私はずっとフワちゃんが大好き

自分のもやもやがやっと言語化出来そうだったので。自分のメモ用として。
綺麗な文章じゃない。一見全然関係ない文章になりましたが、自分の中では腑に落ちています。

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いじめとは?
「相手が虐められたと思ったらそれはいじめです」
義務教育でよく聞く言葉だ。
それはつまり、いじめの加害側になるのに明確な条件がない、つまり誰にでも加害者になり得るということである。
相手がいじめだと思えば、殴るのは虐め、悪口は虐め、遊んでいる時に誤って怪我をさせても虐め、3人組で遊んでいて2:1になっても虐め、花いちもんめなんて最悪の虐め。
なにそれ避けようがないじゃん。人、怖。社会怖。と中学生の私は思ったものである。

だがそんな認識が通用するのは狭い狭いコミュニティ内での話で、例えば海外に行ったならそうはいかない。
ジャップ、ノースコリアとさんざ言われたとて冗談だと言われれば納得するしかない。いつまでも突っかかれば孤立するのはこちらの方だ。
某国の小学生は好きな子の家の柱にトイレットペーパーをぐるぐる巻きにするのが流行りらしい。日本でそんな事やったら完璧な嫌がらせ通報案件である。

言うまでもなく、文化の違いだ。

アメリカ人の紳士が道に唾を吐く。ガムを噛みながら会議をする。中国人が音を立てて痰を出す。バングラデシュのとある村では食事は男性が先。イスラム圏の女性は肌を布で隠す。
これらを見て「あいつらは非常識だ」「野蛮人だ」なんて思い込むのはあまりに無知である。
こんな話がある。とある村では女性は靴を履かず、座る時も男性は椅子だが女性は地べたに座らなければならない。一見すれば男尊女卑だが、実は真逆で、その村では土を崇拝しており女性の方が敬われているので、女性の方が神様に近く居られるのだ。

文化の違い。常識の違い。
それは遠い外国に限らず、日本人同士でも当たり前にあるのだ。家族内でさえ。


「馬鹿」「死ねよ」
知り合いに言われたとする。ショックだろう。相手との関係を絶とうと考えるかもしれない。
だがここで考えてみる。
その相手は普段、人とどういうコミュニケーションをしている?その人のバックグラウンドは?
もしかしたら相手は、「馬鹿」「死ね」が口癖で、自分のことを親しい人と認識しているからこそ咄嗟に出てきただけかもしれない。
もちろん褒められた口癖ではない。すぐ直すべきだしそいつの想像力は中々に欠如している。言われた人は怒っていい。
だが、自分のことを嫌っている故の発言では無いという結論には辿り着けるはずだ。

つまり、「虐めるつもりは無かったのにいじめと思われてしまった」の本質は「人との距離感を見誤るから起こりうること」ではないだろうか。
「死ねよ」と言われたとて、お互いが親しく、相手の口癖だと理解していれば「お前その口癖まじでやめろ」で済むのだ。
お互いに信頼関係を築けていない段階で、一方が距離感を見誤り「死ねよ」と言うから取り返しのつかない誤解が生まれる。

一見すれば「非常識」と敬遠されるかもしれない。だが「常識」などというものは自分のモノサシの範囲内でしか測ることが出来ない、脆いものなのだということを今一度考えて欲しい。
あなたの常識は隣の人の常識じゃない。

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