。

「TURN」は現在のダイバーシティの先にある。

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