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人生もっと攻めずにはいられなくなる、すごい話を聞いてしまった。

自分で今の自分の現状を認めてあげることは大切だ。身の丈に合わせて今の人生に満足することも、平穏な日常を営む上で合理的な選択肢だ。

それなのに。

40年の人生で身につけた数々の精神的処世術。便利なそれらで蓋をした本音を直撃するお話を聞いてしまった。2020年1月25日のことだ。

スカイマーク社の会長で、独立系投資ファンド インテグラル社の創業社長である佐山展生氏による3時間は、まごうかたなき高みから、意識を思いっきり引っ張り上げられるような、実に爽快な刺激そのものだった。

佐山氏のお話は、中学校時代から始まった。
舞台は、京都の中高一貫校 洛星学園である。

佐山氏はこう語った。
「中学高校と、野球しかしてません。野球部に入る時、監督と3つの約束をしました。ひとつは時間を守ること。ふたつめは挨拶をすること。そして、高3の夏まで続けること。」

他の同級生が受験のために高2の冬で引退する中、佐山さんは監督との(そしておそらく自分との)約束通り、高3の夏まで野球を続けた。最後の夏、洛星学園は優勝候補だった高校をベスト16で破った。「対戦相手がグラウンドに出てきた時、出てきただけで強かった。そのあとの試合中の記憶はなく、気づいたら8回で、勝っていた。」まるで昨日のことのように、脳裏にそのときの光景がありありと浮かんでいる様子で、佐山さんはその試合を、ボールカウントまで詳細に振り返っていた。意味不明な記憶力である。野球のくだりでもうひとつ印象的だったのが、多くの先輩が見に来た試合でエラーをしてしまったときのお話。佐山さんは手を胸にあて、「今でもその時のことを思い出すと胸の奥にぐっとくるものがある。申し訳なくて申し訳なくて。、、、、失礼」と本当に涙ぐんでおられた。

「あの時、高3の夏まで続けたから今の自分がある。これだけは絶対に間違いなくそう言える」これが、佐山さんがご自身にとっての野球を総括した言葉だ。

ビジネスの世界で多くのことを成し遂げて今の場所に上り詰め、なお「ダントツ」のファンドを目指して挑戦を続ける超一流の原点が、野球なのか。と驚いた。でも、後に続く話にも共通項があり、つまり佐山さんは「時間切れまでやりきる」ことが大事だとおっしゃりたかったのではないかと思った。

佐山さんは、野球漬けの日々の中でも、毎週の学力試験の前には一夜漬けの徹夜で勉強をした。

大学受験も、夏が終わってしばらくはやる気が出ず、11月に受験勉強をスタート。なんと現役で京都大学に受かることを当たり前にして集中して勉強し、合格した。(ふつうは、ランクを落とすか、浪人を前提に考えると思うのだけれど。)

のちの三井銀行NY駐在時代に、39歳でNY大学の夜学MBAに通い、一般的に4年かけるところを2年で卒業したときも。「土曜日の夕方に試験があり、朝から大学に行って勉強をする。16時ぐらいまで、見通しがたたない。でも、焦らず勉強を続けていると、最後の1時間ぐらいでつかめてくるんですよ。」

さらには、スカイマーク倒産の危機を救済したときも、当時の社長から土壇場で助けを求める電話が入ったのは1月23日。月末に不渡りが出る直前だった。そこから3日3晩スカイマーク社に泊まり込み、民事再生の手続きを進めたことで、スカイマークは助かった。「あの時、自分が電話に出られなかったら間に合わなかった。世の中は紙一重」という言葉の重みといったらない。

佐山さんはいつも、まだ時間があるのに「もうだめだ。どうせ間に合わない」と自分で勝手に決めなかった。その結果が、優勝候補を相手にした歴史的勝利であり、京都大学現役合格であり、MBA取得であり、スカイマーク救済なのだろう。

繰り返しになるが、「世の中は紙一重」と佐山さんは言った。ぎりぎりのタイミングの、あとほんの少しの何かで、結果は大きく変わるものなのだということを、どんぶり勘定で鷹揚な性格の私は肝に命じようと思った。

野球の話の中で、もうひとつ印象的だったのは、「野球を通して上から言われたことを素直にやる習性が身についた」という言葉だ。

佐山さんは建築家になって自分の建築事務所をしたいと思っていたから建築学科を目指したが、あと少し点数が足りずに高分子化学科に進学した。なぜなら、親戚から喜ばれたことで、「浪人して建築学科を受け直す」と言ったら面倒だなと思ったから。就職も教授の紹介で帝人に決め、ポリエステル工場では相変わらず高分子化学に興味がないのに製造工程を勉強し熟知するにいたった。勉強しようとして先輩に聞いたら、原料がどのようなプロセスでポリエステルになるのかよくわかっていなかったそうだ。「業界外から見たら業界内の人はプロに見えるけど、よのなか、意外とわかっていないものですよ」と、200人の聴衆にそっと耳打ちするように教えてくださった。

大事なところで、妙な我を出さない。挑戦者ではあるが、天邪鬼ではないのだ。それが誰にせよ上から物を言われると反射的に反抗したくなるわたしは、挑戦者であるために天邪鬼である必要はないと肝に命じようと思う。

さて、佐山さんは天邪鬼ではないが、理不尽まで受け入れるわけではない。帝人に勤めて10年目、とある指示に「それはできません」と言った。すると、社内で「佐山は嘘つき」という悪評を流された。何かがおかしいと思った佐山さんは、社内の人事を観察するようになった。すると、派閥のようなものが見えてきた。「なぜあの人が昇進して、あの人がしないのか」腑に落ちない現実を発見した。わたしはこれを聞いて、26歳のころ、日系トップの損害保険会社に就職した同期が電話ごしに同じことを言っていたことを思い出した。

大企業の組織の論理(という名の理不尽)がきっかけとなり、佐山さんは転職に向けて動き出す。終身雇用が当たり前の時代。今は一般的でも、当時はまわりの誰からも理解されない選択だった。かくして、三井銀行の求人新聞広告を見つけたことから、未経験の金融業界、それも日本で誰もしたことのないM&Aの部署に転職する。そして、すぐさま成功させてしまうのだ。その後、ある仕事で会社に何十億もの「利益」をもたらしたのに、報奨金が10万円だったとき、バカらしくなって辞めようとした。当然ながら慰留され、佐山さんは契約金5000万円、年収5000万円になるなら残ると答えた。人事の返答は「無理」。ここで会社はプロフェッショナル契約という新手を持ち出し、佐山さんをつなぎとめた。

しかし、佐山さんはすでに仲間と独立系投資ファンド ユニゾンキャピタルの設立を約束していた。そこで、プロフェッショナル契約で契約金4000万円&年収4000万円をもらいながら自分の会社と事業を起こすという超人的な選択をしたわけだが、仲間から「両立はやめてこちらに集中してほしい」と請われた佐山さんは、数ヶ月でプロフェッショナル契約を終了させた。

大企業の従業員ではなくなった日、会社から出て見上げた空の色はとてつもなく清々しかった、と佐山さんは振り返った。「なんとも言えない清々しさだった。それまではどんなに主体的に動いても、やはり会社からお給料をもらっている存在。そこから解放された。」ここだけは、ほんの少しだけ、佐山さんの数万分の一の規模感ではあるけれど、わたしにもわかる。会社がどんなに大きくありがたい存在でも、その庇護と管理のもとから離れ独立独歩の道を進むことには、えも言われぬ喜びと清々しさがある。

ところで、佐山さんは挑戦するときに、ちゃんと保険をかける。成功するかなんてわからない。でも、成功率5%の選択にかけるからこそ、面白い。そのときに、失敗するほうの95%になったときの準備はしておかなければならない。佐山さんは、銀行への転職が失敗したら弁護士になろうと決めていた。すでに司法試験の勉強も始めていたらしい。滑り止めが弁護士って超人すぎて参考にならないが、とにかく保険は必要だということだ。

三井銀行から特別待遇でプロフェッショナル契約を獲得し、ユニゾンキャピタルを成功させ、その後に創業した投資コンサルティング会社も上場させるなど、凡人が夢見る成功をひとりでいくつも実現している佐山さん。本当にこんな、漫画の主人公みたいな、スーパーマンみたいな人がいるんだと、わたしは心底、驚いた。

そんな佐山さんは今66歳で、まだ人生のホップ・ステップ・ジャンプの、ステップのスにいるそうだ。ステップのプは、投資ファンドの世界で「ダントツ」になること。ダントツってすごく、いい言葉だと思った。定量的な目標だけでは、人生をかけてやろうという気にならない。「ダンドツ」には、ただの1番にはない突出した疾走感やワクワク感がのっている。

そして、佐山さんにとってのジャンプは、今とは全く違う未知の世界のことだという。それがなんなのか、あるのかどうか、わからない。自分にはわからない世界がまだまだあるということと、そこに行くかもしれないという冒険性が、佐山さんの認知の底にある。

佐山さんが颯爽と登場したとき、ただならぬ眼光と、全身から発している覇気にはっとした。それは、ただの偉い人にはない何かだった。人を威圧する固まった感じではなく、変な重さや人を寄せ付けない感じではなく、もっと柔らかくてしなやかな何か。宇宙のような広い余裕があると感じたのだけれど、それはご自身がご自身の可能性を宇宙に開放しているからなんだと腑に落ちた。

最後にひとつ。ある会社の経営権を巡って外資系投資ファンドと争ったときのエピソードが印象的だったので記しておきたい。

1対1のオークション形式でお互いに値段を上げていく交渉において、佐山さんとパートナーは、勝負の場で考えなくていいように方針を決めた。決めたことは3つ。A4の紙で出すこと。相手が出してきた金額に1億円足して出すこと。先攻・後攻(どっちだったかな)。それをただただ続けて、勝ったそうだ。方針を決めたことのメリットは「考えなくていいから」。考えなくていいように方針を決め、一度決めたら、ぶれずに考えずに、ただ、やる。

佐山さんの講演録から少しずれるが、堀江貴文氏がとあるWEB番組で、成功する起業家の条件として「しつこい」ということだけを、しつこく言っていた。誰が何を言っても、「だから、しつこくやることだってば。それだけ。」と言い続けていた。その意味するところは、「赤字にしないって決めて、赤字にならないようにできることを毎日、機械的にひたすらやる。」ということだった。

数々の修羅場をくぐってきた人たちによる、経験と、経験するのにかかった時間を煮詰めて煮詰めて凝縮した金言だと受け取った。何かを決め、勝負がつくまで考えずにやり続けることが、ビジネスの勝負において1番大事なことなんだろう。

佐山さんは話の流れを一度止めて、わざわざ言及したように見受けられた。だから、本当に大切なことなんだろうと思う。

2020年1月25日に沖縄大学で行われた佐山展生氏の(わたしの独断と偏見による)講演録は、以上です。

講演の夜は興奮して眠れず、それから1週間、運転中や仕事中につぎつぎと「あんなお話もされていた」「こんな言葉もあった」と記憶が蘇ってくるので、覚えていることを覚えているうちに全部書き留めておきたいという気持ちで書きました。自分のための文章ですが、読んでくださった方の利益になれば幸いです。記憶を頼りに書いているので、部分的に事実誤認や取り違えがあるかもしれません。お詫びします。

わたしも、やるわよ。


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