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映画「描きたいが止まらない」at Chupki

JR山手線田端駅から10分、上映する映画はすべて視聴覚障害者、車椅子でも楽しめる映画館(*)、シネマ・チュプキ・タバタ。自閉症の古久保憲満(こくぼのりみつ)さんが、生きるために描き続ける彼の「理想の街」の精密画に、どんな思いで向かっているのか、をテーマとした「描きたいが止まらない」をみた。

彼の精密画は、例えば3cm四方の紙を渡されて「30分で好きな街の風景を10コ書き込んでください。」と言われて描く感じ。ボールペンで描いた上に、先が丸くなった色鉛筆で着彩する。彼の中にある風景は1分の1である。例えば刑務所を描く時、お母さんに、刑務所の給食を実際につくってもらって食べてみるシーンがでてくる。私は1cm四方でも精一杯だと思うが、彼は職場、家のリビング、2階の自室など、あらゆる空間と時間を見つけて描き続ける。幅10m✕高さ1.6mの超大な絵を6年もかけて描いたものが、アール・ブリュット作品として美術館で展示されたりして世界が認めてきた。

アール・ブリュットの定義を、ここでは「純粋、切実、逸脱」として、憲満さんの絵と向き合いたい。「逸脱」は見てすぐわかった。集中する時間、労力、量、全てが逸脱している。「純粋」・・。彼は、誰かに評価されたいから描くのではない。何百万円で「売れる」からでもない。自らの身体の中に入ってきたものと、それに対する思いを、言葉ではなく絵で表現する。そして「欲を出したら、だめになる。」「天狗になったらだめ。」と笑いながら言う。「純粋」であることを自らに課している。

そして「切実」。人と接することができかった小学校のころは、広汎性発達障害といわれた。色々なことがいっぺんに頭の中に入ってきて上手く整理できないと、語っている。外に向かった感覚が開きっぱなしでどんどんインプットされてしまう。それを描くことでアウトプットしているから、生きていける。そこに描かれるモチーフは、鉄道、駅、高速道路、独裁国家北朝鮮だったり、軍事基地、刑務所だったりもする。映画を制作した近藤剛監督は「孤立を恐れる気持ち、人と接することができない気持ち、変だと思われている、という感覚」が、閉塞感のある刑務所や独裁国家への関心につながっているのでは、とアフタートークで語られた。

古久保憲満さんは1995年生まれで若い。彼の絵につく何百万という値段。ビジネスになったら、彼が気をつけていても「純粋」が失われ、絵は別物になっていくのだろうか? 映画のシーンでシンガポールのアール・ブリュット作家と交流する場面がある。とても嬉しそうだった。自分の描いた世界がだれかに通じることが、純粋に嬉しいのだ、と発見した。そして作品が独り歩きしても、伝わることの嬉しさがモチベーションとなれば、生きて行ける、と思った。私の「人から評価されたい、それを稼ぎにつなげたい。」という貧しい感覚を笑い飛ばしたくなった。

*座席は20席ほどで各座席で音声ガイド(「今〇〇さんは◻◻しています」・・・といった映像の場面を言葉で説明するガイド)が聞ける。また「抱っこスピーカー」で聴覚障害のある方が音を体感する工夫もある。


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