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平成の旅路 その四

購入した原付は三万程だったので残り残金十五万円ほどで当てもなく旅に出た取り敢えず県外に出て行けるとこまで行こう。

県外に出るまでに原付といえど古い2stのバイクなのでそこまで燃費が良いとは言えず給油を何回かしたところでこれで全国を回るのは厳しいなと感じ始めていた。

しかし数々の労働のトラウマがあったので働く気には一切なれなかった。

そう言えば昔友達とパチスロのハイエナで小遣いを稼いでいた事を思い出し行く先々でスロットのハイエナ狙いをする事にした。

ハイエナとはスロットで当たりが近い状態などで捨てられている台を正に弱った獲物を仕留めるハイエナがごとく奪い去る行為で店側からは煙たがられる存在である。

しかし旅先で一度しか行かない店なので目に付くこともなく元手の十五万からコツコツと増やし続けなんと二、三年近くも旅をしながら生活する事が出来た。

ネカフェがないところでは野宿する事もあったが基本はネカフェかスパなどで毎日シャワーを浴びてナイトパックで就寝して昼過ぎに出発し、鞄や服も1週間分くらいは買い揃えコインランドリーでしっかり洗濯をして毎日着替えをして臭いだけには気を付けていた。

なにせ臭いと店にも入れない可能性があるし何より自分自身が耐えられなかった。

しかしそんな生活を1年近く続けていたところで資金が尽きはじめていた。

ガソリン代も考えると地元を離れた土地勘のないところでは不安だと考えてまた地元へと戻りながら2chなどで今夜泊めてくれる人などを募集したり探したりしてなんとか食い繋ぎ地元県内まで戻ってくる事が出来た。

季節は2月で最後に泊めて貰った2chで出会った男はどうやら生活保護で暮らしているらしくワンルームだけど俺はベットで寝るから床で寝るならしばらくいてもいいと言われこの季節屋内で寝れるだけありがたいと思っていたのが部屋に入ると物凄い汚部屋で埃まみれの床で寝る事となり私はしばらく発作も出ていなかったのですっかり忘れていた喘息持ちだったのを突然思い出くらいにはその不潔さに耐えられず1日で家を飛び出した。

なんと無く地元に帰ってきてはいたが
お金もなく帰れる家もない
オマケに街は雪が降り積もり毎日自殺する事を考え始めていた。

取り敢えずパチ屋の休憩所で閉店まで時間を潰し公園の公衆トイレに段ボールを敷いて寝る生活が始まった。

食う物を買う金も当然なく空腹のあまりコンビニ弁当を万引きしたりしたのだが罪悪感が凄くせっかく成功してもあれだけ空腹だったのに弁当の味は何もしなかった。
何よりも小学生の時に一度万引きで捕まって二度としないと誓ったのに空腹の前にあっさりとまた犯罪に手を染める自分に嫌気がさしたのもあってその日以降二度としなかった。

あれだけ気を遣っていた身だしなみももうほぼ少し小綺麗なホームレスくらいにはなっていて
心配になって焼肉を奢りにきてくれたり吉野家で牛丼を買ってきてくれる友達などもいたのだが来てくれた友達もあの時は本当に臭かったと今だから言えるけどねと笑っていた。

そしていつものように閉店となったパチ屋から出ると中学の時の友人とたまたま再開した。

当時そこまで仲が良かった訳ではないが私も彼も同じ転校生という事でお互い家にも遊びに行った事はあるくらいの仲ではあった。

その友人は片親で私が出会った頃には父親は裏カジノでボディガードをやっているとよく周りに吹聴していた。

周りは真面目君ばかりの中学だったのもあったがそんな漫画の世界みたいな職業ある訳無いじゃないかと当時は思っていたのだが今思い返してみると確かに彼の家に遊びに行った時出迎えてくれた父親は背中や腕などにゴリゴリのタトゥーが入った大柄の黒人で日本語はカタコトで短刀など一般家庭にはないものばかりが家に溢れていた気がする。

そんな父親を持つ友人は今はキャバクラの店長を任されていると言う
そしてオープンして間もない店なので人手が足りていないとのことで彼の家で住み込みで働く運びとなった。

物置部屋として使っている部屋で一畳半くらいしかなく布団を広げてピッタリくらいの部屋とも呼べない部屋ではあったが、家賃も家全体の光熱費だけでいいとのことなのでトイレで寝泊まりしていた頃を考えるとそれでも最高に幸せであった。

仕事も所謂キャバクラのボーイなのだが二部制の店だった為閉店時間が短く実働時間が4時間にも満たず日払いで5〜6千円は貰えたので何も文句は無かった。

しかし働き始めて3ヶ月ほどでその友人が雇い主と喧嘩をして勢いでその場で辞める事となり何故か私も巻き添えで一緒に辞めさせられたのである。

まあ彼的には自分が連れていた戦力だから一緒に連れて行くよとの事なのだろうが私は環境に何の不満もなく働いていただけにとても残念ではあったがまあ家主が辞めるなら仕方ないと渋々一緒に仕事を辞めた。

しかし1年近くまともに職歴もない高卒と中卒では当然まともな求人など見つかるはずもなく友人の趣味であった釣れない魚を一緒に釣りに行く日々がそのまま三ヶ月ほど続いた。

そんな仲もうお金もないし仕方ないから親父の仕事を紹介して貰おうと言う事になった。
そう裏カジノである。

詳しく話を聞くとどうやら本当に日本には無数の裏カジノが存在するらしく、彼も十八かそこらの歳の頃に一度黒服として働いた事があるらしい。

裏カジノは基本的に
完全会員制で新規は紹介でしか入れない。
客は煙草もお酒も食事も客によってはホテル代も店に来るための新幹線代も全て無料で二十四時間年中無休で営業しているのでいつでも遊びに行けるギャンブル好きには正に夢のような施設であった。

彼の親父はそんな裏の世界でもう何十年も生きながら男手一つで一人息子を異国で育て上げたという話はホラ話でもフィクションでもなく本当にあった日本のある家庭での話しなのである。

「もしもの時もディーラーではなく黒服なら捕まらない。」

彼の親父に話を繋いでもらい面接を受けた時に高そうなスーツに身を包んだ男にそう言われたのが後押しとなり2人とも即日で採用の運びとなった。

なにせ手取りで三十五万も貰えて非課税の仕事など表ではありえなかったし何より初めて入った裏の世界はあまりに煌びやかで何処か非現実的であり、まるで漫画や小説の中の話だなと私自身が興味津々だったのが一番の決め手であった。

週六日一日十時間労働という字面にすると結構働かされるように思えるが一時間に一回十分ほどの煙草休憩がありそれとは別に昼休憩も貰え食事もジュースも勿論無料である。

しかも半年真面目に働けば五日間の有給休暇までももらえたり勤務態度が良ければ役職からの投票で毎月1〜5万ほどのボーナスが貰えたりとインフルエンザの季節にはなんと店まで闇医者が予防接種をしにきてくれたりと、少なくとも今まで働いてきたどんな仕事よりもしっかりとしていた気がする。

私はここに偵察がてらの足がけのつもりにこの世界を覗いたつもりがなんと合計三年近くも居座る事となるとは全く想像だにしてはいなかったを

嘘のような裏社会の世界がそこには確かにあった。

続く

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