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二つ目時代の思い出の仕事

二つ目になると好きに活動出来るのが良いですね。落語家なので落語をやるのは当たり前ですが、違う側面を持つことが許される。

芝居挑戦

一番大変だったのはお芝居ですね。

5、6年前にお芝居に挑戦しました。小劇場でキャストは15人くらいですかね。芝居って、落語と似ているようで、使う筋肉は全く違うんです。

あとは稽古が大変。大体2ヶ月くらい前から集まって、打ち合わせしながら稽古していく。慣れてる人なら1ヶ月前くらいで出来るんでしょうけど、僕も含め芝居ははじめての人がいましたからね。

稽古を重ねて、いよいよ本番。最初だけは緊張しましたけど、あとはもう楽しくて仕方がなかったのを覚えています。

芝居って、初日に合わせて仕上げるんですけど、落語はネタおろしの時点ではまだ未完成ってことが多いので、そこは違いますね。芝居も初日からどんどん変わって行きますけど、落語はもう全然違うものになって行きますから、そういう違いも楽しめました。

鹿芝居

同じ芸人仲間とやったもので言えばやっぱり鹿芝居が印象的です。緑也兄さんと相談して始めたこの「令和鹿芝居」。

僕らなりに、新しい鹿芝居を始めようというのがコンセプトで、お金はありませんから、出来る範囲で始めました。

とは言っても、やっぱり衣装だカツラだってのは掛かってくるので大変でした。

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後ろのセットは、ウチのカミさんに頼み、衣装はおかめ家ゆうこさんという歌舞伎役者のお姉さまにお願いしてなんとか出来ました。

もう本当にありがたいの一言です。それに応えるべく稽古しまくって(落語ならこんな稽古しません)、なかなか良い舞台が出来たと思います。

今までやったのは「車引」「牡丹灯籠」。2021年は事情あって、芝居は出来ませんでしたが、2022年はまた復活したいですね。いや、必ずします。

そらまち亭

二つ目時代を象徴する仕事と言えばこの「そらまち亭」でしょうかね。スカイツリーに隣接する東京ソラマチ内にある居酒屋さんでの毎日落語会。毎日やるって寄席ですよね。

お店も寄席味楽茶屋そらまち亭でしたから、間違っちゃいない。

何が大変だったかって、僕が顔付け(いわゆるシフト)をしていたので、毎日毎日大変だったんです本当。この毎日やってたことだけは褒めてもらいたいです誰かに。だって7年くらいやったんですもの。すごいでしょ本当。

このお陰で僕はまめだとみんなに言われるようになったんですが、これは声を大きくして言いたいです。僕はまめじゃない。臆病なんです。

「臆病→失敗したくない→言われたら忘れる前にやっちゃおう→まめに見える」

この流れだけなんです。だから根本は臆病ですw

さあ、そんな僕の差配で成り立っていた(もう言い切っちゃうよ)そらまち亭ですけど、ここはとても刺激的な場所でした。修学旅行の団体とか、会社の忘年会よか、極め付けは外国人の団体。もうアウェーもアウェー。色々な勉強をさせて貰いました。

お陰で、心臓が強くなりましたね。めちゃくちゃ。林家の若手はみんなそうだと思います。ここで学んだことが今の僕を作っています。

初心者の人にどう接するべきかを考えるきっかけになった。本当に感謝してます。

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舞台の写真がなかったんですが、楽屋はありました。懐かしい。

二つ目の仕事の思い出はいっぱいありますが、とりあえず今日はこれまで。

落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。