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【みた】MIDSOMMAR

隙間が埋まり、
やっと満ち足りたように見えるラストシーンだったが、
失ったのだと感じた

他者の
痛みや怒り、悲しみや不安に
共鳴することはできても
共有することはできない

転けて膝を怪我している人を見ると
痛い感覚にはなるけれど
私の膝は痛まない

だから想像し、工夫する。
気持ちや感覚という形のないものを
言葉や表情に乗せて
目の前に居ても限りなく遠い他者に
そっくりそのまま伝えるために

どうしたって一つにはなれない
個と個の距離を
愛おしいと思う。
埋まらない距離を縮めるための努力は
かけがえがないと思う。

「わたしたちは個ではなく、
ひとつの共同体で、
すべては繋がっている。
だから個の感覚を捨てて、
すべての苦痛から解放されよう」
という考え方をときどき見かけるが
好きではない。

怒りも、苦しみも、孤独も
私の感じる痛みは、私だけのものだ。
怒りや苦しみや孤独から
産まれるものが
全部醜く、悪いものだとは思えない。
悪い状況が良い結果をもたらすこともある
人間万事塞翁が馬だ

痛みや苦しみは手放したいけど
失ってはいけないように思う
だから私にとって、ミッドサマーは
救済ではなく、喪失の物語だった。

かけがえのない、
個という自分を失う過程が生々しく描かれている。

ダニーは駄目な私に付き合ってもらって
申し訳ないと、いつもどこかで思っている
それが余計な重みになって
ダニーを面倒くさいものにする
彼女を一番否定しているのは彼女自身だ
良いところがたくさんあるのに
悪いところばかり虫眼鏡で見てしまうのだ

抱えきれない、
持て余している、自分や人生を
ふらつきながらも、一生懸命に抱えていたように思う

ダニーにとっては
ハッピーエンドだったのだろうと思う。
得たいものを得て、救われる話だったのだろう。
まだふらついていたい私が
勝手に少し悲しくなっただけだ。

ミッドサマー、おもしろかった。
ひさしぶりに色々揺れて。

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