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【小説】ひとりごと

 あたし少女漫画なんて嫌いです。大嫌いです。憎悪めいたものさえ、抱いているほどです。あれほどの書物はないわ。あれほど、残酷な書物なんて。とくに、布団に入ってからの、この安寧の時間に読むのにはいちばん適さないかもしれない。心が波立ってしょうがないのよ。見えない大きな手に、胸の中ぐちゃぐちゃにかき回されてるみたいな気分になるの。胃の底がむかついて、耳の奥が脈動する。

 だって何もないのよ、私の日常には。あまりにも何も。今日だって、平日だったから、当然学校に行ったわ。そうして放課後には、飽きもせず図書館に行った。なんにもないとは知りながら、ね。どう頑張って目を凝らしたって見えやしないくらいちいさな期待を胸に宿して、ね。莫迦みたい。カウンターにはあなたがいたわ。当然、そんなこと、知っていたことなのだけれども。それでね、またいつものように本を借りたの。当然のことだけれど、あなたとはなんにも喋らなかったわ。指の先の先さえも触れ合わない。至って単純で極めて明快で事務的な貸し出し作業。ただの来館者と図書委員。ちら、と私の方を見たような気がしたけれど、ええ、それはどんな希望的観測も生み出しえないような視線だったわ。まあ目がついてりゃあ、嫌でもどっかに視線が向いてるわよね。そんな、ねえ、ありえないのよ。私がフィーリングで借りた『谷崎潤一郎全集3』がたまたまあなたの好きな本で、あ、今度一緒に話そうよ、ってなる、とか。というか私にもよくわからないわ。いったい誰なのよ、谷崎潤一郎って。『人間失格』の作者? たまたま大きめの地震が来てあなたと頭がごっつんこしちゃうとか。たまたまあたしが学生証を落として、あなたが教室まで届けに来てくれるとか。突然あなたにキスされちゃうとか。実は入学式で見かけたときからずっとあたしのことが、みたいなこともね。当然よ、そんな「少女漫画的」なこと。

 少女漫画なんてほんとうに嫌い。でも、きっと勘違いなさってるでしょう、あなた。あたしはね、あのストーリーとかシチュエーションとか、幸運な偶然の連続に苛立っているわけじゃあないのよ。ああいうことが、あんなに幸福なことが、あたしの身に絶対に起こりえないってこと知ってるから、そうだっていう最強に確固たる自信があるから、嫌いなの。悲しいから、こんなこと考えなくちゃいけない自分が惨めでしょうがないから、嫌いなの。ずたずたに傷ついて、血が流れて流れて失血死する前に、自分から離れていくしかないのよ。こうでもしないと、あたしは自分のことを守れない。嫌いだ、嫌いだ、目障りだ、莫迦莫迦しい茶番だ、お前なんかあっちへ行ってしまえ、って。結局ね、自己防衛のための偏屈なのよ。ほんとうに、惨めで莫迦な女。吐きそうだわ。

 でも、だったらどうしてそんな代物を、私は今手に持っているのかしら。理解に苦しむわね。なんで友人に自ら進んで貸してくれ、なんて言ったのかしら。結局捨てきれていないのよね、いろんなものを。今の胸の中のもやもやの答えとか、現状への解決策とか、この傷心への共感とか、同情とか、憐憫とか?いろんなものが、その中にある気がしちゃったの。信じちゃったの。どうせ裏切られるのにね。怪我して帰ってくるのにね。万一あったとしたって、そんなものこれっぽっちしかないのにね。だって、この紙の中に生きているオンナノコは、あたしなんかよりもずっとしあわせなんだもの。しあわせになれるんだもの。保証付きの人生。誠に、羨ましい限りでございます。ほんとうに、いい御身分よね。

 ああ、床に叩き付けてやろうかしら。こんなもの。いいや、それはだめだわね。だって、これ、人から借りたものなんだから。ふん。人から借りたってだけで、こんなものに優しくしてやんなきゃなんないなんて。この世も捨てたもんよね。こういう時は、はい、本を閉じてしまいましょう。こんなに不愉快なもの、見てちゃいけなかったんだわ。借りるべきでもなかったんだわ。ばかばかしい。ばかばかしい。さあさあ、ちゃっちゃとお布団かぶっちゃいましょう。夜はこうするに限ります。そうして電気を消しておやすみなさい。総てからの解放を我に! 

 あ、でも、最後に一言だけ、言わせて頂戴。

 死ねばいいのに。    

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