ポンポさん

大学3年生の頃。
インターンにぽつぽつと赴き、会社員50年の人生が固まっていくのを感じていた。後悔は全くなかった。人生に、微塵も。
学生時代、有言実行即行動、やりたいことはなんでもやったし、間違った選択だとしても後悔しないほうを選んできた。そんな決断を繰り返した果てに、あまり興味のない分野で何十年も働いて生きていく自分を、抵抗なく受け入れることができた。

はずだったのに。

ポンポさんのせいだ。

小説を、小学生の頃から書いていた。森見登美彦氏が大好きで、大学院生で作家デビューしたことを知ってからは自分もそうなりたいと思っていた。志ではなくあくまで願望である。したがってうまくいかない。当然のこと。
そしてうまくいかないことをずっと悩んでいても楽しくない。血の滲む努力はできないから、長く続けることが苦手だから、好きを仕事にすると好きでなくなってしまうから、私はあくまで読むほうが楽しいから。

ポンポさんのせいだ。

創作は、素晴らしい。創作という行為そのものが、泥臭く醜悪でありながらも、代えがたい輝きを放っている。そんな当然のことを思い出した。思い出してしまった。小学生の私は、書くことで救われ、大好きだったのだ。
スクリーンから飛び出す、音と光の熱量、熱量、熱量。
花譜氏の「例えば」を背景にジーンくんが編集作業をするシーンは正視していられなかった。あまりにも悔しかった。今思い出して書いていても悔しい。結果や成果よりもまず、書くことでしか救われないものが心で蠢いていることに無自覚で、気付けなかったのが悔しかった。

ポンポさんのせいだ。

私は、駄作を量産している。ここに書いておいてなんだが、noteではなく様々な作品賞に応募している。返事が来たことは一度たりともない。自分の時間の無駄遣いどころか、選考委員の方の時間も蝕んでしまっている。申し訳ないが、しばらくはそれを続けさせてほしい。あの映画を見た日から、書きたくて書きたくて仕方がない。衝動を抑えるには、書くしかない。
書いて、書いて、書いて。

書く、書く、書く。

大学3年生の頃。
インターンにぽつぽつと赴き、会社員50年の人生が固まっていくのを感じていた。
あの時の人生を見通せてしまう感覚というのはたまに起こる。つまり、私の創作が今後、何等かの結果や成果につながることは絶対にない。先何十年かの人生で、パソコンのメモリを消費し、世界の数%分の木を紙として消費する。それが何かに還元されることはない。誰かに届くこともない。
わがままで恐縮だが、大変幸せだ。
書くことは、楽しい。必要十分で、私を満たしてくれる。

ポンポさん、ありがとう。

#映画にまつわる思い出

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