島の呼吸と鼓動に寄り添うてしまのまど

2014年7月31日

tarl思考と技術と対話の学校基礎プログラムが始まってすぐ面接があった。 私「少し長い夏休みが取れそうなんです。」森校長「だったら、てしまのまどに1週間ぐらい行ってきたら。」森校長の頭に即座に「てしまのまど」が浮かんだのは何故か。それを知るためにも、てしまのまどにいったみたいと思った。

魚を取る道具と安岐理加さんが選んだ図書で囲まれた世界、てしまのまどで昼食をとりながら、安岐理加さんとコミュニケーションを試みた。安岐さんはアーティストとしての自らの場を、父親が残したここに移し、畑をつくり、魚をつり、食事をつくり、日常では超える事がない隣のコミュニティの盆踊りも含めてコミュニティを記録している。

安岐「自分がいることで影響を与えんようにしてひっそりと隅の方にいてこの島を記録していたい。」「お年寄りの記憶は順番も混じっているし、その場でツジツマが合うようにつくってしまうことだってあると思う。」「よそ者が聞くとなぜかカッコつけてしまう。つくり話になってしまう。本物でなくなってしまう。宮本常一もその辺はわかったいたのでは。」「聞き取りしたものを分析はしない。」………安岐さんは、記録するという行為を通して、島の呼吸と鼓動に寄り添い、それに合せて生きようとしているのではないか。安岐さんの前で自分は無力だと感じた。「人の価値観を変えていくのは作品ばかりではない。その人と接することでこちらの価値観がかわることがある。」と思う。安岐さんは瀬戸内国際芸術祭に2010、2013とも参加しているアーティストである。島に流れる一番底流に棹差しながらインスピレーションを汲み上げ、安岐さんから生み出される「暮らしから立ち上がる表現」をみたいと思った。

HPで、てしまのまどのアートプロジェクト2014「観光ー暮らしの光をみる。」と2014てしまのまど合宿が発信されている。安岐理加さんにとって「てしまのまど」は地元と物語を共有していくナラティブな場である。(※)地元の中で気づきがおこり意味が生じるナラティブウェアにしていくためにはどうするか。豊島には様々な物語が存在していたこと、そして生まれるこを伝える場が必要である。これが合宿という形をとる。

あるく、つくる、たべる、きく、しる、みる、撮る、メディア

についてとあり、豊島の歴史とルーツに向き合い、記録表現をまなび、メディアをどのように活かすのかを豊島を視野におく専門家、そして豊島とナラティブをもつ人々を集め考えようというものである。そこできっと、いくつもの物語が生まれナラティブウェアの芽が生まれる。これを地元に拡げていくのは、てしまのまどにフラリとやってくる地元の言葉で語れる人たちにちがいない。

※ラインの創始者メンバー設楽剛さんが「物語を共有している範囲がコミュニティである。」と定義している。その物語=ナラティブのいくつもの集合体が「ナラティブウェア」である。(代官山ステキ総合研究所でのショートスピーチ。2014年9月18日)

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