苗場初開催から25年。湯沢町から見守る地元の店主に、フジロックの移り変わりを聞いた。
2024年は、苗場でFUJI ROCK FESTIVAL(以下フジロック)が開催されてから、ちょうど25周年。来る度に新しい発見に喜び、頭の中で思い描けるほどのお気に入りの場所、必ず食べるフジ飯、拘りのルーティンなど、みんなの“好き”がある。開催日が近づくにつれて、わくわくしますよね。今年初めて来る方も、テンションを上げながら今頃準備や予習に勤しんでいるのではないでしょうか。しかし、こんなにも長く同じ場所で開催されるというのは、運営や主催側だけでなく、きっと地元の方々の協力や理解があってこそなんだろうと、私もフジロックファンになって、そんな事を考えるようになりました。四半世紀のフジロックを見守り、支えてきた地元の声を聞いてみたい。そこで、インタビューと言ったら大袈裟になるけど地元の人に話を聞いてみたい、と思い立ちました。陽気の温かさにフジロックへの期待が高鳴りつつあった4月。湯沢町のとあるお店の店主さんに電話でお願いすると、当時の思い出を気さくに話してくれました(お店の都合上、店名等は伏せています)。
※本文の中にはネガティブな印象と捉えられかねない表現もありますが、店主さんの言葉をそのまま掲載しています。当時の貴重なエピソードをお聞きしたので、地元の方から見たフジロックの歴史として、読んで頂ければ幸いです※
天神山での“暴徒化”を聞き、地元は構えていた。
――フジロックが苗場開催となって今年で25年ですが、1999年の初開催当時で、印象に残っているのはどんなことでしょうか?
店主:1997年に富士天神山スキー場で開催された1回目のフジロックでは、お客さんが“暴徒化”したと聞いていたので、こちらも気をつけて、地域も構えていました。
――天神山での開催では、天候の影響など色々と混乱もあったようですね。
店主:はい。なんだか大変だったんだと、それは風の噂で聞きました。
ーー湯沢町に音楽フェスティバルがやって来ると聞いて、町はやはり驚きましたか?
店主:もともとは湯沢町の中で、フジロックとは別のイベントがあったんです。
――湯沢町で他の音楽イベントですか?
店主:はい。JR東日本主催の『POP ROCKETS』という音楽イベントが、湯沢中央公園野球場で開催されていたんですよ。
ーーフジロック以外にも、音楽イベントが開催されていたのは初耳でした。
店主:そのイベントは、ちょうどフジロックの期間と被っていたので、日程をずらしたり、開催場所を県外に移動していきました。フジロックは7月最終週で開催日を固定しているので、だんだんと浸透していきましたね。
ーーそうでしたか。湯沢町でPOP ROCKETSが既に開催されていたことで、地元の方たちにとっては、ロックフェスに馴染みがないというわけではなかったんですね。他にも湯沢町ではイベント等はあるのですか?
店主:湯沢町では、冬にはアルペンスキーワールドカップが苗場スキー場で開催されます。そのあとGWを過ぎると大きなイベントはなく、夏は高校生や大学生の合宿が増えますね。現在もそうです。そこに、フジロックも定着していきました。
店の駐車場にテントを張ったり、初めの頃は色々あった。
――別のイベントからフジロックへと変わっていった事で、客層や雰囲気といった変化はありましたか?
店主:開催当初は、お店の駐車場にテントを張っている人いたり、店の横で寝ている人もいたり、色々ありました。あとは、車を乗り捨てていく人もいましたね。
――車の乗り捨て…?
店主:駐車券が取れなくて車数台で湯沢町まで来て、そこから1台に乗り合わせて苗場の山に上がって行きました。グループ4〜6人が2、3台で来て1台に乗って、他の車は置いて行くんですよ。そしてまた夜に来て荷物を取って、車を移動させて下山していたようですね。
――お客さんも試行錯誤といったところでしょうか。それを見守っていてくれたんですね。店主:夜には移動していたようですよ。
直行バスの運用などにより、お客さんの動線も変化してきた。
ーー開催当時からフジロックを毎年地元で見て来られていたわけですが、期間中は越後湯沢駅周辺のお店が賑わったり、平時と比べて忙しくなりますか?買い物や飲食店などにお客さんが来ることで、地元の良い循環になっているのでしょうか?
店主:20、25年とやっていますが、地元貢献度は下がっています。開催当時は車や電車で来て湯沢町で温泉に入り、食料品を買って会場のある苗場に上がって行きました。それから湯沢町の宿に宿泊して、リピーターが定宿にしてくれていました。現在は会場への直行バスが増えているので、実は貢献しているようでしていないです。
――そうだったんですか。
店主:湯沢町にはね、あまり貢献度はないんですよ。最近は直行バスもあるから、会場に直行してしまうので、湯沢町で買い物をして行く人も減りました。昔は湯沢町で食料なんかを買い物して、会場に行っていましたけどね。
先程話した冬のアルペンスキーワールドカップも、苗場スキー場オンリーで開催しているので、それに伴って、湯沢町の街なかや、越後湯沢駅周辺にお客さんがそこまで増えるというわけではないんですよ。湯沢町は広いんでね。
――確かに、近年は各都市部から会場までの直行バスも増えていて、お客さんとしては会場までの移動が楽になりました。
店主:当初は苗場山の下の湯沢町も賑わっていました。それが利便性も良くなってくると、お客さんもこういう準備をしようと考えて来ますね。
――フジロックはリピーターが多いので、荷物の準備や収納など、すごく上手だな感じます。フジロック開催期間中に、営業で工夫されていることはありますか?
店主:商品の工夫はしていますよ。食料品や水、飲料水を増やすようにしています。昔はお客さんは身軽で来ていましたね。着替えのみ持って、他は何も持って来ないような。
――そんなに軽装だったんですか?
店主:はい。キャンプサイトも宿の人も、とりあえず着替えがあれば何とかなるというような感じで、何かあれば買えるだろうと。雨が降って来たらカッパを買ったり。現在はリピーターも多く、皆さん色々と準備して来ますからね。フジロックというイベントに慣れてきたんでしょう。
ーー苗場はこんなにも雨が降るのかと、私も実際に来て本当に驚きました。アウトドアやフェスブームも相まって、防寒や防雨アイテムもたくさん出ていますし、万全の対策で来場される方が多いですね。
四半世紀前は、日本人も同じだった。
――以前は“世界一クリーンなフェス”と言われていたフジロックですが、近年はアウトドアチェアの放置やゴミの片づけ問題が提起されており、中にはキャンプサイトにテントを置きっ放しにしていく人も見られます。店主さんから見て、お客さんのマナーについてどう思われますか?
店主:999人が良くても、1人のマナーが悪かったら、イベントの印象は悪くなります。ゴミのマナーもそうですね。開催当時は店の駐車場にテントを張ったり、店の脇で寝てる人もいました。要らない物を置いて行きましたね。車で来る人はゴミをゴミ箱に入れてくれても、分別が出来ていなくて、こちらで分別していました。
――そうですね。一人ひとりの心がけが大事なんだと思います。
店主:近年は外国からのお客さんも増えてきており、ゴミの分別やフェスティバルにおけるマナーなど、日本の文化の理解が不十分だと言われることもあります。開催当初から知っている者としては、今の外国の人は昔の日本人を見ているようです。四半世紀くらい前は、日本人も同じようなことをやっていましたからね。でもそれは、日本でのルールを知らないゆえにそうなってしまうわけで、決して外国人が悪いわけではないんですよ。
ーー確かに、私達日本人も、野外フェスでのゴミやマナーなど、経験して覚えていきました。私達が海外に行った場合の逆の立場としても、同じことが言えますよね。現在は、会場内でスタッフがゴミ分別の声掛けもしてくれているので、フェスに慣れていない方や外国のお客さんにとっても、分かり易いのではないでしょうか。
とにかく、思いっきり楽しんでほしい。フジロックを楽しめればリピートしてくれる。
ーー開催当初の混乱や地元とフジロックの実情をお聞かせ頂きました。最後に、フジロッカーズに伝えたい事などあればお願いします!
店主:とにかく、思いっきり楽しんでもらいたいですね。最近は家族連れも多いと感じます。どんどん来て、また来てくれれば。マナーの良し悪しはありますが、フジロックを楽しめればリピートしてくれると
思いますね。
――本当ですね。お忙しい中、ありがとうございました!
25年の月日と共に、人気や知名度も上がっている、日本最大級の野外フェスティバル、フジロック。利便性や情報が毎年アップデートされていくと、お客さんにとっては好都合でも、地元にとっては貢献度が下がってしまう事を、インタビューを通じて初めて知りました。また、フジロックの参加を年々重ねていくと、経験を活かした準備、それを効率良くかつ低コストに工夫する事で、開催当初の『とりあえず現地に行こう。』という発想は、確かになくなってきているのかもしれません。それが地元での買い物や消費の循環を乏しくさせてしまう事に繋がるのは、いくらか寂しいようにも思えました。
フジロッカーズにメッセージをお願いした時、『こうして欲しい』というような要望があるものだと勝手に予想していましたが、『また来て』という言葉を聞いた時、店主さんだけでなく、湯沢町全体で歓迎する思いが詰まっている、そんな印象でした。湯沢町の皆さんが、フジロックに来るお客さんを陰で支えている表れなのでしょう。
マナーに関しても、〝お互い様〟の精神や、個々の意識など…身近なところから少ずつ、そんな心がけが積み重なり、広がり、そして繋がって、このフェスティバルが出来ているんだと思います。近年はゴミの指摘もありますが、みんなで気持ちの良いフェスティバルを作りたいですね。営業中であったにも関わらず対応していただいた店主さん、ありがとうございました!
フジロック期間中だけでなく、湯沢町に来た際には、地元で買い物や宿泊施設等の利用で地元貢献度を上げて、感謝の気持ちで湯沢町を盛り上げましょう!
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2024年 7月 明日は前夜祭
写真・文 土野苗子