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丸戸史明の描く「年上キャラ」について──丸戸システムの構造化

年上キャラがメインヒロインになる作品って本当に一握りよね!

──by澤村・スペンサー・英梨々(『冴えない彼女の育て方♭』より)

※本稿は、『Blue Lose vol.2』に掲載された文章を一部加筆・修正のうえ転載したものです。


序章 年の差キャラクターについて

 2022年5月に刊行された前号『Blue Lose vol.1「負けヒロインとは何か」』にて書いた、「ラブコメ史における負けヒロイン概念の変遷について ─幼馴染最強時代とは何だったのか─」では、恣意的に選出した74名以上の負けヒロインを年代別・属性別・髪色髪型別に分類し、〈幼馴染〉のタームからラブコメ史の中で負けヒロインのいる作品がどのように変化してきたのかを論じた。
 その中でも「属性別」データでは、負けヒロインとして最も多かったのは同級生で(44.6%(33/74))、次点で幼馴染だった(25%(18/72))。それ以外は、先輩・後輩が合計 12.1%(9/74)であること以外はまとまったデータは得られなかった。

 苦労して74人も負けヒロインを集めたというのに、先輩キャラは『フルーツバスケット』の草摩楽罹と『チェンソーマン』の姫野先輩の2名だけだった。もっともこれは、「作中で最も負けヒロインと呼ぶにふさわしい」キャラクターを主観で選別しているため、実際には負けているにも拘らずノミネートされていない年の差キャラも当然存在する。
 前回は便宜上、〈一作品一負けヒロイン〉の原則を用い、その判断基準として「負けヒロインと呼ぶにふさわしい=負けることによる旨味成分が最も多い」を採用したわけだが、これはより正確に言えば、「ヒロインレースにベットした代償が多い」ことを意味する。例えば、幼馴染が負けヒロインとして扱われがちなのは、「幼い頃から主人公と共に過ごした時間」という大きな代償をベットしているからであり、その点で突然現れた転校生の賭ける「運命」というチップと競い合っているのだ。
 だがこのロジックを確認して分かる通り、先輩・後輩キャラというのは、この時点で他のキャラよりも圧倒的に不利だ。学年が違えば共に過ごす時間は少なくなるし、学園ラブコメでなくとも立場や身分の問題が絡んでより複雑になっていくだろう。過ごす時間の問題はともかく、立場や身分の問題は、年上キャラの積極的なアプローチを制限する深刻な問題となる。このような、先輩キャラ─ひいては「年上キャラ」─が抱えるヒロインレースを阻害する諸要素のことを、僕は「年上のジレンマ」と呼んでいる。
 本稿では、いくつかの具体的な事例を出しながら「年上のジレンマ」についての解説した後、そのシステムを巧みに利用する作家として丸戸史明の名を挙げ、彼の作品における年上キャラの役割を検討していく。


第一章 年上のジレンマとは何か

 僕が明確に「年上キャラ」が好きと自覚したのは、中学二年で『言の葉の庭』を観てからだった。それと同時期に『Hello, Hello, and Hello』を読んで感動した経験も大きい。ともかく、僕は年上キャラが好きである。それは現実でも同じで、正直に言えば自分と同学年以下の人間を恋愛対象として見ることが非常に困難である。
 個人的な嗜好を語るのはこの辺にして、「年上」についてもう少し深く考えたい。男は年下を求め、女は年上を求めるというのは、それなりによく言われる一般論だが、本当なのだろうか。『女と男 なぜわかりあえないのか』(橘玲)には、クリスチャン・ラダーの『ビッグデータの残酷な真実』から作成した「女性が魅力的だと思う男性の年齢」と「男性が魅力的だと思う女性の年齢」の図が用いられている。

『女と男 なぜわかりあえないのか』(橘玲)より著者が、クリスチャン・ラダーの『ビッグデータの残酷な真実』から作成

 前者の図はある程度わかりやすい相関関係を示す(y=-x+20)一方、後者の図はすべての年代の男性の好みが20~21歳で固まっており、式で言えば「x=20」に漸近している。これは日本のデータではないが、大ロリコン帝国などと揶揄される我が国がこのデータと大きく異なるとは思えない。このデータから分かるように、(異性愛者に限って言えば)男は基本的に年下の女性を好む。
 この時点で既に、年上がメインヒロインとして扱われる作品が少ない理由が一つ分かった。ただただ自作をヒットさせることを考えれば、同い年もしくは年下好きな男性が多い日本で、敢えて少数派である年上を選ぶ理由はない。[1]

 僕は普段から「年上のOLお姉さんに養ってもらいて~」とツイートしているが、これは冗談じゃなくマジの本音である。いったいなぜ、こんなにも年上ヒロインに惹かれるようになったのだろうか。
 これはキャラクターの分析などではなく、単なる僕の恋愛観だが、なにより「好きな人は尊敬できる人」であって欲しい。仕事でも人格でも何でも良い。とにかく、僕が絶対的に尊敬できる部分があり、そこを始点にその人を好きになれるような関係性が理想ではないかと考えている。
 自分は未だに体育会系的な上下関係の規範が抜けきっておらず、特に年上に対して無条件の敬意を抱くことが多い。まさに、自分より長く「生きてるだけで偉い」のだ。つまり、「好きな人は尊敬できる人であって欲しい」からこそ、「無条件で尊敬できる年上が好き」なのだ。もちろん年下や同い年でも尊敬できる人間はいるが、100%当たる宝くじの横で100%でないギャンブルをする意味などない。
 『黒子のバスケ』の笠松幸男は〝早く生まれたからじゃねぇ。ここにいる2、3年はみんなお前より長くチームで努力し、貢献してきた。それに対して、敬意を払えってつってんだ〟と言っていたが、僕はこの笠松メソッドを使って、先んじて世界を作ってきた人々をみな尊敬している。逆算すれば、いかなる事象も人間もどんな形であれ、ここにいる自分を形作っている何かに帰着するからだ。

 さて、ここで年上キャラの魅力について具体的に考えたい。年上キャラが好きと感じる思考回路は、どのようになっているのか。以下にパッと思いつく理由を挙げてみる。

・自分の価値観や生活様式と距離があり、そこに憧れる(成熟した人生観、煙草や酒、あるいはライフワークや経済状況など)[2]
・離れていると思っていた人と自分の共通点を見つける嬉しさ
・距離が縮まった、あるいは逸脱した際に感じる親しさや身近さ(ギャップ萌え)

 正反対の評価軸が同じく魅力を生み出すというのは、奇妙な話である。年上キャラは、距離が遠くてなっても近くてなっても魅力的に映る。例えば年下キャラの場合、自分との隔たりに幼児的な、赤子に向けるような愛しさを感じることはあっても、それが縮まった時に放つ魅力は年上には及ばないように思う。[3]
 『天気の子』で陽菜が「私は早く大人になりたい」と言った時は一転して大人びた表情を見せるが、それは魅力的に映るというよりはどこかシリアスなバックグラウンドを想起させる方に回収されてしまう。あるいは『ひぐらしのなく頃に』で、まだ幼い古手梨花が年齢に見合わないような意味深な発言をした時も、どちらかといえばホラー感が強かった。これは、まだ幼いキャラクターが大人びた言動・行為に走るという「ギャップ」が物語進行上のフラグとして利用しやすいといった性質に依るところが大きい。
 一方、年上キャラのギャップはそのような活用法はあまり見受けられず、単なるギャップ萌えを狙った描き方がされていることが多い。
 同い年に関しても同じで、異なる二つの軸が並行して魅力を形成することはない。同い年キャラに求められるのは「距離」ではなく、「等身大」である。また、学園ラブコメの場合はそもそも同学年のキャラクターが多いのだからという理由もある。

年上キャラの魅力の数直線

 上記のように、年上キャラは他と異なる軸で魅力を生み出すことができる。にも拘らず、年上キャラがヒロインレースに勝ちにくい理由はどこにあるのだろう。
 先程確認した「そもそも世の男性は年下好きが多い」というメタ的な理由は置いておいて、考えられるのは「年上ゆえの制御装置が働いている」ということが大きい。すなわち、「自分が年上である」という事実がヒロインたちを縛り、主人公への積極的なアプローチを阻害しているのだ。
 僕はこれを、「年上のジレンマ」と呼んでいる。主人公に近づきたい、けれど……と何度も問い直すジレンマは、そのままレースにおけるハンディキャップとなる。そんなジレンマには「年齢」だけなく、年齢に付随する《立場》、《身分》などの上下関係が関わってくる。つまり、「私の方が年上で立場も上なのに、好きになっていいんだろうか」や、「年上の私が年下のあの子を好きになるなんて、ダメだよね……」的な思考が邪魔をしているのである。これが年上キャラを永遠に苦しめ続けている鎖の正体なのだ。

第二章 年上のジレンマ発動事例

 ここからは、実際に「年上のジレンマ」が発生した事例を見ていこう。なお、ここで紹介するヒロインは「年上のジレンマ」が発動したと思われるヒロインを挙げているのであり、決して「負けヒロイン」を挙げているわけではない(もちろん負けたヒロインもいるが)。あるキャラクターがヒロインであるということは、ゲーム化した際に攻略ルートが設けられるということだ。平塚先生や葛城ミサトなど、一部のキャラクターは主人公の攻略対象となるヒロインとして扱うべきか疑問の声が上がるかもしれないが、ゲーム化した際にはきっと攻略ルートが設けられるはずだ。
 年上という属性が付与するのは単なる年齢の差ではない。むしろ、年齢の差に付随するその他の差(立場、身分、価値観、経済状況etc……)こそが年上キャラを年上たらしめ、年上のジレンマの創出に繋がる。「年上のジレンマ」を、それらの要素別に分類して考えたい。

ケース1  鹿野千夏(学校+年上=先輩)

 三浦糀による漫画『アオのハコ』に登場するヒロインである鹿野千夏は、主人公・猪俣大喜の一つ上の先輩である。二人は同じ高校に通っており、このケースでは《学年》の違いが二人を隔てている。一度社会に出てしまえば、1~2の歳の差など誤差のようなものである。しかし、それが学生となれば、途端にこの数字は大きな意味を持つようになる。学年の違いは遠足などの行事を共有できない他、そもそも同じクラスで過ごせないという点から大きな遅れを取る。だが、そんなハンデを埋めるように、「憧れ」という魅力で主人公を惹きつけることも可能だ。実際、『アオのハコ』においても大喜は、早朝からバスケの練習に励む千夏を好きになったことが明示されており、その目には過度に美化された先輩像が映っていることだろう。
 一方、千夏が大喜に遠慮するシーンは、この漫画においてはいくらでも出てくる。それは、千夏が大喜の家に居候しているという境遇もあるだろうが、なにより大喜の同級生であり幼馴染の蝶野雛というヒロインの存在が大きい。千夏は、雛と大喜がお似合いの関係だと理解し邪魔をしてはいけないと分かりつつ、どうしても大喜のことが気になってしまうのだ。というか、大喜は現時点では雛よりも千夏の方が好きなので、実質この物語にストップをかけているのは千夏の「年上のジレンマ」だけであると言える。大喜と千夏が仮に結ばれたとして、千夏からしてみれば「大喜の貴重な時間を奪ってしまう」感覚は拭えないだろう。学年が一つズレているから、千夏の方が先に受験を迎えてしまう問題もある。いずれにせよ、学校という空間においては、年齢差、学年差はいっそう重大なファクターとなる。それらの諸要素は、先輩としての「年上のジレンマ」を発動させるのに充分である。

ケース2 姫野先輩/後藤愛依梨(職場+年上=先輩)

 続いて紹介するのは《立場》の差。学校とは違う、特に職場という政治環境での差について考える。職業上の「先輩-後輩」的上下関係は、「上司-部下」の関係にも転用できる。その差が開けば開くほど明確な権威の差を見せつけ、作品進行的には「実務的に頼れる」から「精神的にも頼れる」のようなシームレスな心情変化が描きやすい。というか、職場恋愛を描いた作品は大抵、「仕事で頼れる→仕事以外の相談もする→惹かれる」の流れが一般的だろう。そこに「年上で、仕事でもプライベートでも頼れる先輩」から逸脱した要素─例えば、頼れる女上司というのは大半が仕事を優先して婚期を逃すし、家が汚い─があれば、オタクは垂涎ものだ。例に挙げたのは『チェンソーマン』の姫野だが、ここでは視点を早川アキに据えると分かりやすい。
アキにとって姫野は、自分より早くから職場で働く「先輩」であり、実務でも精神的にも頼れるポジションを獲得している。ただし、姫野の側は終始、銃の悪魔を追って早死にしようとするアキに対して煮えきらない想いを抱えている。姫野の複雑な心境は、次のコマに要約されている。

「仕事で頼れる→仕事以外の相談もする→惹かれる」の図式は作者としては便利で使いやすいものの、当の先輩ヒロインからすれば「相手が自分を頼っているのが仕事だけなのか、それ以外もなのか」が判断できない。いくらプライベートの相談をしてきたとしても、「職場での関係を職場以外でも利用して良いのか」という疑念がつきまとう。また、仮に職場で後輩を好きになったとしても、それはややもすれば職権乱用、職場での上下関係を使ったあくどいアプローチになりかねない。その点は、「先輩-後輩」よりも「上司-部下」のように明らかに立場が違う方が深刻だろう。以下は、『ひげを剃る。そして女子高生を拾う』の主人公と上司ヒロインである後藤愛依梨の会話だ。

「俺……5年間、あなたのことを想っていたんですよ」
「え?」
「入社してから、今までずっと、あなたに恋をしてたんです。本気で告白したんです。それでフラれたからって『ハイ次!』ってなると思われてるんなら、少し心外です」
俺が後藤さんの目をじっと見たまま言うと、後藤さんはみるみる顔を赤くして、首を横にぶんぶんと振った。
「いや、違うの! 吉田君がそんなに不誠実な人だって思ってるわけじゃなくて、ただ」
後藤さんはそこで言葉を区切って、少しまるまっていた背筋をさらに丸めて、小さな声で呟いた。
「私なんかより、若い子の方がいいんじゃないかなって……」
(中略)
後藤さんが咀嚼を終えた頃に、彼女に視線を戻すと、彼女はスンと鼻を鳴らした後に、言った。
「自分を好きって言ってくれた男の子がすぐに他の若い子に盗られるのはちょっと癪じゃない」

しめさば『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』(KADOKAWA、2018)

 職場での「頼れる」像を恋愛にも転用するというのは実にスムーズな流れだが、あまりにスムーズすぎるために境界線が見分けにくい。かと言って、部下同然の年下から奪われるのは納得がいかない。職場という環境では、このような年上のジレンマが働いている。

ケース3 雪野百香里、平塚静(学校+年上=先生)

 ケース2で触れたように、職場という環境での上下関係は第一に「先輩-後輩」、一段上に行くと「上司-部下」だった。両者はそれほど高い段差ではないので敢えて区分しなかったが、学校という環境での関係の一段目が「先輩-後輩」だとすれば、「先生-生徒」の関係を次段とするには高低差がありすぎる。なぜなら、「先生-生徒」の関係は行動に移してしまえば法律的にアウトだし、倫理的にもあまり褒められたものではないからだ。
 この関係性は、年長者としての負い目に、さらに《法律》という巨大すぎる制限がかかる。一方が未成年で、もう一方が成人であることを強制するケースは、後にも先にもこれだけだ。『言の葉の庭』の雪野先生を思い出して欲しい。主人公のタカオが雪野に告白した時、彼女は苦虫を噛みつぶしたような顔で「雪野さんじゃなくて、先生でしょ」と言い放つ。生徒を家にあげているだけである程度の負い目がある分、そこで好意的な返事をするわけにはいかない。法律的な面でもそうであるし、なにより心理的に「私の方が年上だから」と何度も反芻していることだろう。その結果が、以下の引用だ。辛くて見ていられない。

 ……ばか。もう一度小さく呟く。
 秋月くんのばか。
 一方的にフラれた被害者みたいな顔をして。自分はなにも悪いことはしてないって顔をして。きみが東屋に来ない夏休みを私がどんな気持ちで過ごしていたのか、ぜんぜん知りもしないくせに。きみの高一の夏休みなんて、どうせ楽しいだけの時間だったくせに。毎日家族と一緒にご飯を食べているくせに。同級生の女の子とお茶を飲むようなことだってきっとあるくせに。十二歳年上の女の生活なんて、どうせなにひとつ想像もできないくせに。
 鼻の奥がつんとなる。熱い息が喉につまり、胸が苦しくなり、
涙が滲む。それを抑え込むように、手のひらでぎゅっと両目を押す。湿ったまぶたの裏側に、白い細かな迷路のような模様がちりちりと浮かび上がる。テーブルに置かれた手つかずのコーヒーは、音もなく冷め続けていく。
 ――きみがこの時間を終わりにしたのよ。
 ほとんど憎々しげに、雪野はそう思う。きみは本当にまだ子供なんだ。きみがあんなことを言わなければ、私たちはまた一緒にご飯を食べることだってできたかもしれないのに。連絡先を交換して、もしかしたら帰郷の日に見送りに来てもらったりして、
そしてもっとずっと穏やかで痛みのすくない形で、私たちの関係を静かに終わらせることができたかもしれないのに。
 私は我慢したのに。
 私は言わなかったのに。
 あなたが好きだって、私は言わなかったのに。

新海誠「小説 言の葉の庭」(KADOKAWA、2016)

 だが何を隠そう、僕の年上キャラ性癖は『言の葉の庭』から始まった。学校という空間で生じる関係性は、新宿御苑の東屋では通用しない。だからタカオは敬語を使わないのだ。しかし、その「通用しない」を享受しているのはあくまでタカオのみであり、雪野側からすればたまったもんじゃない。特に、自分の勤める高校の生徒だと知れば、東屋での関係も破綻を迎えてしまう。雪野もやはり、「学校での関係を学外でも適用させること」に悩み、そしてジレンマを感じていた張本人なのだ。
 同じ例は、『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』の平塚静にも言えるだろう。八幡にとっての平塚先生は、先生というよりもフランクな年上のお姉さんポジションで、雪ノ下との関係を知った最終巻では「リア充爆発しろー!」と八幡に叫ぶ。先生と生徒でも、このくらいの関係性が一番心地よい。俺ガイル本編では由比ヶ浜vs雪ノ下の構図が最終的に並んだが、PS4などで発売されたノベルゲーム『やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。』の平塚先生ルートでは、以下のような発言がある。

比企谷八幡
(当たり前なんだけど、教師と生徒なんだよな……いやほんとに当たり前なんだけど)
『教師と生徒』……職員室だと、その見えない一線がより強調されて、目の前に存在するのを実感する。
つまりそれは、俺が先生より十年生まれるのが遅かった、という現実そのものなのだ。

 「年上」である平塚先生は、「年下」の八幡にはこう映っているのだ。もちろん、かような明確なラインが引かれているのは、学校という空間の特殊性に他ならない。平塚先生のルートでは最終的に結婚まで描かれるのだが、「生徒と教師」の関係性では卒業するまで手を出すことが許されない。「年上」側からすればなおさらだ。そんな中絞り出されたのが、以下の台詞である。

平塚静
「……私はちゃんと、君を待っているからな」

 八幡には、これから華々しい(?)大学生活があるだろう。この場面で平塚先生は、「私の干渉で貴重な学生時代を浪費させてはいけない」という想いが「生徒と教師」の関係性の延長線上にあると捉えているがために、自分からは積極的になれないジレンマがある。だから、待っていることしかできないのだ。同級生であれば何のためらいもなく告白しているところを、しがらみの多い年上は、「待つ」ことしかできない。こんな残酷なことが許されるのだろうか……。

ケース4 六条御息所(身分+年上=上流階級)

 士農工商の時代ならまだしも、今の時代に《身分》の違いがある作品など異世界系か令嬢貴族ものしかないのだが、一応これも候補に入れておこう。事実、『ロミオとジュリエット』をはじめ、近代以前の国家という共同体において、恋愛作品における《身分》の差は非常に重要だった。彼ら・彼女らを引き裂くのは留学や単身赴任ではなく、国家間の戦争や貴族と奴隷の違いだったのだから。
 以前、負けヒロイン研究会のnote連載「あなたが愛した負けヒロイン」にて、六条御息所について書いたことがある。

知っての通り六条御息所は『源氏物語』に出てくるヒロインの一人であり、作中最速の敗北を喫することで知られている。恋多き光源氏が初めて恋をするのは、六条御息所なのだ。彼女は元々、「東宮」という、将来の天皇候補の妃だった。しかし東宮に先立たれ、知性・教養・美貌・気品のすべてを兼ね備えた完璧未亡人として登場する。年齢は諸説あるが、「賢木巻」では30歳とされている。
 ここで若干の私情を挟むが、個人的には年上は5歳以上の差があると輝きが増すように思う。2、3歳上だと「年上」というより「先輩」属性が強くなる傾向があり、「お姉さん」というより「お姉さんを装ってるけど実は抜けてるところもある先輩キャラ」として人生を全うしてくれ……という気持ちになってしまう。本稿では便宜上、年上キャラと先輩キャラを一緒くたに考えているが、僕としては六条御息所くらいの年齢がベストである。
 さて、光源氏は初め、歌を習いに六条御息所のところに通っていた。御息所は通うにつれて自分に懐いている光源氏に心を開くようになり、ついに御簾をくぐらせてしまう(平安時代、女は男に顔を見せてはいけないとされていたので、男女が会うときはカーテンのようなものをぶら下げてた。なので、古語の「みる」という単語は「結婚する」という意味を持つ)。
 しかしこの後、光源氏は偶然出会った「夕顔」という一般人に熱を上げ始める。市井の人間とは思えないほどの和歌の教養や美しさに光は惹かれ、六条御息所のところへは足が遠のいていく。
 六条御息所からしてみれば、身分がずっと下の女に光が取られて悔しいに決まっているし、なにより捨てられることで自分を否定されるのが辛かったのだろう。なんと、六条御息所は夕顔を無意識下で呪い殺してしまうのだ。突然現れて美味しいところだけ奪われたにも拘わらず、呪いまでかけさせられる不憫具合。紫式部は年上に何か恨みでもあったのだろうか。タチが悪いのは、これで光と縁が切れたわけではなく、完全に都合の良い女として扱われてしまうところだ。
 「浮気する光は許せないけど、でも嫌えない…………」というジレンマに陥っていた矢先、事件が起こる。光の正妻である葵の上が懐妊するのだ。光と葵の上は婚約関係であるというのに、仲があまり良くないことで有名だった。にも拘わらず、「仲悪いのになんで懐妊してんねん!」となった六条御息所は、その後起こった葵の上との直接的なトラブルもあり、またまた呪い殺してしまう。ただ、光は呪いが六条御息所の仕業であることに気づき、ようやくお別れがやってきてしまう。御息所は負けてしまったのだ。
 御息所の例を見れば、現代の負けヒロインなんて甘っちょろいもんであると言いたくなるが、これは《身分》がそれほど大きなパワーを生むことの証左である。時に国家すら揺るがしかねないこのファクターは、ジレンマに関しても並大抵の威力ではない。平安貴族はまだ10代前半の異性と結婚し子供を産むことも珍しくなかった。御息所からしてみれば、年増の女が光に手を出すというのは、現代以上に居心地の悪いことだっただろう。しかし、御息所はそのリスクを冒してまで光を好いていた。そりゃあ、呪い殺したくもなる。
 加えて、身分差を描いた作品は、「平民-奴隷」のような関係ではなく「貴族-平民」の方が多い。要するに、一方が極端に高い身分であることが、物語をより面白くする要素となる。そしてその場合、身分が高い方のバックグラウンドにある政治が絡んでくると、それだけでジレンマとなる。六条御息所は、当時の価値観からしてただでさえ尋常じゃない「年上であることの引け目」を感じており、加えて宮内での政治性も鑑みなければならなかった。どうか早く成仏して欲しい。


ケース5 葛城ミサト/詩織(家庭+年上=保護者)

 ここで言う「保護者」とは、母親のことではない。年下のキャラクターに対して経済的優位があり、生活全般のヘゲモニーを握っているような関係を指している。例えば『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズのシンジとミサトの関係であり、『男子高校生を養いたいお姉さんの話』の実と詩織の関係である。いわゆる「ヒモ」とは違い、養われる側が未成年であるために養う必然性が発生する。似たような関係は、『きれいなお姉さんに養われたくない男の子なんているの?』などの別作品でも描かれる。
 あるいは、経済的・社会的にどちらも自立した状態が発展して男性主人公が専業主夫的なポジションを獲得した上でも成り立つだろう。社会人同士の年の差恋愛で、片方に経済的優位が偏る場合は─保護者とまでは言えないまでも─このケースに当てはまる。『月50万もらっても生き甲斐のない隣のお姉さんに30万で雇われて「おかえり」って言うお仕事が楽しい』は『男子高校生を養いたい~』や『きれいなお姉さんに~』とは違い、養われる主体が成人であるため構成員は異なるが、構造は同じである。
 血縁関係のない年上キャラに養われる年下。むしろ、この状況で年上から積極的なアプローチが試みられたらちょっと怖い。年上のジレンマなどではなく、大人の自制が働いてくれないと困る。一方が生活を掌握している非対称的な両者の関係において、優位にある者が何らかの要求を突きつけることはもはや脅迫となる。ややもすれば「私と付き合わないなら家を追い出すし、ご飯もないから」くらい言われそうである。
 また、この場合に年上キャラに期待される役割は「ヒロイン」ではなく「母親」であることが多い。よって、『男子高校生を養いたい~』のようにこのケース以外の選択肢がない作品でもない限り、ヒロインレースの土俵に上がらないこともしばしばだろう。なんとも残酷な話だ。仮にこのケースで年上キャラが養っている年下に対して恋愛感情を抱いてしまったら、どうなるのだろう。社会的な制約と自制心が働いてがんじがらめである。ある意味、論理的に最も望みのない年上のジレンマがこのケースなのかもしれない。

ケース6 中野一花(同い年+年上=年上属性)

「年上キャラ」を定義するのは、単なる年齢差だけではない。『五等分の花嫁』のヒロインの一人である中野一花は、主人公及び他のヒロインと同い年でありながら「年上」っぽいキャラとして描かれている。年齢が重要でないと言うつもりはないが、これは注目すべきだろう。概念の「年上」も確立することを、一花は教えてくれている。
 思い返せば、中学や高校でも同い年とは思えないくらい達観している同級生は居たものだ。彼ら・彼女らが魅力的に見えるのは自分との距離がそのまま憧れになり、それが魅力として出力されているからだ。年齢は変わらないが、この魅力生成プロセスは年上キャラに対するものと同一であるため、「年上キャラ」は必ずしも年齢差がなくても成り立つと言える。では、その際の年上のジレンマはどのように生まれるのか。
 一花のエピソードを思い返すと、彼女は終盤から急速にヒロインレースからフェードアウトしていく。役者業を優先するために学校にあまり来なくなり、勉強時間も減少し、文化祭にもほとんど関わらない。全員が同い年であるにも拘らず、彼女には「中野家の長女」としての矜持と自覚がある。だからこそ、「私が仕事を頑張って家計を支えなきゃ」という想いがまず第一にあっただろう。さらに姉妹に対しても、主人公の風太郎に対しても、全編を通して「お姉さん」を強調したコミュニケーションを取ることが特徴として挙げられる。しきりに「年上」であることを意識させ、頼れる存在になろうと努めている。しかしその自覚が、次第に彼女自身を追い込んでいくことになる。
「年上であること」は、「自分がしっかりしないと」という強迫観念に変わり、やがて重圧となる。単純な話、こんな重りを背負ったままヒロインレースに勝てるわけがない。姉妹である5人のヒロインを出す上で、1番目と5番目にそれぞれ長女キャラ・末っ子キャラとグラデーションを与えることはキャラクター作りとして至極正しいと思う反面、作者都合で作られた年上キャラが不憫な思いをするのをこれ以上見てはいられない。だって、一花にとってのジレンマは他の誰より深刻で切ない不可抗力なのだ。二乃や三玖は気楽だよな。お前らがフータローとドキドキ!みたいなことをやっている間、一花はお前らのために役者として頑張ってんだよ。だって、一花は長女で「年上キャラ」だから……。

ケース7 純粋な年上キャラ

 最後に紹介するのは、これまでのどのケースにも当てはまらない、純粋な年上キャラである。学校が舞台ではないから先輩-後輩でもなく、生徒-先生でもない。現代の設定だから身分差もないし、同い年でも養われているわけでもない。純粋な年上ヒロイン。定義が難しいので具体的な作品名を挙げるが、『ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?』はそれに近いだろう。この作品では、15歳の男子高校生と27歳のOLの恋愛模様が描かれているが、これは1~6のケースには当てはまらない。それは主人公がヒロインを偶然にも痴漢から助けるという出会い方の性質上、特定の「場所」を共有しないからだ。現代的な物語なので《身分》の概念は存在せず、学校や職場、家庭などの場所を共有しないために上下関係が発生しない。敢えて言えば、「社会」という場所を共有するために《法律》という壁はあるが、それでも「先生-生徒」のような関係性とは違うように思える。
 そして近年、このような既存の枠に囚われないオルタナティブな関係を基軸とした恋愛作品が─特に成人向け作品において─増加傾向にあるのだ。インターネット及びSNSは、この偶然の出会いを極めて効率的に生み出している。例として、『東京遠征オフパコレポート』(ごさいじ)や『げーみんぐはーれむ』(笹森トモエ)等が挙げられよう。これらはFPSゲームを通じた遠隔でのコミュニケーションから発展する偶発的な「年上-年下」の関係性を基に性行為へと繋げる展開が多い。5人に1人がマッチングアプリで結婚する時代に、オンラインから発生した関係での恋愛は(魅力的かどうかは置いておいて)なんら不自然なことではない。両者間の上下関係が分かりにくいこの場合、経済的な差分や立場の違いは物語の本質から捨象され、「精神的」優位が最も優先されるようになる。そして、精神的優位は往々にして「ふるまい」によって表象されるため、その分かりやすい例として性行為が選ばれ、従って成人向け作品で多くこの手法が用いられる。
 社会人同士の「年上-年下」恋愛ものも、もちろん存在するだろう。しかし、年上と年下が意味を持つのはごくごく限られた狭い空間において特定の上限関係を生み出すからであり、共有する場所が広大な「社会」のみの場合、その設定を採用する道理はあまりない。場所を共有しなければ物語は生まれない。作る側としては、非常に扱いづらいテーマとなってしまう。
 このケースでの恋愛は、両者の生活や価値観が異なれば異なるほど旨味が増す。経済や立場を度外視して、擦り合わせるべき定規が「年齢」のみになった時、本当の意味で純粋な「年上キャラ」……そして「年上のジレンマ」は生まれる。『ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?』のヒロイン・織原姫は、「社会人-高校生」という隔たりよりも、数字としての年齢差をやけに気にしていた。天然の年上のジレンマは、こうして発生するのかもしれない。[4]

 以上から分かる通り、「年上のジレンマ」はそれ単体で発動もするが、「年上」という「年齢差」が、《立場》や《身分》などの他要素ともマッチして様々に強大なジレンマとして成長すると威力を増す。次章では、この構造を巧みに用いて物語を生む作家として丸戸史明の名を挙げ、丸戸作品における年上ヒロインを分析しよう。

第三章 丸戸システムと『ままらぶ』モデル

・丸戸史明の作家性

 丸戸作品の全体的な特徴を言い表すことは、とても簡単なことではない。それにはまず、彼が活躍の場を広げる美少女ゲーム、ラノベ、アニメそれぞれの媒体の違いについて言及しなければならないからだ。
 しかし、一つ確実に言えることがある。それは丸戸作品において、「年上キャラ」は、とても重要な役目を果たすということだ。これは、彼がよく扱う物語構造─本稿では、これを「丸戸システム」と呼ぶ─において、主人公よりも年齢が上のキャラクターが大切な役割を果たすことに起因している。
 特に初期の美少女ゲーム作品に顕著だが、「丸戸システム」の神髄は“自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター”にある。そのヒロインは気付かれなくともずっと主人公の近くにいて、対価を必要としない愛を与えてくれる。主人公はしばしばその愛情に甘え、浸ってしまうが、美少女ゲームにおいてはその心地よさこそがプレイヤーの快感と結びついている……これが「丸戸システム」の簡潔な説明である。以下の図も参考にしてほしい。後述するが、『冴えない彼女の育てかた』においてメインヒロインとして「存在感が薄い」と評される加藤恵を扱ったのは、丸戸システムを構造化し、作品に組み込んだ上でこれまでのシステムを脱構築するような意図があったと推察できる。

 いずれにせよ、“自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター”というのは、少なくとも恋愛的ではない。恋愛には常に波があるからだ。むしろ、このようなヒロインがもたらす愛情は家族愛に近い。この家族愛的な図式をラブコメに当てはめるとすれば、主人公が求める愛情は「母からの愛情」もしくは「幼馴染からの愛情」となる。つまり、丸戸作品は「家族愛」に最も重きを置いており、近親相姦を避けてそれに限りなく近い愛情を提供できる存在─母的な存在もしくは幼馴染─を中心として展開される、と読むことが出来る。幼馴染が家族に近い存在という主張はとりあえず了解頂けるとして、では「母的な存在」はどのように造形されるのか。それはすなわち「年上キャラ」である。

・ままらぶ

 『ままらぶ』は、HERMITから2004年に発売された美少女ゲームであり、丸戸史明はこの作品のシナリオを担当している。このゲームは、メインヒロインが「母親と同じくらい年の離れた未亡人」という衝撃の設定で、丸戸作品における年上キャラを論じる上では外せない作品だ。
 とある分譲マンションに住む3世帯はまるでひとつの家庭のようなアットホームな間柄で、「501号室」の秋月家「503号室」の藤枝家、「502号室」の桜木家に分かれている。今ではあり得ない光景だが、この3家族は部屋ごとの垣根もなく、全員が全員を家族同然に扱う。しかし、502号室の息子である主人公の桜木浩二と、503号室の母親である藤枝涼子は、物語の半年前から恋人同士だった。
 客観的に見れば、母のいない浩二にとっての涼子は、母的な愛情と異性としての愛情を共に満たしてくれる奇妙な存在に映る。近親相姦でもない限り、母でありながら異性(他人)としても存在するというのは不自然かつ不可能だろう。だが実際、『ままらぶ』という物語が成立するのは、「母的愛情→異性愛→かけがえのない愛」のように母子的な愛情が恋愛的な愛情に変わっていく行程を丁寧に描いているからだ。浩二が最初に涼子を好きになったのは、母のいない子供の単なる母性の欠落ゆえだったかもしれないが、最終的には家族という枠組みを超えた最愛の人へ向ける愛情へと変化していく。
 ところが、『ままらぶ』にはもう一人鍵となる人物がいる。それは、大学生でありながら主人公の家庭教師を務め、さらには官能小説家として活躍する秋月かおりというキャラクターである。職業柄か、白昼堂々卑猥な単語を連発し、それによって浩二との「距離」が産まれ、憧れに似た魅力が産まれる。涼子ほどの年の差はないものの、浩二にとってのかおりは年上キャラといって相違ない。同じ「年上キャラ」という括りではあるが、かおりルートで行われる浩二との恋愛は、涼子のそれとは大いに異なる。「年上」の部分に関して、涼子には「母」としての役割が期待されているとすれば、かおりには「人生の先輩」としての役割が与えられているのではないか。丸戸システムにおける年上キャラは、この二種類のモデルで差別化が図られている。本稿ではそれぞれ「涼子モデル」と「かおりモデル」と呼ぼう。より正確に言えば、丸戸作品のヒロインは、母親としての役割を担う「涼子モデル」と、(人生の)先輩としての役割を担う「かおりモデル」に分類できる。
 二章で紹介した六条御息所(ケース4)や葛城ミサト(ケース5)は「涼子モデル」だと言えるし、鹿野千夏(ケース1)や姫野(ケース2)、雪野(ケース3)は「かおりモデル」に当てはまる。[5]
 二章においては、“「年上のジレンマ」を巧に利用した作家として丸戸史明を紹介する”といった具合に彼の名前を出したが、「年上キャラ」と一口に言っても期待されるロールモデルに違いがあり、当然その違いによって陥るジレンマは別種のものとなる。従って、本章ではこう言い改められるべきであろう。“二つの異なる年上モデルを物語構造に上手く組み込み、年上のジレンマを絡めることで物語をヒートアップさせる名手として丸戸史明を扱う”、と。
 丸戸システムにおける年上キャラのルーツは、『めぞん一刻』の音無響子[6]にあると本人が公言しているが[7]、「涼子モデル」と「かおりモデル」はある意味、音無響子を因数分解して分化させた結果にも見える。
 丸戸システムが画期的だったのは、これまで役割が二重に期待されてきた年上キャラを2人のキャラクターに分け、そこで生じる三角関係を構造化したことだった。そうすることで、これまでは重なって1つのかたまりに見えていたジレンマが区別され、より純粋で明快なキャラクター造形が可能になったのだ。キャラクターを分化することによって苦悩は分かりやすく明瞭な問題として描かれるため、読者の共感を惹きやすい。それがさらなるキャラクターの魅力に寄与する。そして『冴えない彼女の育てかた』など、自身のシステムをメタ的に扱ったような作品を生んでいる時点で、丸戸が自覚的にこのシステムを用いていたことはほぼ確実と言って良いだろう。

・パルフェ

 ここからは「涼子モデル」と「かおりモデル」を使って、丸戸史明のいくつかの作品を分析したい。ところで「涼子モデル」に則る場合、そのキャラクターが「母親」的な─自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター─でさえあれば、必ずしも主人公と年齢が離れている必要はないことには注意が必要だ。年齢が重要でないと言いたいわけではないが、「人生の先輩」的な要素に比べて、「母性」的感性はあくまで属性として各々が有しているのであり、あまり年齢に縛られる必要はない。
 丸戸が一躍名を轟かせた『ショコラ 〜maid cafe "curio"〜』の続編として作られた『パルフェ 〜Chocolat second brew〜』は、2005年発表ながらいわゆる「丸戸システム」が既に完成形に近づいていることを示す作品だ。
 基本的なストーリーとしては、ショッピングモールにリニューアルオープンしたカフェ「ファミーユ」の店長である仁を中心として、従業員のヒロインたちとの恋愛や成長が描かれるのだが、本質的な問題はカフェの経営を飛び越えてそれぞれの内面の救済─具体的に言えば「家族」の問題への回答─が試みられた点であろう。ここで取り上げる恵麻、里伽子、かすりは全員が家族に関連した問題を抱えており、それを乗り越えることが主人公の仁と結ばれる条件として設定されている。
 三者の中で、かすりは最も分かりやすい。彼女は明らかに「かおりモデル」のキャラクターで、恋愛経験が豊富だと嘯いたり、常に仁を揶揄うような姿勢を見せたりするのは、明らかに人生の先輩感を醸し出そうとしているためだ。
 難しいのは、恵麻と里伽子の扱い方である。設定だけ見れば義姉でありながら実質的な保護者とも言える恵麻は明確に「涼子モデル」で、『パルフェ』における年上は恵麻とかすりが双璧を成している……と言えそうなものだが、丸戸システムの中心となる“自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター”とはどう考えても里伽子の方なのだ。どのルートでも裏でアドバイスを欠かさず店を支え続けた里伽子は仁にとって欠かせない存在であり、里伽子自身も公私混同を避けると言い訳して仁に甘えないよう立ち回る。そして、ずっと見守っていたことが明かされるラスト。まさに自然体かつ無償の愛だ。一方の恵麻は、ブラコンで仁にとっては母親に近しい存在だが、自然体と言うにはキャラクターが露骨すぎる。
 よって、これ以降は恵麻と里伽子のようなキャラクターを、それぞれ「極端な涼子モデル」と「穏健な涼子モデル」と呼称することにする。どちらも母子愛に似た愛情をもたらす点は共通しているが、その表れ方が恵麻はより直接的で、里伽子はやや見えにくい。母性の表れが直接的/直接的でないという区別をすると、必然的に前者は経済状況や生活一般に深く関わるようになり(すなわち、実質的な保護者に近づき)、後者は必ずしも年齢差が生じる必要がなくなる。先程、ケース4の六条御息所やケース5の葛城ミサトは「涼子モデル」だと雑に述べたが、正確には「極端な涼子モデル」に分類される。対して、ケース6の中野一花は「穏健な涼子モデル」となる。
 つまり、本作における年上キャラクターを整理すると、「かおりモデル」のかすり、「極端な涼子モデル」の恵麻、「穏健な涼子モデル」の里伽子の3人が出てくる。最近の作品になるにつれ、丸戸作品からは「極端な涼子モデル」のキャラの登場が減り始め、最終的に「穏健な涼子モデル」、「かおりモデル」、「幼馴染or運命の人」といった構図が増えてくる。その過渡期として続くのが『WHITE ALBUM2』であり、完成するのが『冴えない彼女の育てかた』だ。

・WHITE ALBUM2

 『WHITE ALBUM2』はLeafによって発売された恋愛アドベンチャーゲームで、主人公の北原春希、ヒロインの小木曽雪菜と冬馬かずさの三角関係を軸とした名作である。このゲームは三章構成となっており、一章では高校時代の春希・雪菜・かずさの三角関係、二章では大学生となった春希と、雪菜に加えて新たな3人のヒロインとの恋愛、三章では社会人となった春希・雪菜・かずさの物語が描かれる。今回扱うのは、全編通して登場する小木曽雪菜、そして二章で登場するヒロインの1人である風岡麻理の2人だ。
 さて、『WHITE ALBUM2』における小木曽雪菜という「穏健な涼子モデル」のヒロインと、風岡麻理という「かおりモデル」のヒロインについて考えたい。
 春希にとって、雪菜の存在は実に「母親」的なヒロインだと言える。学園祭での軽音ライブをきっかけに仲良くなった春希と雪菜は、その後かずさの三角関係を巡って様々に関係性を変化させる。しかし一貫して言えるのは、雪菜は常に春希を許し続けるということだ。雪菜と付き合っているにも拘らず目の前でかずさに抱きついても、二章で出てくる新たな3人のヒロインとくっついても、雪菜はずっと許してくれる。それは呪いのようでもあるが、母親が子供に与えるような無償の愛にもどこか似ている。かずさがいない間も、雪菜だけはずっと春希のそばにいるのだ。同級生ではあるが、春希が雪菜に「母親」的な役割を期待していたとしてもおかしなことではない。春希の母親とのエピソードは作中でほとんど捨象されており、あまり仲が良くないどころかほとんど疎遠になっていることが分かる。その欠落を埋めるかのごとく雪菜というピースはすっぽりと嵌る。しかし、それほど直接的に母性を押し出した表現はなく、他ルートではもはや空気同然の場合もある。これはまさに「穏健な涼子モデル」的なヒロインだと言える。
 それに対して麻理は、春希の大学時代のバイト先(後の就職先)である出版社の直属の上司であり、年齢は5歳上だ。二章の分類上では、ケース2の(職場+年上=先輩)に当たる。麻理ルートでは、先述の通り「仕事で頼れる→仕事以外の相談もする→惹かれる」の流れから好意を抱くように仕組まれており、仕事に熱中して現実から逃げようとする春希を咎め、導くような役割を果たす。

 春希の側からしても、プライベートよりも仕事を優先する姿勢やそのせいで一般常識からずれていること、そして男らしい言葉遣いをかつてのかずさに重ねることで好意を抱くようになる。麻理が年齢による自虐を行い、春希がそれを否定する行程は、このルートで何度も見かける。これは、「年上のジレンマ」を敢えて発露し、相手にキャンセルさせることで強制的に好意的なリアクションを引き出す手法だと言える。
 麻理にとっての春希は、年下の異性である前に「部下」だ。ただでさえ年齢を気にしているのに、立場が違うとなればより一層アプローチが阻まれる。ここに、麻理のジレンマが生じる。一般的に、「涼子モデル」は「かおりモデル」に比べて具体的なジレンマの内容を言語化しづらい特徴がある。母親的なふるまいが想定されるヒロインとは違い、職場の先輩や学校の教師は、《立場》や《法律》など、言い訳が外部のシステムによって説明可能だからだ。であれば、年齢による自虐を行い、職業上の上下関係のハードルを乗り越えれば結ばれるという明確な達成目標が示されている風岡麻理というキャラクターに「かおりモデル」を配置したのは至極正しい判断であり、春希の欲望を腑分けして母親的でない年上キャラを描こうとしたのは流石としか言いようがない。このように、丸戸史明はキャラクター造形において緻密な計算を成した上で物語を作っている。
 いわゆる「おねショタ」ジャンルに分かりやすいが、年上の女性と年下の男の恋愛は、母親的な愛と人生の先輩として導くような愛が重ねられ、1人のキャラクターに両方の使命が問われることが多い。そこから外れ、敢えて2種類の欲望を分けて別々のキャラクターに異なるジレンマを抱かせたのが丸戸作品の注目すべき点であり、年上の拘りを感じる部分だろう。

・Engage Kiss

 論を明快にするため、作品の発表順が前後することを許して欲しい。2022年放映のアニメ『Engage Kiss』は、丸戸節炸裂と言わんばかりの脚本が見られた。「ベイロンシティ」を舞台に、都市を襲う「悪魔」との戦いを通じてダメ人間のシュウ、ヤンデレのキサラ、元恋人のアヤノの三角関係を描いた本作は、悪魔でありながらシュウへの好意という一点において味方する家庭的な「涼子モデル」のキサラと、年上としてシュウをリードする側面が強い「かおりモデル」のアヤノがはっきりと対立している。
 一見、保護者のようなふるまいをすることから、アヤノの方が「涼子モデル」に近いと思われるかもしれないが、現実的に食事や家計をやりくりしているのはキサラであり、元々同じ会社の同僚(もしくは上司と部下?)だったこともあり、アヤノは先輩ポジションが板についている。アヤノがシュウの携帯代を払うシーンがあるとはいえ、どちらかといえば会社の先輩が後輩に貸すイメージに近しいだろう(ただし、キサラの「涼子モデル」が極端/穏健のどちらかという判断は難しい)。
 キサラは悪魔でありながら、キスによる契約でシュウと協力して戦う。シュウはその契約の度に記憶を失っていくが、実は代償とされていたのはキサラの記憶だったのだ。キサラはシュウに異常なまでの愛情を持っているが、その理由は明確には語られない。無根拠に尽くしてくれるヒロインである。
アヤノは元恋人でありながら、シュウのことが忘れられない。しかしそれ以上に、自身の母親がトップに立つ会社の社員だった過去を持つシュウに対して、ジレンマを感じている。アニメ『Engage Kiss』4話の台詞を引用しよう。

リンファ「初めて聞いた時は驚いたよ、あのお堅いアヤノが実はショタだったなんてさ」
アヤノ「人聞きの悪いこと言わないでよ!」
リンファ「だってほら、アンタ、彼が大人になっちゃったから別れたんでしょ?」

『Engage Kiss』4話

とまあ、アヤノが年齢差由来のジレンマに阻まれていたことは確実で、それに付随して「元恋人」や「会社での関係」が合流して巨大なジレンマとして育っているのだろう。単純なラブコメではなく悪魔との戦闘を介した物語であるから、キサラのジレンマはこれまでの作品と同様に扱えるものではないが、いずれにせよこれも丸戸システムによってある程度説明可能だ。

・冴えない彼女の育てかた

 『Engage Kiss』よりも先に世に出ている『冴えない彼女の育てかた』を最後に紹介するのは、この作品が最も純粋な丸戸システムに基づいた構造を採用しているからだ。2012年7月から2019年11月まで全13冊刊行された『冴えカノ』は、丸戸本人が初めて執筆したライトノベルであり、代表作と言って良い。
 消費豚としてアニメやラノベに熱中する主人公・安芸倫也が、桜舞い散る坂で少女と運命的な出会いをし、そこから着想した同人ゲームを作るのが物語の本筋だが、注目すべきは加藤恵、霞ヶ丘詩羽、澤村・スペンサー英梨々といった3人のヒロインである。
 丸戸システムをもう一度振り返ろう。丸戸作品における最大の特徴は“自然体でありながら無償の愛を提供してくれるキャラクター”であり、そのヒロインがもたらす愛は恋愛的な愛情よりはむしろ家族愛に近いものだった。ラブコメにおいて家族愛的なものを提供してくれるのは、家族同然の過ごし方をしてきた幼馴染か、母親的な愛情をもたらす年上キャラである。そして、後者の「年上キャラ」は、本来レイヤーが二重になっており、それぞれを分解して独立した個別のキャラに仕立て上げ(「涼子モデル/かおりモデル」)、ポジションによって異なる種類の「年上のジレンマ」を発生させ、物語を進行させるのが丸戸システムのコアだった。
 この時、①幼馴染、②年上キャラ(母)、③年上キャラ(先輩)と区別すると、それぞれ、①澤村・スペンサー・英梨々、②加藤恵、③霞ヶ丘詩羽となる。主人公を巡ったこの三者関係は、そのまま「丸戸システム」と呼んでも差し支えないほどに完成されている。
 従来通り「涼子/かおりモデル」を当てはめるとすれば、恵が「涼子モデル」で詩羽が「かおりモデル」となる。作中で倫也より年上のヒロインは詩羽だけだが、終盤は年上のジレンマに加えてblessing softwareを裏切る辛さが合流し、倫也へのアプローチは実質的に消滅している。だからこそ、影ながらずっと支えてきた母親のような愛で包み込む恵が勝利したのだ。メインヒロインである加藤恵の「存在感が薄い」のは、丸戸システムにおけるメインヒロインのプロトタイプ(「穏健な涼子モデル」)が“自然体の中に無償の愛情を体現しており、さながら空気のように主人公を慈しみ続ける”[8]という特徴を持つことを表しているからではないだろうか。
 加藤恵のような「存在感が薄いけれど主人公を影で支え続けるメインヒロイン」は、おそらくそれほど多いものではない。他の競合が「金髪ツインテツンデレお嬢様幼馴染」と「黒髪ロングミステリアス先輩」というコテコテな設定であるから、余計にメインヒロインが浮いて見えてしまう。しかし、丸戸システムの真価は恵のようなヒロインを生み出せたことにある。幼馴染と先輩キャラは、それぞれ独特なジレンマを持ち、その理由付けは「涼子モデル」のメインヒロインよりも強力に働く。「穏健な涼子モデル」のヒロインは、“母親的”なのであって、実際に母親であるわけではない。恵麻のような「極端な涼子モデル」でない限り、「年齢」に関連するジレンマは発生しづらい。この差こそが、ヒロインレースの良い塩梅となり、幼馴染&先輩キャラと対等に戦って勝ちうるポテンシャルを付与しているのだ。やはり、『冴えカノ』は丸戸システムを体現するが如き作品である。

・丸戸システムの解説

 くどいようだが、本稿のまとめとして丸戸システムの最終形について再度解説を付そう。丸戸システムの基本形は、①主人公、②幼馴染(もしくは運命の人)、③年上キャラだった。そして徐々に③の年上キャラが解体され、『ままらぶ』の「涼子モデル」(母親的)と「かおりモデル」(先輩的)に分かれる。「涼子モデル」はさらに、その母性の表現が直接的か否かによって、「極端な涼子モデル」と「穏健な涼子モデル」に分けられ、前者は徐々に少なくなりつつあるのだった。そのためこの段階において、最終的に丸戸システムは①主人公、②幼馴染、③かおりモデル、④穏健な涼子モデルの四すくみとなる。最終段階をそのまま体現した作品が『冴えない彼女の育てかた』であり、丸戸史明の極地だった。

 本稿の結論は以下の通り。

・一般的に重ねられることが多かった「涼子モデル」と「かおりモデル」と分け、年上キャラをより精密に描けるようになった。
・涼子モデルを分化させたことで、年齢に縛られないキャラクターの可能性を切り開いた。
・特徴を分けたことで「年上のジレンマ」も分けられ、苦悩や葛藤がクリアになったことで読者(プレイヤー)の共感につながった。
・解体されたジレンマが、ヒロインレースのフェアネスとヒートアップに寄与した。

終章 年上キャラを救いたい

・年上作品の現在

 年上キャラをメインに据えた作品は、現在どのような状況下に置かれているのか。サンプル数が極端に増えているということはないが、徐々に頭角を表していることは間違いない。ライトノベルであれば『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』(先輩)などの先輩ヒロインは昔から一定数の需要があったし、先生との恋愛であれば『僕のカノジョ先生』(先生)がある。若干メインストリームから逸れた話であれば『娘じゃなくて私が好きなの!?』(母)や『お隣さんと始める節約生活。電気代のために一緒の部屋で過ごしませんか?』(隣人)が挙げられよう。その他、ラノベの一大市場である異世界系とミックスした『年上エリート女騎士が僕の前でだけ可愛い』(上司)や『甘えてくる年上教官に養ってもらうのはやり過ぎですか?』(上司)も人気作だ。
 漫画でも大抵似たような分布を見ることができ、『うちの会社の小さい先輩の話』(先輩)、『なんでここに先生が!?』(先生)、『君のお母さんを僕に下さい!』(母)、『ダメなお姉さんでもすきだよね?』(隣人)などがある。そして、西沢5ミリがイラストを手がけている率が高い。
 また最近では、年上キャラをメインに据えるばかりか、年上キャラのみでヒロインレースを繰り広げる場合もあり、『お姉さん先生は男子高生に餌づけしたい。』、『神童勇者とメイドおねえさん』はそれに当たる。『姉体験女学寮』などの成人向け作品にはこれまであったものの、こうして広がっているのは非常に良い傾向だと言わざるを得ない。男女は逆だが、『私がモテてどうすんだ』のように複数のライバルから年上キャラが選ばれる稀有な展開はもっと増えてほしい。

・年上が勝つために

 ここまで年上キャラについて様々な切り口から語ったが、実際に年上キャラがヒロインレースを勝ち抜き、メインヒロインとなるにはどうすれば良いのだろうか。年上専門家として出した結論は以下の通りだ。年上キャラの読者はぜひ参考にしてほしい。

①ジレンマを乗り越えるのではなく、利用する。
『WHITE ALBUM2』の麻理が使った手法は、年上キャラにとってかなり有効である。年齢差を自虐し、それを年下の主人公に否定させることで、トリッキーに好意を引き出すことができる。年齢以外のファクターでも、オルタナティブなジレンマの使い道があるはずだ。ハードルを越えるのではなく、くぐってこそ恋愛は成就する。

②自分に求められている役割を分析し、実行する
丸戸システムには慈愛をもたらす「母親」ロールと、リードしてくれる「先輩」ロールの2種類のタイプがあったが、自身に求められるのが果たしてどちらの役割なのかを一度考えてみて欲しい。主人公に必要なのは母親的な愛情かもしれないのに、先輩ロールプレイをしても無意味である。適切な自己分析と実行能力が不可欠だ。

③未成年であれば、待つ理由を作る
もしもあなたが年上で、攻略対象が未成年の場合、《法律》という障壁が立ちはだかる。よって一定の年齢になるまで「待つ」必要が出てくるが、その間に対象が心移りしないよう注力しなければならない。幼馴染への牽制は忘れずに、年上ならではの魅力を活かしてハートや胃袋を掴まなければならない。

④年上らしい振る舞いや言葉遣いを有効活用する
『やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。』の雪ノ下陽乃ルートで、陽乃は最後に「契約の更新……、する?」と言って交際の確認を取る。この台詞には、年上らしく振る舞おうとする懸命さと、それゆえ素直になれずもったいぶった言い方になる可愛さが同居している。単に年上らしく振る舞うだけでも充分に素晴らしいが、そこから乖離した魅力を挟み込むのは実に効果的だろう。これは年上キャラ以外にはできない。

 僕は年上キャラが好きだ。今後どんなことが起ころうと、それだけは変わらないだろう。年上キャラには幸せになって欲しい。利用でもなんでもいいから、年上のジレンマを越えた先にある未来を勝ち取って欲しい。
 僕は、年上ヒロインに語りかけている。闘い方は示した。後は君たちの努力に懸かっている。世界が同級生と年下に飲み込まれても、君を愛し続ける人間がいることを、どうか忘れない欲しい。僕は、「自然体の中に無償の愛情を体現」しながら、「さながら空気のように」君たちを愛している。

【注釈】
1 ただし、ここで言う「年上を選ぶ理由がない」とは、「複数ヒロインの中から一人を選ぶ」という アクションが発生する場合に、喜ぶ層の少ない年上をわざわざ「選ぶ理由がない」ということであ って、年上のヒロインと結ばれる作品が少ないと言いたいわけではない。「年上キャラが“メインヒロ イン”である」という言説は、年上キャラ以外の候補も存在した中で年上キャラが選ばれた事実を含 んでいる。
2 ただし、「憧れ」と恋愛感情を混同して悩むのは年の差恋愛ものの常套手段であり、その意味で 「年下のジレンマ」も当然存在すると考えられる。
3 主体との距離によって魅力にグラデーションが生まれるという話は、『ToHeart2』の向坂環と『と らいあんぐるハート 2』の仁村真雪を比べると分かりやすい。ヒロインポジションとしては似ていて も、主人公との距離感によってシナリオ演出も異なる。
4 あるいはこのケースではヒロインに「未亡人」などの、のっぴきならないハードルを設定すること もある。また、『それは舞い散る桜のように』のキャラクター・里見こだまのように、年上であるが 年齢に釣り合わない幼い容姿を持った点が魅力として描かれるキャラクターは今回扱わない。
5 『源氏物語』も『新世紀エヴァンゲリオン』も『男子高校生を養いたいお 姉さんの話』も、あるいは『ままらぶ』も『WHITE ALBUM2』も『Engage Kiss』も......全員が母 親を喪失した少年が主人公となっている。母から愛を得られなかった人間は年上に走る。
6 実際、『世界でいちばん NG な恋』や『ままらぶ』は、丸戸版めぞん一刻だ、というような見方も される
7「ネタやプロットはどうつくる? 『冴えない彼女の育てかた』丸戸史明さんの「物語のつくりか た」」(note)https://note.com/events/n/nf447ce6b1aca(2022 年 12 月 8 日最終閲覧)
8 最終批評神話「丸戸史明全ゲーム評 9+1」『青春のディストピア #Saihi vol.1』(私家版、 2012)

【引用画像】
橘玲『女と男 なぜわかりあえないのか』(文藝春秋、2020)p.19(クリスチャン・ラダー『ハーバード数学科のデータサイエンティストが明かす ビッグデータの残酷な真実』(ダイヤモンド社、2016)から著者が作成)
三浦糀『アオのハコ 5』(集英社、2022)
藤本タツキ『チェンソーマン 3』(集英社、2019)
『WHITE ALBUM2』Leaf、2018

【主要参照作品】
三浦糀『アオのハコ』(集英社、2021)
藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社、2019)
しめさば『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』(KADOKAWA、2018)
紫式部『源氏物語』
新海誠『言の葉の庭』(KADOKAWA、2016)
渡航『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(小学館、2011)
英貴『男子高校生を養いたいお姉さんの話』(講談社、2018)
『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ
望公太『ちょっぴり年上でも彼女にしてくれますか?~好きになったJKは27でした~』(SBクリエイティブ、2018)
春場ねぎ『五等分の花嫁』(講談社、2017)
『ままらぶ』HERMIT、2004
『パルフェ』戯画、2005
『WHITE ALBUM2』Leaf、2018
『Engage Kiss』Project Engage、2021
丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』(KADOKAWA、2012)


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