千住だじゃれ音楽祭「千住の1010人」―現場はプロジェクトの力で刻々と変化する
2014年10月12日
次の日起きてみると、サッカーの試合の大観衆のざわめきをフィールドからみていたような足立市場のエキサイティングな体感が残っていた。
それぞれが思い思いの楽器や瓦とゴルフボールを抱えてパレードする様や、パートリーダーの力強い踊るような指揮に食らえついて音そのものを楽しんでいる様は、今思うとその楽器のチームを応援しているファンたちの中に紛れ込んだような感触もあった。聴衆は演奏の中心にいて身体の方向によってきこえる音が違ったり、頭の上をゆっくりといったりきたりする4人のキャッチボールや、テンポの速い9人ほどの縄跳びがすぐ横ではじまり、それにあわせた体感演奏をきいたり、空中に凧が舞い、それを合図にいっせいに紙ヒコーキを飛ばしたり、竹輪を鳴らしたりした。聴衆ではなく参加者になっていた。この音楽祭の最終曲、野村誠が「指揮語り」をする「千住の1010人(2014)」の場面である。
この幾重にも不思議な体感は、中盤のアナン・ナルコンさんが製作したガムランで奏でる音楽劇と舞踊、倉品淳子の芸術的朗読、メメットさんのインドネシアのカンサデワ音楽に不思議と符合する。リズム感、魚市場という空間、ごった煮感?・・何故なんだろう。違和感なく私のなかにはいってきた。野村さんがインドネシアとタイで現地の音楽家と26の共同作曲をやったから、といわれても謎のままである。アーティストやディレクターの感性としかいいようがない。
わたしは運営をサポートするため10時少し前に足立市場についた。まったく魚の臭いがしない。清潔なのにびっくりする。運営の中心神谷さんから「丁度良かった。受付お願いします。」リコーダー、日用品、紙ヒコーキ担当とのこと。金管楽器・木管楽器担当、紙ドラム・瓦担当、弦・ハーモニカ担当、打楽器担当と分かれ9人で受付する。午後1時半、紙ヒコーキでの演奏参加にお誘いするため、会場に移動する。楽器をもたない人たちが、聴衆ではなくこの音楽祭を「自分ごと」としてもらうためのキーとなるからだ。また、運営側は演奏参加者だけが当日つけるナンバリングされた小さな黄色の缶バッチと参加証を、参加意思を確認して1010個首にかけ切る、という隠れた目標をもっていた。午後3時半ごろ、12時半からはじまった「リハーサル」という名のパーフォーマンスから本番にはいってまもなく、神谷さんから「あと160人で1010人達成だからがんばろう」という檄がとんだ。4人で二つの組に分かれ、紙ヒコーキがはいった箱とナンバリングしたバッチ+参加証をもって「最後に一緒に飛ばしませんか・・」と勧誘した。紙飛行機を指導する池田邦太郎さん、障がい者やお年寄りのための音楽教室を池田さんとともに経営する若いパートナー、東向島からこられた御歳80歳ぐらいの折り紙教室の先生が、参加者自身が折ったものとは別に、教えながら折った紙飛行機7~80機が、箱の中でスタンバイ状態だった。紙ヒコーキを飛ばすのは夕方16時45分ごろ。15時ぐらいまでは「ここまでいるかわからない」人が多いが、その後は最後までいる人たちが多くなる。勧誘はこの時間にピッタリはまった。受付で一言二言会話した人たち、竹輪を鳴らして参加している方、子どもずれ、カップル、お一人で参加している方、車椅子のおばあちゃん、とお願いではなくお誘いしていく。てもとにナンバリングバッチがなくなったのは凧があがる10分くらい前だったと思う。
池田屋台の前に集まって飛ばすという目標から会場でみんなで一斉にとばそう、という目標に誰から指示されることなく自然にかわっていった。現場の動きで参加者の意識が変化し、運営側は変化に対してまた敏感に反応していく。
私は最高の参加の機会をいただいた。
一番身近な大学生に「だじゃれ」という言葉は「いまも世の中で通用している?」と聞いてみた。彼の答えは「オヤジギャグは聞いてて寒いもの、だじゃれは胸がスーとするもの」ということだった。
目標とするのが1010人の音楽祭というのはだじゃれから生み出された目標だ。だれも「何故?」とは聞かない。だじゃれだから。とにかくそれが目標となってしまうすごさがある。野村さんが「指揮語り」をする「千住の1010人(2014)」は一番大きな広場にとにかく全員があつまって演奏者は外側、聞く人は内側に入る。総勢1000人はもちろん超えている。フェイズ14では、犬はのんびりしていて吠えなかったけれど、「ワン」といったら、すぐに『「だ」がっき』をドンとたたく。そして『「フル」―ト』をピーと吹く。というワンダフルから始まる。とにかく頭ではよくわからないが「体感として良くわかる楽しさ」がある。大きな声で「ワンダフル」と叫んでも恥かしくない不思議さがある。
空をカイトが横切る。それを合図に紙ヒコーキが飛び始める。そうすると一斉に200機超の紙飛行機が飛び始める。当初想定は100機だったが、池田邦太郎さんは200枚以上用意をしてきていた。「参加は聞くだけ」と決めていた円の内側の人たちも紙ヒコーキを手にした。これがプロジェクトの力なのだ。ここにくるまでは「紙飛行機でいいや」とおもってきた人は「瓦」や「紙ドラム」を選びたくなる。そしてさらには竹輪である。何で?と正直おもった。だけどだじゃれの世界に入ってしまった人たちには何の不思議もない。竹輪ってリコーダーのだじゃれ?竹輪で音を出して参加する。納得感が違う。「だじゃれだから」を共有し、「何故?」を楽々と越えて行く。
プロの演奏者、アマチュアバンド、事前の3回の練習に参加した人たち、当日自らフライパンやリコーダーを持ってきた人たち、ちょっとのぞいてみたのに最後までいて、紙飛行機や竹輪で参加した人たち。野村誠さんの「納得させてしまう力」は演奏技術の差を飛び越え、様々な楽器と様々な思いを一体化し、演奏をみんなのものにする。
帰り。受付のところで参加者にだじゃれのはいった感想をお願いする。感想カードは一日中参加証と一緒に首からさげて持って歩いていたんだ・・とわかったときになぜか、取り出して書きたくなってしまう不思議さ。空にまなざしを向け考えている姿、感想カードをみつめる目線、困った顔・・「笛を吹いたら、笑顔がふえた。」若い女性のリーコーダー参加者が書いてくれたすてきなだじゃれだ。向こうから話しかけてくれた熟年夫婦、野村さんが行きつけの京都の八百屋で野村さんと話をし、渋谷の自宅から参加されたお話。東京芸大生の話も熱心に聞かれている。野村さんのハンパない開き方を改めて感じた。
迷ったすえ瓦を選んだ女性が、感想カードをかきながら「瓦は真ん中が薄くなっていて周囲は硬い音がする。円を描くようにたたくと音階ができる」と話してくれた。イベントには予期せぬことがおこる。アナン・ナルコンさんの通訳がこない。受付担当の4年生が急遽壇上にたって通訳することに。緊張していた彼女を折り紙の先生がそっと抱き寄せて「若さよ。」といった。折り紙の先生は「元気だったら来年また来ますね。」とさよならした。
参加者の数だけストーリーが生まれた、とおもった。
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