噺家が高座で羽織を脱ぐわけ
よくお客様に「どうして羽織を脱ぐんですか?」「タイミングは決まっているんですか?」と訊かれます。これは確かに、観ている人からすれば不思議な動きですよね。噺家によっては出てきてすぐ脱ぐ人もいて、じゃあ着てこなくて良かったじゃんと思うこともあるかと思います。
羽織は二つ目から
二つ目から羽織を着るようになって、特に江戸落語においてはまず前座との区別という意味もあるでしょうし、これからお客様におもてなしをするという意味でも、羽織を着て出るのが普通です。
なぜ脱ぐの
そして、その羽織なんですが、高座に座って少し喋ったあと脱ぎます。どうして脱ぐのかというと、簡単にいうと噺の世界に引き込むためということになります。
落語の内容はその多くが長屋を舞台にしています。そこに住み人々の話で展開していきますので、そもそも庶民は羽織すら着ていません。みんな着流し(着物だけのこと)です。「黄金の大黒」噺では、一枚の羽織をみんなで使うような描写もあったりします。そのような世界ですから、羽織を脱いで噺に入った方が自然に見えます。
羽織にルールはない
ただ、ここで良く勘違いされますが、絶対に脱がなければならないというルールはありません。噺が終わるまで着ていても問題はありません。あくまでも噺の世界に引き込む補助ですから、羽織を着ていても長屋の風景は描けます。
落語本編に入らずに、漫談と言って枕の延長のようなもので一席終わる場合もあります。そういう時も脱がないことが多い気がします。気がしますってのは、そもそも漫談だけで降りる噺家が少なくなったからです。
途中で脱ぐ?
それと、噺の途中で脱ぐという場合もあります。枕から噺に入った時は着ているけど、途中で脱ぐパターンですね。これは、出てくる人物が羽織を着ているであろうという場合です。幇間持ち(たいこもち)、旦那、若旦那、大番頭などの台詞からはじまる場合は着ていることがあります。で、噺が進んで行って、場面が変わったりする時に脱ぐようなイメージですね。
脱がないのは脱がないなりの意味もあるということですね。
そういうのは関係なく、枕から本題に入る時にその合図として必ず脱ぐという人もいます。それはそれで本題への誘いという意味だと思います。
昔の羽織
寄席において次の出番が来ないという事態は昔からあって、次の演者が来ないまま高座に上がることがあります。その場合はつなぎと言って、次の演者が来るまで噺を続けなければいけません。その次の演者が来たことを高座に知らせるのに昔は羽織を使いました。
どうするかというと、つなぐ役目の演者がまず脱いだ羽織を舞台袖に放ります。で、次の演者が来ると、前座がそれを引くんです。そうすると、いくら正面を向いて喋っていても、袖の戸が開いて羽織を引けば、気配でわかるんで、ああ、次の演者が来たんだなと分かって、時間を見計らって降りてくるということです。
ただ、これは昔のやり方で今はやりません。
そもそも、携帯電話をみんなが持つようになったので、何時に楽屋に入るってのがギリギリでも連絡がつくようになっているので、必要な状況が少ないです。
初脱ぎの思い出
二つ目になって何が嬉しいって、自分の手拭いをこさえられる事と、なんと言ってもこの羽織を着ても良いということです。前座の頃、二つ目に上がった兄さん達が羽織を着るのを見て憧れたものです。
そんな羽織ですが、最初はカッコよく脱げないんですよね。羽織を脱ぐ上で大事なのは、脱ぐ際に羽織を見ないことです。喋りながらですから、お客さんとの目線を外さないように、スーッと脱ぐんです。だけどこれが最初は出来ない。
二つ目の最初の高座で羽織を脱ぎ忘れるというのは我々の世界でのお約束のあるあるです。前座時代に一度も着たことないわけですから無理もありませんね。
私も二つ目の最初の高座で羽織を脱ぐ時は手が震えたのをよく覚えています。羽織紐を解くところから手が震えていました。今から13年前の話ですね。懐かしいです。
今日は「羽織を脱ぐ」について考えました。
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