5月31日のセッションの振り返り

発見その1。コーチもよくぐーたらしている。な、なんだってー!
発見その2。聞き流すコツがある。これはやっぱり置いとくことにした。
発見その3。思考をストップさせる。これは取り組む。
発見その4。僕がしている偏見をまた1つ見つけた。
発見その5。無意識にしているスキルを見つけた。
発見その6。郷に入れば郷に従え、とはいうものの、世界中の郷に片足突っこんだらしんどいよね。

その1

僕も遊びたいものの、遊んでいない日が多くて、また何もしなかった……という日が嫌で悩み。という話をしたところ、コーチもよくぐーたらしている日があるそうで!!コーチさえ!遊ぶ日と充電する日の両方があるのに!僕がonly遊ぶ日なんて無茶だね!!よっしゃ僕もごろごろするぞ!!
あと、僕は"遊び"のハードルが高いらしい。コーチ的には、考えを巡らすのも遊びらしい。とりとめなく考えをほーいってする=遊び、となると、僕は遊んでいるなあ。いやでも納得しがたい。これは遊びに対する期待度が高すぎるのと、考えをほーいってすることに慣れ過ぎていることが考えられる。
差異としては、コーチはマンガを読むのもぐーたらに入るそう。僕はそれはぐーたらな遊びに入る。なんというか、ぐーたらと言い切るには、よし読むぞ、という感じが必要。まあその辺りは、異って当然だよね。

その2

家族のオタ話を僕は一生懸命聞いて頭の中で整理しながら考えて返答するのに、僕のオタ話を家族はすっごい聞き流している。聞いているフリはするけども。ちょっと不満。とい話をしたところ、聞き流すコツを教えてもらった。
でも、折角教えてもらったけど、やっぱりこの"聞き流しスキル"は意図的に磨かないことにした。なんというか、つかれるけど、誰かの話を一生懸命に聞いて自分の中で解釈して構築しなおしてってのが自然とできるのは、美点かなって。僕の求める誠実さの一つな気がするから、これはこのままにしとく。でも一部応用もするそれが次の項目。

その3

自分一人の中で仮想敵と正論の殴り合いみたいな一人ゲンカをしているとき、思考をストップできるように習慣づける。
これなかなか難しい。というかここ十日程は一人ゲンカそのものがあまりなかったような、あったけど憶えていないだけかな?それよりも、身体が実際に痛むことが多くて、ちょっとあまり習慣つかなかったなあ。
ただコツはあった。言葉にするの難しいといか伝わる気がしないけど言葉にして残しておく。ケンカしてるぞ、これは無意味な一人ゲンカだ、思考ストップしよう→巨大な、のっぺりと白いはんぺんがこちらです→はんぺんを地面と垂直に立て、そこに体当たりします→ぽよよんとします、どことなく温もりがあります→気の済むまでぽよよんとしますが、一度体当たりする度により巨大化し、頭の中を占めていきます。以上。
いやあこれ僕自身以外に伝わらないねえ。別の事を考えて気を逸らすというよりは、頭の中をはんぺんにするんだけど。白玉でも可。

その4

唐突だけど、僕はホームレスの人々に対して偏見を持っている。
もしお金が無くなって、頼れる人もいなくて、考えられる最低の生活はというと、ホームレスだと考える。つまり僕にとっては、負の方向に進行した未来の状態なんだよな。(ここで一週間以内に野垂れ死ににならない辺りが平和な国といか、整っている国だよなあ)
そういうわけで、僕にとってホームレスの人々は"想像もしたくない嫌な未来の体現者"なわけで、だから忌避感を覚えるのだと考えていた。が、どうもこれ、家族の価値観も多分に侵食してきているなってのも、気づき。
僕の近所、ちょっと行ったところに廃棄物処理場があって、アルミ缶かな?買い取っているんだよね。だから道端で明らかに浮浪者の人とすれ違うのは少なくない。目を合わせないように教えられてきた。なんて言われてきたかな、言葉よりも態度で教えられてたかな。あと話ぶり。公園にあの人達がいて困る、とか。そんな感じ。
でもさでもさ、どこまでが思い込みなんだろう。いや、全部思い込みなんだろう。どこまでかが当っている思い込みで、どこからかが外れている思い込みだ。そもそも僕は浮浪者の人と会話したことがない。浮浪者とよく交流するって人も身近にいない。なのに、悪いイメージがつきまとっている。なんだこれ、食わず嫌いもはなはだしい。自分のことなのに自分じゃないみたいで、気持ち悪い。
知らない。とある特定の人がどうして住所を持たない生活に"おちいった"のかの経緯も、統計的に多く見られる傾向も、知らない。ただただ、貧乏、住所がない、臭そう、臭い、公園の蛇口に口つけて水を飲んで汚らしい、子供をそばに寄せたくない、汚い外見をしている、金に困っている、金が手に入るならなんでもする、犯罪率が高そう。まて、待てよ、それらの根拠はなんだ。そんなに、人間を、罵詈雑言を人間にぶつけるなんて、よっぽど詳しいのだろうな?まさか、ただのイメージではないよな?なあ、僕よ。
知らない。公的な制度にどういうセーフティネットがあって、どうしてそれらを選ばなかったのか、または網の目からすり抜けてしまったのか。何を考えているのか。何を求めているのか。
したことがない。話したことがない。いやでも道端ですれ違っただけの人に話しかけるなんて、道に迷った時くらいだぞ。挨拶をするのも、不自然かなあ。不自然だなあ。僕通勤や通学中にすれ違った人に挨拶するなんて、よっぽど元々知っている人だけだ。
したことがない。話題にあげたことがない。だって、だって?だって、なんだ。話してみろ。だって、家族から、とりあえず否定というか、嫌悪感が僕に対してでなくても、滲みでそう。
おかしい。話題にあげられないことは解決できない、が僕が常々考えていることだ。タブーは、タブーだから話題にできなくて、タブーのままだ。それは、むかつく。
彼等彼女等は、何を考えて、何を求めて、何を大事にしていて、どういう経緯で、どういう未来を望んで、どう日々を送っているのだろう。
こんなことも話題にあげてはいけないのは、もしかして、ホームレスとは目を合わせるだけでなにか僕が酷い目に合わされる危険な存在なのか?だからせっせと隠されているのか?だから決っしてお互いの存在を認知してはいけないと?
おかしい、なにかがおかしい気がする。
といったようなことを話した。

その5

前項で"道端ですれ違っただけの人に話しかけるか?"という問いを立てたけど、コーチ的にはこれは中々稀な思考回路らしい。
なんと多くの人は、ホームレスの人の話題というだけで、思考が停止するんだって。そこで"ホームレスというラベルを剥がして、すれ違ったただの一人の人と仮定し、その人と話すか?という問いをたてる"という、ラベル剥がしができるのが、すごいと言われた。
褒められるのは嬉しいし、憬れているコーチから褒められるのはもっと嬉しいけど、そこなの????
至極普通のことだと思ってやっていることを褒められると?が大量発生するけど、うーん、今でもやっぱり、よくわからない。もちっとこのラベル剥がしについて、他にも僕がやってたら指摘してもらえば、どう考えを発展させることで可能かが言語化できるかな。
なんで言語化したいかって?……。なんでだろうね?うーん、僕は、全人類がもっと考えれば、もっと"よい"世の中になると考えている。そんで考えるのもコツがあったりするから、そのコツを伝達するために、言語化したものがあると便利、って感じかなあ。
でもさあ、ちょっと自分にがっかりだよね。コーチからホームレスの人の具体例とか、全然知らなかったことを知って、偏見に満ちている自分に気づけた!って思ってたのに、今でもやっぱり偏見にまみれている。偏って物事を見るのは仕方ないけど、自覚したことくらいは、なんだろう、偏らず?正しく?見たいなあ。せめて、誤解は、したくない。僕が誤解されたくないから。

その6

ふう、疲れてきたので、ここはさっくり。
郷に入れば郷に従え、という言葉がある。なんとなくわかる。でも、ネットが普及して、気軽に国さえ違う郷をチラ見することができるようになった。こうなると、色々な郷の、よい所、目立つ所だけが情報として入ってきて、しんどい。沢山の郷に片足だけ突っ込んでいる感じ。それで従えっていうのは、無茶だししんどい。
遠くの情報を仕入れるのもいいけど、身の回りのことも整えていこうね。

メモ

政治や政治家に対する姿勢とも似ている。

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