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【創作大賞2024 恋愛小説部門】 思い出の恋を、思い出す時①(全9話)

(あらすじ)
地方都市に住む未歩子(みほこ)。彼女には思い出の恋がある。相手は職場に来ていた銀行員。二十代前半のその恋は、長いあいだ記憶の底に沈んでいた。時を経て、あるきっかけで浮上してきたその思い出。ぽつりと現れた記憶は、単調な生活のなかで日に日に鮮やかさを増し、その範囲を広げていく。



 思い出の恋、というのが、誰にでもあるのではないでしょうか。
 初恋ではありません。誰もがうらやむようなエピソードを持つ恋でもない。たまに一人でいる時に取り出して、身のうちで飴玉のようにゆっくりと溶かしたくなるような、過去の恋。
 未歩子(みほこ)にはあります。枡渕さん。枡渕融(ますぶち・とおる)さん。
 職場にくる銀行の人でした。正しくは、信用金庫の渉外担当の人です。でも職場の人はみんな「銀行さん」と呼んでいました。
 暑い日も寒い日も、雨や雪の日は黒いぺらぺらの合羽姿で、バイクに乗ってやって来ます。ズボンの裾を濡らして事務所に入ってきた日は、古参の女性事務員たちがわらわらと寄っていきます。
「まあ、びしょ濡れじゃ」
「はよストーブに当たり」
「ほれタオル。しっかり拭いてはよ乾かさんと、風邪ひくで」
 口々に言いながら彼を囲みます。枡渕さんはそんな人でした。
 ぺらりと薄い体型。地味な顔立ち。特に目を惹かれるタイプではありません。強いて言えば、母性本能をくすぐるタイプだったのでしょうか。当時の未歩子には、よく分かりませんでしたけれど。

 未歩子は22歳でした。地元の大学の短期部を卒業後、そのまま市内の小さなリフォーム会社に就職して2年目。
 増渕さんは社会人3年目の、25歳でした。県外の大学を出て、地元の信用金庫にUターン就職をした人です。
 職場の若い女性は未歩子だけでしたので、2人はすぐに打ち解けて話をするようになりました。とはいえ、事務所内で話をしているとおばさん事務員たちにからかわれます。ちょうど観たい映画が同じだった2人は、クリスマスが近い休日に県庁所在地まで出かけることになりました。

 未歩子たちの住むまちから、県庁所在地までは車で1時間半ほどかかります。そのあいだ車内で2人きり。
 今思えば、出会った瞬間に惹かれ合う、とまでは言わないものの、何かしら波長の合う2人だったのでしょう。一時間半ほどの道のりは、あっという間に時が過ぎていきました。
 映画に音楽。ファッション。インテリア。枡渕さんは趣味が多く、とても物知りでした。未歩子も、ファッションに関してはシャネルやヴィトンといったハイブランドに興味を持っていた時期でしたが、彼との会話は女友だちとのそれと少し勝手が違いました。
「フランスの港町で誕生したボーダーTシャツ」
「イタリアの小さな工房で作られる上質なニット」
「幻の型番と言われているスニーカー」
 なんだか『なぞなぞ』みたいです。正直なところ、未歩子はそれらの何が素晴らしいのか、さっぱりわからなかった。けれど枡渕さんは、未歩子が女友だちとビィトンのバックについて語り合うのと同じくらいの熱心さで、ボーダーTシャツを絶賛するのでした。
 フリッツ・ハンセン。アルテック。PPモブラー。インテリアの話題となると、まるで呪文。ちんぷんかんぷんだった未歩子です。
 でも話している時の枡渕さんは、カッコよく見えた。いつもの「仕事用として割り切って着ている」量販店のスーツ姿ではなく、こだわり抜いたと思われる私服が、彼を三割り増しほど素敵に見せていたのかもしれません。
 音楽や映画に関しては、なんとなく雰囲気の良いものお洒落なものを、幅広くチョイスしているだけのようだと徐々にわかってきました。
 車内では、ジャズやボサノバ、それから当時ドラマの主題歌で流行っていたエンヤのCDを聴きました。映画は、ストーリー重視ではなく、とにかく映像がきれいでファッションやインテリアが素敵なものが好みだったよう。
 未歩子のお気に入りの映画は、ジュリアロバーツ主演の『プリティ・ウーマン』でした。地元にひとつしかない映画館ではなかなか上映されず、県庁所在地へ二度観に行ったほど。
「ヒロインのネックレス、可愛かった」
「ああ。あれはパリのブランドでね、フレッドっていう…」
 テラス付きのコーヒーショップでそんな話をしている時、未歩子は自分までもが映画の主人公になったような気がしたものでした。

 世の中はいわゆる「バブル景気」と言われていた時代。その2年ほど後に「はじけた」という状態になるのですが、当時の未歩子では知る由もありません。

 そもそも、「バブルって?」と思っていた未歩子。地元のまちには、イタリアンレストランもマハラジャもない。夜景もない。扇子を持って踊るおねえさんたちもいないし、織田裕二も江口洋介もいない。

 未歩子はそれまで、枡渕さんのような男性にも出会ったことがありませんでした。
 生まれ育ったのは、山に囲まれた小さな盆地。とは言っても、生活に必要な施設は一通りありました。総合病院も大学も、映画館もデパートも、それぞれひとつずつなので選ぶことは出来ませんし、そこへ行けば誰かしら知り合いに会ってしまうのですが。

 そんな未歩子の生活圏にいた男性は、と言うと。
 映画を観るなら不良ものか任侠もの、もしくはハードアクションのハリウッド映画。
 聞く音楽は流行りのJポップ、または矢沢永吉か長渕剛か、尾崎豊。
 ファッションは、興味があるというよりとにかく高価なものを良しとする傾向あり。それは所有する車に関しても同じで、エンジンがどうのステアリングがこうのと語ったところで結局、「高級車に乗っているオレがカッコいい」と思っている。
 父も兄も、近所に住む伯父も従兄弟たちも、これまで付き合ってきた男の子たちもみーんな、このようなタイプでした。
 豊川悦司なんてきっと、架空の人物。夢の国のネズミみたいに、女の子の理想をぎゅっと固めた着ぐるみに誰かが入ってるだけなんだわ。(続く)



#創作大賞2024
#恋愛小説部門


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